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第79話 狂気



 その男はひどく疲れ切った顔をしていた。


 まるで何かから逃げ出したように。

 まるで何かから追われているように。


 その男はひどく怒りに満ちていた。


 まるで何かを奪われたように。

 まるで何かを取り戻そうとしているように。




「……貴様ァ……」


 積年の恨みを込めたような視線は、ヒナでもなく、キンさんでもなく、明らかに俺を捉えている。

 しかし全く腑に落ちない。

 俺はこの男からこれほど濁り切った瞳で睨まれるような覚えはないのだから。


「わたしになにか用なの?」


 敢えてそう聞いてみる。

 様子見と人違いである可能性を考えて。


 だが今の俺は幼女アバター。

 このワールドに多分ひとつだけの。

 つまり、後者の確率は限りなく低い。


 男はガシャリと濃い紫色の鎧を鳴らしながら俺を指差した。

 同時に黒いマントが翻り、それに刻まれたエンブレムが目に入る。


「……ハンティングオブグローリーのお出まし、か……」

「ツナお姉さんの知り合いでしょうか?」

「うむ。彼は団長の『幻魔ゲンマ』だね。アキくんたちも知っているだろう?」

「……ああ、別ゲーでだけどな。よーく知ってるよ」

「! あの人が幻魔さんですか……!」


 俺とヒナが以前やっていたMMORPGの中にも廃人集団『ハンティングオブグローリー』は存在していた。

 そこでも彼は廃人たちを率いていたのだが、そのやり口ゆえに賛否両論が常に付き纏う団でもあったのだ。

 割合としては賛が2割、否が8割といったところであったが。


 ボスに四六時中粘着してリポップとドロップアイテムを独占しやがったりな。

 近付く他のプレイヤーは当然やつらにPKされまくるわけだ。

 しかも、それ(ボス狩り)を維持するためにメンバーの数人が仕事の退職を強要された、なんて話もあったぞ。

 いずれも発覚後はとんでもなく大炎上してた。


 そりゃそうだよな。

 他人の人生までブチ壊してんだからよ。

 俺らもこいつらにゃどんだけ苦汁を飲まされたかわかんねぇや。

 でも別に恨んじゃいないぜ。

 ヤツらを排除できなかったのは俺たち(他プレイヤー)の力不足なわけだし。



「……全て貴様のせいだ……!」


 幻魔は絞り出すように言う。

 無論、俺に心当たりはない。

 そして突きつけられた指は俺のほうを向いている。


 俺のせい?

 うーん…………うん、わからん!

 知らんところでなにかやらかしたっけ?

 全然記憶にねぇんだけどなぁ。

 そもそも【OSO】内じゃコイツとは初対面だぞ。


「お……わたしがなにをしたっていうの?」

「貴様はオレの一番大事なものを奪ったのだ!」

「へっ?」


 寝耳に水とはまさにこのことだろう。

 人様の大事なもの知らぬ間に奪い去っていたとは。


 いや、マジ知らねーって。

 俺はなんもやってない!


「あのさ、全然身に覚えがないんだけど、それって本当にわたしのこと?」

「今更(シラ)を切るのかァッ! オレの愛するツナは貴様のせいで我が団を去ったのだ!」


 ものすごい勢いで言い切る幻魔。

 事態が飲み込めず数秒ほど考え込む。


「へ……? ……えぇぇぇ!? 『ツナ』って、もしかしてツナ姉さんのこと!?」

「うわっ! これはつまりアキきゅんが泥沼の……」

「……三角関係に巻き込まれたってことだろうねぇ。はっはっは、やるじゃないかアキくん」

「ヒナもキンさんものん気すぎない!? 奪ってないよわたし!? ツナ姉さんのほうからパーティーに入れてくれっていわれただけなのに! ……確かに最近ツナ姉さんのエンブレムが消えてて不思議には思ったけど……」


「とぼけるな! 幼子の癖にどうやってツナを口説き落としたのだ! このアバズレめが! ……そうか……その容姿だな!? あやつは愛らしいものに弱い、その性癖に付け込んだのだな!? その年齢でなんという手練手管を!」


 幻魔の言い様はさすがにカチンときた。

 中身は男だが、無辜の幼女に向かってアバズレとは随分と言ってくれるものだ。


 負けてられっか!


