32.心の負担
夢の中でふと、残された妹のことを思い出した。
あの子は……楓は……大丈夫だろうか。
身体が弱く、俺が物心ついた頃からすでに入退院を繰り返していた妹が心配で仕方なかった。
最近は体調も落ち着き、渡された薬を欠かさず飲んでさえいれば多少の運動もできるまでに回復したが、それでも熱を出して学校を休むなどしょっちゅうだ。
一時は余命宣告までされていた彼女が奇跡的な回復を見せ始めたのが今年の5月。それから僅か2週間ほどで退院可能と医師から伝えられた。医師から論文にして発表したいほどの回復速度と言われただけあってか、楓は家に帰ってからもとても元気だった。
「夏休みは海に行こうね!お兄ちゃん!」
「初めてだな。楓と海に行くのは」
「私は人生初の海だよ!楽しみで楽しみで死にそうだよ!」
「死んだらだめだろうが……」
「海水は塩水ってほんとなのかな!?」
目を輝かせながら夏休み中の予定を語る彼女は、間違いなく俺が今までに見てきた中で最も生き生きとしていた。かくいう俺も冷静を装っているだけで、内心は妹と初めて一緒に過ごす夏休みが楽しみで仕方なかった。
あぁ、そういえば父さん達が一時帰国したときにみんなで行こうって話をしてたなぁ……。
この世界に飛ばされたのが8月2日。両親が一時帰国する予定だったのが8月中頃。海に行く予定だったのがお盆。
もうあれから1ヶ月以上経ってしまった。楓との約束は守れなかった。申し訳ない気持ちと寂しさに襲われる。
怒ってるだろうなぁ……。
人生初の海を家族と過ごすんだと夏休み前から嬉しそうに計画を語っていた彼女の顔を思い出してさらに気持ちが沈んだ。
会いたいなぁ……。
楓だけでなく両親にも。両親が海外勤務になってから家に帰ってくるのは、年末年始とゴールデンウィーク、お盆くらいである。週に2、3回安否確認という名目上の親バカ連絡が来るが、それでも全ての寂しさは拭えきれない。
ごめんな、楓……。
今は会えない妹のことを想いながら俺の意識は、徐々に覚醒へと向かっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
まだぼやのかかった視界に違和感があった。
何かがものすごく近距離で俺の顔を覗き込んでいる。
何度か瞬きを繰り返してようやくそれがレイアだとわかったが、彼女は何故か不思議そうな表情を浮かべていた。
「おはよう……レイア」
「あっ、おはよう……シュウ?」
「なんで最後疑問形?」
違和感のある挨拶に俺が起き上がりながらつっこむと、彼女は俺の顔をじっと眺めながら心配そうに口を開いた。
「シュウ……?なんで泣いてるの?」
「……え?」
その言葉に驚いて慌てて手で拭ってみると確かに俺は泣いていた。
「どうして……」
小さく呟いたが、思い返すまでもなく理由はあの夢だとわかりきっていた。家族に会いたいという願望から出た涙なのだろう。それを改めて自覚すると更に涙が溢れてきた。
「………」
そんな情けない俺を姿を見たレイアは何を思ったのか更に俺に近づくと、両腕を広げ優しく俺を抱きしめた。突如女の子特有の柔らかさと落ち着いた香りに包み込まれ、俺は動揺を隠せなかった。
「ええっと……どういう……?」
俺のか細い声に彼女はゆっくりと俺の寝癖だらけの頭を撫でながら一言だけ言った。
「泣きたい時は好きなだけ泣いたらいいよ……」
「……ありがとう」
彼女の言葉に甘え、俺は一ヶ月以上溜め込んでいた寂しさでできた不快な塊を涙に変えて吐き出した。俺なりのプライドか、声は出なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
どれくらい泣いただろうか。レイアの腕の中で少しずつ落ち着き始め、次第に羞恥心で一杯になるまで、俺は彼女に慰め続けてもらっていた。
「ありがとうレイア。もう……大丈夫」
冷静になって自分が今とんでもないところに埋れていることに気づくと、俺は慌てて彼女の腕から離れた。
「全部吐き出した?」
レイアはまるで聖母のような穏やかな笑みを浮かべるとゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ私、一旦部屋出るね。すぐ外で待ってるから着替え終わったら呼んで」
