第132話 超規模渡航計画
「アキちゃ~ん! あへあへ」
ものすごい内股の女の子走りで近付いてくるのはハカセであった。
それはいいのだが、動きが誇張されすぎてキモいことこの上ない。
息の切らせかたもどことなく卑猥に聞こえた。
そう思ったのは俺だけではないらしく、港の人波がまるでモーセの十戒の如くサーッと分かれていく。
そんなハカセの姿を視認した途端、サングラス越しにでもわかるほど急激に瞳から光が消え失せたのはキンさんである。
この男は様々なトラウマを抱えすぎではなかろうか。
異性方面でも同性方面でも。
ともかく、呼ばれたのは俺だ。
ならば嫌々でも応答するしかあるまい。
「どうしたのハカセ」
「あん! どうしたのじゃないわよォ。アキちゃんには話しておいたでしょォ?」
くねんくねんと腰をくねらせるハカセ。
せめて仕草だけでもなんとか女性らしさを醸し出そうと必死なのかもしれないが、やはり誇張がすぎて……いや、多くは語るまい。
首が捩じ切れそうなほど顔を背けているキンさんや、周辺にいるプレイヤーとNPCまでもが関わり合いになりたくないとばかりに、そそくさ逃げだすその様子だけで、ハカセが他人にどのような印象を与えているかは火を見るよりも明らかだ。
決して悪い人間ではないのだが……
むしろ完全に女性化してしまった俺のほうこそハカセを見習ってもっと言動には気を付けるべきなのであろう。
だが俺は内面的にも男のままでありたいと思っている。
心根まで女性になってしまっては、いずれ男性に戻れた時にナヨナヨクネクネした中途半端なオカマと化す懸念しかないのだ。
そんな彼氏じゃヒナも泣くよきっと。
「え、なんだっけ? あ、キンさんと団長会議したいって話? どうぞどうぞ、いくらでも連れてって」
すぐ隣で『ギヒィ! 生き地獄!』とか聞こえた気もするが無視しておこう。
俺は自分が生き残るためなら誰でも犠牲にする覚悟がある!
ただし、生贄にするのは男だけだが。
「勿論、キンさんとは後で熱い舌戦を交わすわよォん! でも、今はもっと大事な話があるのォ。予てよりの計画がようやく進展したのよォ」
「ほんと? 朗報だね」
「(捕まる前に転移魔法で逃げ出そう……)ところでアキくん……予てよりの計画とはなんだい?」
俺の背後からキンさんがおずおずと尋ねる。
この男は恐怖を逃れるために幼女の影へ隠れるほど落ちぶれてしまったようだ。
しかも、話したはずの事柄も綺麗さっぱり忘れているらしい。
若年性認知症だろうか。
「第二大陸超規模渡航計画だよ」
「あぁー! 大船団を組んで一気に大人数で海を渡るって言うアレかい?」
「うん」
「そォよォ! あなたたちも【ジングルオールザウェイ】を倒して無事にノースエンドへ到達したわけだしィ、それが千人規模ともなると船の調達も大変だったんだからァ!」
「ん。ハカセには感謝してるよ。大変な役を押し付けちゃってごめんね」
「あはァん! アキちゃんにそう言われると嬉しいわァ! キンさんもあたしを褒めてェ!」
「……【The Princess Order】を代表して御礼申し上げます、ハカセさん。あなたのご尽力に感謝してますよ」
「……ッ! ッッ!!」
声にならぬ絶叫を放つハカセ。
キンさんに感謝されたのが余程効いたようである。
どれだけ彼が好きなのか。
ともあれ、これで難題だった渡航にも目処が付いた。
まさか船まで自分たちで調達しなきゃならんなどとは思ってもみなかったのだが。
普通、こう言った長距離移動手段くらいはシステム側で用意しておくものではないのか。
『簡単には進ませないし、そのくらい自分たちでなんとかしてみろ』、と言う運営側の気概みたいなものを感じないでもないが、プレイヤー側からすれば甚だ理不尽で、ただただ面倒臭いだけである。
MMORPGと言うより、これではTRPGだ。
しかも、なまじVRなものだから、いちいちリアルすぎてまるで異世界へ転移してしまったような気分に陥る。
思った以上に没入感が強いのは、果たして良いのか悪いのか微妙なところだ。
「さっき埠頭に最後の一隻が入港したところよォ。これでいつでも出発できるわァ」
ウキウキ顔でそう告げるハカセ。
まだ見ぬアバター変更施設へ思いを馳せているのだろう。
その前に立ちはだかる邪神アポピスを度外視して。
ま、気持ちは俺も似たようなもんだけど。
「あはァ! アキちゃん! キンさん! さァ、出航しましょォ!」
「ごめんねハカセ。それはちょっと待って欲しいの」
ハカセは意気込んだところに突如待ったをかけられ、顔面からズッコケた。
余程角度が悪かったらしく、HPが2割ほど減っていた。
器用な男……女である。
そもそも人員が揃っていないのに出発する気なのもどうかとは思う。
出るなら忙しい平日よりも、人の集めやすい休日がベストであろう。
「ど、どうしてよォ!? なんでイかせてくれないのよォ!」
もう少し言い方をどうにかしてほしいが、これこそがハカセのアイデンティティなのだろうと諦める俺。
なにも俺とて理由なく止めたわけではない。
丁度話を終えたのか、数名がこちらへ向かって歩み寄ってくるのが見えた。
先頭をヒナが、その後にツナの缶詰さんが続く。
彼女らは俺たちと別行動を取っていたのだ。
ある諮詢を行うために。
ヒナとツナの缶詰さんの後ろにいる二人。
それは聖ラとぺろり~ぬであった。
「ツナ姉さんがね、更なる力を求めているの」
「どういうことォ? あの子、火力から壁に転向したんじゃなかったァ? アキちゃん、あなたを守るための騎士としてさァ」
話が見えず、キョトンとするハカセ。
頭の良い彼女にもわからないことが……山ほどあるらしい。
「うん。でも、それだけじゃ邪神アポピスに対抗できないって考えたんだと思う」
「んんー? あれってェ……聖ラちゃんとぺろり~ぬちゃん? 元ハンティングオブグローリーの幹部だった二人じゃないのォ…………まさか……!」
「そう。ツナ姉さんはわたしのためなら忌むべきことも厭わないみたい。彼女が求めるのは、かつて幻魔が保有していた騎士系上位のユニークジョブ。【カースナイト】だよ」