「ツナ姉さんは真面目な人だから、あんたたちのやり方に嫌気がさしたんじゃないの?」

「……ぐっ! そのようなはずはない! ツナはオレが育て、目をかけてきたのだ! だからこそなぜ愛するオレを捨てたのか真相を確かめるべく、こうして追ってきたのだぞ!」

「うわぁ……典型的な思い込みの激しいストーカー野郎じゃん……S県月宮の話を思い出すんですけど……」

「……最悪ですねこの人……ツナお姉さんに愛されてると思ってるみたいですよ……」

「……きみは男のクズだね。僕から見てもキモい……」

「や、やかましい! 外野は黙らぬかっ!!」


 ヒナやキンさんにまで容赦なく突っ込まれ、激昂する幻魔。

 図星を付かれた時ほど激怒するものだ。


 ちなみに『S県月宮』とは某MMORPGの都市伝説みたいなもんだ。

 とある男性プレイヤーを好きになってしまった女性プレイヤーが、リアルでもストーカー行為に及んだ挙句、ついには凶行に及んでしまうという……おー怖っ!

 『お兄ちゃんどいて! そいつ殺せない!』ってセリフが当時は一大ブームを巻き起こしたとか起こしてないとか。

 ま、それは置いておいて。


 幻魔の凄まじい怒声に、NPCだけでなく、プレイヤーたちまでが何事かと集まってきたのだ。


「なんだなんだ? 喧嘩か?」

「おい、あれってハングロの……」

「ああ、幻魔だな」

「なんで廃人団の団長がこんなところに」

「新大陸の攻略がポシャッたからじゃね?」

「あのバカが邪神を解放したって噂だもんな」

「幼女! 幼女がいる!?」

「やだ、なにあいつ。小さな女の子相手に怒ってるの?」

「最低だわ」

「……幼女可愛い……!」


 俺たちを遠巻きにしながら好き勝手にざわつく見物人ギャラリー

 それでも割って入る者がいないのは、腐っても廃人団からのとばっちりを受けないようにするためだろう。

 恨まれでもすれば後々厄介なことになるとでも考えたようだ。


 外野は気楽でいいねぇ。

 よかったら当事者の座をお譲りしますよ?



「さぁ、早くツナを出せ……!」


 ギャラリーをねめつけ、チッと舌打ちしながら幻魔はいう。

 見物人の数に多少の焦りを覚えたのかもしれない。


 そしてそんなくだらぬ問いに出す答えなど、俺の中ではとっくに決まっている。

 だから俺は、ぺったんこだけど大きく胸を張ってこう言ってやった。


「お断りよ」


「なぜだ!? ツナはオレの恋人なんだぞ!?」


 うわっ。

 とうとう恋人って言っちゃったよこいつ。

 図々しいにもほどがあるだろ。


「ツナ姉さんがあんたを好きっていったの?」

「いわずともオレにはわかるのだ!」


 あー、ダメだこりゃ。

 目がイッちゃってる。


「最早御託は不要! アキよ! 決闘を申し込む! オレと立ち会え! 貴様を倒せばあやつとて気付かざるを得ないだろう! ツナが真に愛しているのはオレだということに!!」


 濁り切った目の中に愉悦の感情が垣間見える。

 いや、これは自己陶酔などではない。

 ────狂気だ。 


「やだね。わたしには戦う理由なんてないもん」


 と、こんなヤツに関わりたくない俺が答えた時。


「そうですよ。アキきゅんがなにをしたっていうんですか!」

「幻魔さん。済まないが話は『保護者』の僕を通してもらわないと困るね」


 ズイッと前に出たのはヒナとキンさんだった。


 バ、バカー!

 関わり合いに行っちゃったよ!

 しかもキンさん……自分から『保護者』の道を選ぶなんて……不憫な男だ……


「否! アキよ、貴様はすぐにこのオレと戦いたくなる……!」


 口角を不気味に上げた幻魔の意図を察し、ヒナたちに警告を発しようとした瞬間。



 ザシッ



「キャアアアア!」

「うぐああああ!!」


 港にヒナとキンさんの絶叫が響き渡たり、同時にギャラリーからも悲鳴が上がった。


 見るまでもない。

 幻魔が巨剣で一閃したのだ。


「ぎっ……がはっ……!」

「ぐうぅぅぅっ…………!」


 俺は二人に駆け寄り傷を確かめる。

 ヒナは腹を裂かれ、ビビッドレッドのエフェクトを撒き散らしていた。

 現実なら間違いなく内臓がはみ出るほどの重傷だ。

 HPも9割がた減ってしまっている。


 一方のキンさんは……右腕がない。

 ボトリ、と今ごろになって空中から腕が落下してきた。

 いわゆる部位欠損状態である。

 これは数分間に渡り回復魔法をかけても部位は欠損したままとなり、戦闘においてはペナルティを受ける状態異常の一種であった。



「その傷はしばらく治らんぞ! 我がユニークウェポン『ダインスレイヴ』とユニークジョブ『カースナイト』の特殊効果によってな! これで貴様も戦う気になっただ……ろう……」



「……テメェ…………やりやがったな……」



 俺は蒼く燃え上がる瞳で幻魔を睨みつけ、ユラリと立ち上がったのだった。



 烈火の如き怒りを気迫に変えて────




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