31.目覚めと生きるということ
治療が全て終わりようやく宿に通された時には既に日が傾き始めていた。
俺は宿のベッドに吸い込まれるように倒れ込んだ。レイアが心配でたまらなかったが、俺自身の身体の疲労も相当なものだったようで、数分としないうちに眠りについてしまった。
明日の朝一番にレイアのお見舞いに行こうと心に決めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
早朝、西向きの小窓から入り込んできた日差しで私は目を覚ました。見慣れない木製の天井が目に入り、まだ生きていることをなんとなく理解した。
「ここは……?」
身体を起き上がらせて周りを見ようとしたが、腕に力が入らずベッドから崩れるように落ちてしまった。
「痛っ……たぁ……」
辛うじて腕を先に出せたので大した怪我もしなかったが、衝撃で落下して来た瓶や器具が頭にぶつかり、じんわりと熱い痛みが広がった。
「おや?もう起きたのかい?」
物音で気づいたのか、隣の部屋から初老の女性が顔を出した。その表情からは少しばかりの困惑と驚愕が窺えたが、それもすぐに消え、穏やかな暖かみのある表情にとって変わった。
おそらく医師であろう彼女に、私は肩を支えてもらいがらゆっくりと立ち上がりベッドの手すりに掴まってなんとかバランスを保っていた。
魔力がまだ本来の10分の1すら回復していないし、身体的な疲労もまだ完全に消え去ってはいない。身体の節々がぴりぴりと痛むし、視界も少しぼやがかかっている。
「ここは……どこですか?」
しばらく水分を取らなかったせいか、自分でもびっくりするくらいの掠れた小さな声で女性に訊ねた。それでも言いたいことは十分に伝わったようで、彼女は水の入った小さな木製のコップを私に渡し、包み込まれるような暖かな笑みを浮かべた。
「ここはアルハの診療所。大怪我して意識のないあんたをシュウっていう男の子がここまでおぶって来たんだよ」
それを聞いて私は顔を上げた。
「え……?なんで……?どうやって……?」
せめてシュウだけでも生きて欲しいと願って咄嗟に、そして強引に発動させた転移魔法だったが、それでも10キロ以上飛ばしたはずである。その後、私の魔力が完全に尽きるまで長めに見積もっても15分前後。彼も相当な怪我をしていたはずなので、戻ってくることはおろかその場を動くことすら難しかった筈だ。
そんな考えから浮かんだ疑問だったが、無意識のうちに口に出してしまったらしい。いつの間にかベッドに腰掛けていた女性が、服の裾を引っ張って半ば強引に私を座らせた。
「あの子から大体の経緯は聞いてるよ」
黙ったまま俯く。助けようとしたのに逆に助けられてしまった。どんな顔をして彼に会ったらいいのかわからない。
「自分を犠牲にしてまであの子を救いたかったんだろ?」
顔も声も穏やかなままなのにどこか棘の感じられる言葉だった。否定も反論も出来ず、小さく頷いた。
「それはあの子も同じだよ」
はっと顔を上げて女性を見つめる。
「あの子もあんたを救いたいって思ったから無茶をしてまで強敵に立ち向かって行ったんだよ」
「私と……同じ……?」
「そう。あんた達は良くも悪くも似た者同士なのさ」
「そう……だったんだ」
彼が私と同じことを思って私を助けてくれた。その事実がただただ嬉しくて、少し恥ずかしくもあって、私は何度もその言葉と繰り返した。自然と笑みが溢れ、同時にあんな状況から生き延びたという実感が湧いてきた。
「勇敢と言えば褒め言葉に聞こえるかもしれないけど、私はそうは思わないよ」
私の興奮が落ち着き始めたのを見計らって彼女が真剣な眼差しで私を見つめながら呟いた。
「どうしてそう思うんですか?」
少しむっとして返す。私は自分がしたことに後悔はなかった。たとえ、あの時殺されていたとしても1人の命を救ったことを誇りに思うだろう。だからこそ、彼女が言っていることの意味がいまいち理解出来なかった。
「これはあの子にも言ったことなんだけどね。自己犠牲を英雄の代名詞か何かと思っちゃいないかい?……もし仮にそんなんだとしたら、それはとんだ勘違いだよ」
長年の経験から語っているような彼女の口振りに私は再び黙り込んでしまった。確かに彼女の言った通り、少しばかり『自己犠牲』という言葉を履き違えていた節はある。
「でも……私は後悔していません」
喉から絞り出した言葉で精一杯の反論をする。
「そうだろうね」
しかし、帰って来たのはあまりにもあっさりした返事だった。
「じゃあ一つ聞かせてもらうよ。あんたにとってあの子は、シュウは命を危険に晒してまで救う価値があったのかい?」
「あります!!」
即答だった。彼を見捨てるなんて選択肢はない。あれは王女としてではなく、一人の親友としての判断だ。
「ほぅ……それはどうしてだい?」
細い目から発せられる鋭い眼光が私に突きつけられる。
「シュウは私にとって初めての男の子の親友です。今まで出会った男の人は……みんな私のことを王女だからと言って少し距離を置いたり、下心を隠して近寄って来たりする人ばかりでした」
一月前の彼との出会いから今までを思い返しながら、必死で言葉を繋げていく。
「でも彼はそんなこと全然無かった。1人の女の子として接してくれたんです。私は……それが凄く嬉しかった」
