18.温泉の邪魔者
終わりの見えない湯船から視界を覆うほどの湯気が湧き出ている。俺はこの温泉の広さに驚きを隠せなかった。正直舐めていた。王城のあの大浴槽よりは小さいだろうと。そんなことはなかった。王城のお風呂など比べ物にならない、体育館1つは余裕で入るであろう湯船から俺は周りの光景を見渡していた。
正面には和風の温泉にぴったりと合う渋い色合いの木造の脱衣所があり、後ろには10メートルはあろう崖から温泉湯が流れ込んでいる。天然の温泉滝である。もはや絶景としか言いようがなかった。
ただ、ひとつだけ気になることがある。
この温泉、混浴なのだ。
いや、分からないことはない。こんなにも広い温泉だ。こんなのが男女別にそれぞれあったらとんでもない面積をこの宿が占めることになる。
混浴なので当然前はタオルで隠しているが、たまーに、本当にたまーにだが……いるのだ。
隠さない人が。
それが子供ならまだ理解できるのだが、いい歳した男性が全く隠す気もなく歩いていたのには衝撃を受ける。
だが、これもまだいい。まだしょうがないと吹っ切れられる。
ただ、女性はダメだ。目のやり場に本当に困る。男を誘いに来ているのだろうか、あの人たちは。
しかしこうなってくると不安が1つ出てくる。
レイアはどうするのか、ということである。
まさか、まさかとは思うが隠してこないということがあるのではないか、という不安と彼女のありのままの姿が見えるのではないか、という思春期の男子特有の期待を抱きながら彼女が入ってくるのを待っていた。
「お、お待たせ……」
それから1分もしないうちにレイアはやってきた。
ちゃんとタオルで隠して。
うん、知ってた。ちょっと期待したけど王女がそんなことするとは到底思えないしね……。
俺が密かに落胆しているとレイアは何を思ったか湯船に浸かると俺のすぐ隣、腕が当たるほどの距離まで接近してきた。
「レ、レイア?ど、どうしたのでございますです?」
どこが、とは言わない、言えないがちょっと危ないのだ。主に俺の腕が。
動揺を隠せず、自分でも意味不明なことを言っていると実感できない。顔に熱がこもっていくのがよくわかる。
危険な状態に陥っている俺にレイアはあろうかとかさらに近寄ると恥ずかしそうに頰を真っ赤に染めながら小さく呟いた。
「だ、だって、こんな格好で一人でいたら何されるかわかんないんだもん……」
正論だ。レイアのような超がつくほどの美少女が一人で、しかも混浴の温泉にいる。まぁ、嫌な予感しかしないだろう。宿の方はそういうことを予測してか、奥には隔離された特別エリアがあるほどだ。
「……俺が何かするって可能性は考えなかったのか?」
顔を合わせられず、レイアと背中を向かい合わせながら話を続ける。
「そ、それは……考えたけど……」
「けど?」
「シュウなら……大丈夫かなぁって」
思っていた以上に信用されていたことに喜びを隠せず、そうか、と返すのが精一杯だった。
可愛すぎるだろ……。
そうして互いに顔を真っ赤に染めたまま、湯船に浸かってしばらく経った時だった。
グギィ……。
微かに何かの鳴き声が聞こえた。
はっとしてその声の方、崖の上を向くとゴブリンと思われるシルエットが湯煙越しに薄っすらと見えた。
その数、確認できるだけでも4匹。
まずい……!!
ゴブリンは繁殖力が高く、自身と同じ人型の種族ならどれでも交配が出来るモンスターである。
そんな奴らがここに飛び込んできたら、考えただけでも寒気がした。
「シュウッ!!」
レイアが俺を見つめる。対処してみろ、と言いたいのだろう。
「はっ!」
返事をすると同時にゴブリンのうちの1匹が崖から飛んだ。下にいる人の大半は迫り来る悪魔の存在に気づいていない。
やるしかない!
ーーー無属性魔法……
「……ブーストッ!」
ほんの僅かな間のみステータスを大幅に上昇させる魔法を使い、水面を思いっきり蹴って飛び上がる。その音でようやく異変に気づいたのか数人が悲鳴をあげた。
「グギァ!?」
そしてゴブリンは驚愕の表情を浮かべながら自由落下の法則に逆らうことが出来ずにその隙だらけの胴体を晒している。
ーーー六葉流体術 十二式……
「……くの字蹴り!」
気合入れのために声を出しながら、その腹に容赦なく上蹴りを入れる。
「グベェ!」
ゴブリンは短い悲鳴をあげて上空へと打ち上げられる。くの字に曲がった胴体めがけて俺は2撃目を加えるべく体制を空中で無理矢理整え、空気を蹴る。強化された俺の足は空気を捉え、さらに高く飛び上がる。
ーーー六葉流体術 十二式……
「狙撃っ!」
そして崖よりも高い位置で強烈な横蹴りを食らわせ、仲間のいる方へと強制的に吹き飛ばす。《狙撃》は相手を狙った場所に蹴り飛ばす技、使うのは久しかったが上手く決まってよかった。
仲間を呆気なく吹き飛ばされたことに怯んだゴブリンたちはすぐに後ろに振り向きギャアギャアと鳴きながら逃げていった。俺が蹴った奴は気を失っているのかずりずりと引き摺られながら連れていかれていた。
それを確認した俺は先程のゴブリンと同じように自由落下する。残念ながら、今の俺の実力では空中ジャンプは1度までしか使えない。このままだと水面に落下するが……。
「ほっ!」
弾力のある球体の水に着水?着地?した。
「ありがと!」
「どういたしまして!」
レイアの魔法によって受け止められた俺に周りからは拍手の嵐が沸き起こった。
誇らしい気分だった。
その後の客たちの行動は思っていたよりもずっとあっさりしたものだった。湯船から上がって逃げ出すのかと思いきや、皆再びゆっくり浸かり始めたのだ。異世界人の肝はどうやら太いらしい。
危険な出来事であったがひとつ良いことがあった。
レイアと正面から向き合って話せるようになったということだ。レイアは水滴でより輝きを増したシルバーブランドの髪を後ろでひとつに束ねた、いわゆるポニーテールにして入浴していた。長い髪は入浴時には邪魔になってしまうのだろう。そして前はたった1枚のバスタオルで隠されている。そのため、普段はあまり目立たない胸が目立つのである。
俺も男だ、それも年頃の。レイアの胸に時折目が行ってしまうのは仕方ないことだろう。彼女のそれはお世辞にも大きいとは言えないが、スタイルの良い華奢な身体と良く合っていると心から思う。俺は別に大きい方が好きというわけではない、むしろこれくらいが丁度いいと思っている。
俺の目線がそこに向かっているのにとっくに気づいているレイアはすこし頰を赤く染めながら口を開いた。
「シュウ……その……あまりそこばっかり見られると恥ずかしいよ」
「え!?あっ、いや……ごめん」
こればっかりは男の性なんです、申し訳ない。
「レイアって……その、結構あるんだな……」
……何言ってんの俺?
「話、聞いてた?」
ジト目でこちらを見ながらレイアが呟く。
「聞いてたけど……人並みよりはあると思うよ……」
「あ、そ、そう?ありがと……?」
互いにまた顔を真っ赤に染め気まずい雰囲気になってしまう。温泉でなんて会話してんだ、と自分を殴りたい。
そして目の前で同じように真っ赤になって俯いているレイアを横目でちらりと見て、
いつまでこうして二人きりで居られるんだろう……。
と思ってしまった。