若干早口でそういうと、俺の返事も聞かずにすたすたと部屋を出ていってしまった。
俺がポーチから替えの服を取り出していると、ようやく思考も本格的に仕事をし始めた。そこになってようやく、俺はレイアがなぜ部屋にいたのかという疑問に至るのだった。
「鍵……開けっ放しだったかな?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なにやってんだぁ私ぃ……」
私の腕から離れたシュウの真っ赤っかになった目と頬を見て、私は初めて自分が何をしていたのかを理解した。
大慌てで適当な理由をつけて部屋を出たのはいいが、今度は絶大な羞恥心に襲われ、ドアにもたれ掛かるようにして座り込んでしまった。
3割の母性と、6割の抱きしめたい本能、残り1割の寝起きテンションで気付いたらときには身体が動いてしまっていたわけだが、やらかしたと自覚するまでに随分と時間がかかってしまった。
泣いている彼を慰めるつもりで自身がついさっき経験したことを試したら、まさかこんなことになるとは……。
「どうしよう……」
彼にお礼を言うつもりでここへ来たのにこんな事態になるとは……。
「シュウになんて言おう……」
部屋から出て来た彼になんと言われるかわからず、着替えを待つ数分間が私にとっては不安で不安で仕方がなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なにやってんだぁ俺ぇ……」
着替えを終えて軽くベッドメイキングを行なって後はレイアを呼ぶだけなのだが、そのワンステップがどうにも勇気がいるものだった。室内をぐるぐると歩き回りながら数分たってようやく決心がついた。廊下まで届くように少し大きめの声で彼女を呼ぶと、すぐに少しだけ扉が開き、恥ずかしげにこちらを見つめながらひっそりと入ってきた。
「あー、その……身体はもう大丈夫なのか?」
「うん……しばらく安静に、とは言われたけどね」
先に沈黙に堪えきれなくなった俺が口を開くと、レイアもそれで少し不安が晴れたのかすぐに返してくれた。
立ち話もあれだったので彼女を部屋に招き入れ、丸い小さな机を挟んで席に着くと、彼女はなぜか突然くすくすと笑い出した。
「えっ……!?俺顔に何か付いてる?」
訳もわからず混乱していると、彼女は笑いを堪えながら説明してくれた。
「私、シュウにお礼を言うつもりでここに来たのに、なんでこんなことになっちゃったんだろうって考えたらなんか可笑しくてつい……」
話を聞いているうちに俺も段々笑いが込み上げてきて一緒に笑い出してしまった。
「それを言うなら俺だってレイアのお見舞いに朝一番に行こうって決めてたのに、起きたら目の前にいるし突然抱きつかれるし……」
「それは……もう忘れてぇ……」
恥ずかしそうに頬を赤く染めて目を逸らす彼女を眺める俺の顔も、おそらくほんのり赤くなっているのだろう。
「それは無理な話だな」
間違いなく一生物の思い出になるだろうなぁと思いながら、どうにかして忘れさせようと「ケーキ買うから」とか「プレゼントあげるから」とか言って必死になっているレイアをからかった。
「そういえばさ、君どうやって部屋に入ったの?」
全ての提案をことごとく拒否されぐったりとしているレイアに、ずっと聞こうと思っていた疑問を話した。
「あぁ、それはね……」
そして俺は彼女からここに来るまでの経緯を聞いた。ところどころ彼女が言葉に詰まっていた。明らかに何か隠していたが、いくら尋ねても彼女は答えてくれなかった。聞き終わったのち、そろそろ部屋を出ようかという時に、彼女が聞き忘れていたことを思い出したかのように俺を席を立とうとした引き留めた。
「さっき話してて思い出したんだけど、シュウも診療所のおばあさんに私と同じ質問されたんだよね?なんて答えたの?」
「自分の命を危険に晒してまで救う価値があったのか」という質問のことだろう。自分は適当にはぐらかしておいて、俺には言わそうというのか。
「君が言わないんだから俺も言わない」
彼女はそれもそうか、と割とすんなり引き下がった。正直助かった。
なぜって?
真剣な表情で「好きだから」って言ったなんて、言えるわけないだろ?
投稿ペースを安定させたい…