気づくと涙が頬を伝っていた。それが嬉しさから来るものなのか、死の恐怖から解放された安心感から来るものなのか、すぐにはわからなかった。
「だから……私は彼に生きて欲しいって思ったんです。失いたくないって思ったんです」
言い終わる頃には私の目からは涙が止めどなく溢れていた。
私の必死の訴えをすぐ側で聞いていた女性はそれを聞いて満足したようで元の柔らかな表情に戻ると、よく言ったと胸に抱え、優しい手つきでそっと頭を撫でてくれた。その手をもういない母と重ねてしまい、私は更に泣いてしまった。
「すいません、もういい年なのに……」
時間にして10分ほどだろうか。涙が止まるまで女性はずっと私を抱きしめ、撫で続けてくれた。
「まだ16でしょう?まだまだ子供よ。好きなだけ泣きなさい」
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
そう言って今できる満面の笑みを浮かべると彼女は安堵したようにうんうんと頷いた。
「覚えておきなさい。自己犠牲をしてまで相手を救う必要があるのか、よく考えて行動することよ。案外すぐ側に別の方法が転がってたりするものだからね」
年の功というのだろうか。彼女の言葉にはどこか重みがあった。
「はい。座右の銘にします」
そう言うと彼女は照れ臭そうにそこまでしなくてもいいけどねぇと笑うのだった。
「そういえばシュウって今どこにいるんですか?」
空間魔法から予備のコートや着替えを取り出しながら、隣で器具の片付けをしていた女性に訊ねた。
「ん?あぁ、言ってなかったかい?ここから5分くらいのところにある宿屋だよ。赤い屋根の目立つ建物だからすぐわかるよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「会いにいくのかい?まだ回復しきってないんだから気をつけなさい。1週間は安静にね」
その後、簡単な挨拶をしてから診療所を出た。まだ日が登り始めたばかりで少し肌寒かったが、村のあちこちですでに村人が動き始めていた。
私は教えてもらった目印と簡単な地図(診療所を出る直前に渡してくれた)を頼りに村の中央にある宿を目指した。
「おはよう姫様」
「もう怪我は大丈夫?」
「動いて大丈夫なのかい?」
宿に向かうまでの間、多くの村人達が私やシュウの心配をして話しかけてきた。お父さんやクロスから「村はいいぞぉ」と言われてきたが、その訳が少し理解できた。
「ひっ!姫様っ!?もうお身体は大丈夫なのですか!?」
村人達と少し話しながら進んでいると、調査隊の印である馬に跨る剣士のマークが胸に施された白のコートの青年が驚いた様子でこちらに駆け寄ってきた。
「あっ、ユーリさん。おはようございます」
「あ、お、おはようございます……。じゃなくて!もう……動いても大丈夫なのですか?」
私の身体をまじまじと見つめながら、恐る恐る尋ねてくるユーリに、私は大丈夫だと言わんばりに笑みを浮かべてやった。おまけにピースサインも付けておいた。
「そ、それなら構わないのですが……」
ひとまず安堵したが、どこか納得のいかない表情を浮かべるユーリに、私は詰め寄った。
「シュウは?大丈夫なの?」
「はい。シュウくんは大した怪我もなく。そこの宿の2階、階段を登って右端の部屋に泊まってますよ」
と言ってポケットから取り出した鍵を渡してきた。
「これ、シュウくんの部屋の合鍵です。万が一の時のために預かっておきました」
彼から鍵を受け取り、お礼もそこそこに私は宿に向かって駆け出した。たった数十メートルの距離がとてつもなく遠く感じられるほど私の体力は落ちていた。ただ1秒でも早く彼に会いたかった。
飛び込むように宿に入り、2階へ続く階段を探す。受付にある程度話が通っているらしく、私の顔を見るなりすぐ案内してくれた。
そうしてやって来た部屋の前。受付の人が戻った後、私は扉の前で佇んでいた。
どうやって入ろう……。気さくに?申し訳なさげに?それとも無言で?
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら考えたが、結局普通にノックして入るのが無難だろうという結論に行き着いた。
恐る恐る扉を2回ノックする。返事はない。まだ寝ているのだろうか?
物音を立てないようゆっくりと鍵を入れて開け、そのままゆっくりと開く。隙間から顔を覗き込んで室内を見渡すと、奥のベッドで寝ている彼が目に入った。ひとまずほっとして部屋に入り、またゆっくりと扉を閉める。
出来るだけ足音を立てないようにしながらベッドの側まで近づくとこのひと月で何度も見つめた、どこか子供らしさの残る顔と天然パーマだが比較的落ち着いた黒髪が目に入った。
「……っ!……っ!」
感極まって思わず抱きしめそうになったが、我慢我慢と頭の中で連呼して堪える。
小さな呼吸音ともに胸を上下する彼は、騎士隊のコートの下に着ていた黒のTシャツに紺色の機能性ジーンズという姿だった。着替える余裕もないくらいに疲弊していたのだろう。すぐ側の椅子には所々が破け、血で真っ赤に染まってしまった騎士隊コートがかけられていた。
「ありがとう。助けてくれて」
円形の小さな机の側にあった別の椅子をベッドのすぐ隣まで動かして座り、彼の寝顔を眺めながら小さく呟いた。
心なしか、彼の表情が少し緩んだ気がした。




