第128話 姉弟子
「フッ!」
短く息を吐き、俺へ向かって打ち込まれる山科さんの右拳。
速度、踏み込み共に圧巻の鋭さだ。
それをすんでのところでどうにか躱せたのは、中段突きと言うものが基本的には腹を狙って打つものだと身に染みていたからであった。
地獄のシゴキで強制的に覚えさせられたからな……
恨むよ爺ちゃん……今だけは感謝してるけど。
「山科さん!? 私のあきのん先輩になにをするんですか!?」
ヒナの悲鳴にも自慢にも似た叫びは、山科さんと俺に届いていなかった。
図らずも俺の口角が上がった気がする。
見れば山科さんの鉄面皮もほんの少し口元が歪んでいた。
────笑いの形に。
たった一撃の攻防で、お互いがお互いを『やる』と確信したのだ。
「あきのん先輩が笑ってる……山科さんも……」
ヒナの呟きを合図に山科さんの第二撃がうなりを上げて飛んできた。
その繰り出された左拳を体捌きしつつ右掌でいなす。
自らの勢いでバランスを少し崩した山科さんへ、地面を思い切り踏みつけ必殺の肘打ちを────屈んで躱した!?
この距離と角度で!?
しかも俺より大柄な女性が!
驚きを隠しながら、しゃがんだ山科さんに前蹴りを放つが、ほぼ同時に彼女は俺の軸足を狙って足払いをかけてきた。
咄嗟に左足のみで小さく跳躍する俺。
空を切った己の足を見て山科さんの鉄面皮が驚愕に満ちる。
好機!!
彼女が体勢を立て直すよりも早く着地した俺は、回し足払いによってこちらへ向いてしまった山科さんの無防備な背中に両掌を思い切り!
……打たずにポンと肩を叩いた。
「もう充分でしょ?」
「……ふぅ……」
「はぁ~……ビックリしました……(でもあきのん先輩すっごくかっこよかったぁ~! ……パンツ見えてたけど)」
俺の呼びかけに力を抜いて溜息を吐く山科さんとヒナ。
勝敗は決したのだ。
あのまま俺が全力で背を打てばどうなっていたか、それは彼女が一番よく理解しているはず。
山科さんは無表情で内心は読めそうにないが、ちょっとだけ……いや、かなり悔しそうな気配を出しながら立ち上がった。
以前、初めて会った時も終始こんな顔で、どう接すればいいのかとかなり辟易した覚えがある。
そんな彼女がようやく口を開いた。
「……お見事でございます。あきのんさま」
「あきのんさま!?」
「あ、あはは……そう言えば私、『あきのん先輩』としか呼んでませんでした……」
ヒナのアホー!
名前くらい正確に教えとけっての!
……よく考えたら、俺も前にここへ来た時、『日菜子さんと同じ学校の者です。プリントを届けに来ました』とだけ伝えて名乗らなかったな……
俺のアホー!
だけど、ヒナってば家でも俺の話なんてするんだ……?
な、なんかそれはそれで照れ臭いね。
「あの、あきのんさま。不躾ながら、ひとつお聞きしてもよろしいでございましょうか」
「は、はい?」
うぅ……『さま』付けなんて言われ慣れてないから緊張するよ……
「先程の拳術はどなたから学んだものなのかと」
「(んー、言ってもいいのかな? ……まぁいいか)わたしの祖父に教わりました」
「……あきのんさまのお祖父さまでございますか……? まさか、そのかたは秋雄さまとおっしゃるのでは……?」
「へ? え、えぇ、爺ちゃんは火神秋雄ですけど。ちなみにわたしは火神秋乃と言います」
「なんと!? やはりそうでございましたか! あの拳筋……間違いございません。あきのんさま、わたくしも秋雄先生に師事し、拳を学んだのです!」
「えぇぇ!?」
「そんな話、初めて聞きましたよ!」
山科さんの語る事実に俺もヒナも驚愕するしかなかった。
なんちゅうところで接点があるんだろう。
……ふ~ん、あの爺ちゃんがねぇ。
まぁ、昔から美人に弱いし……
頼み込まれて断れなかったってオチかな。
ってか、なんで山科さんに教えてんだよ爺ちゃん……どこが秘伝の拳術なんだか……
「お孫さまでしたとは……道理で、あきのんさまの発する気が秋雄先生とよく似ていらっしゃるわけです……」
山科さんの鉄面皮が少しだけ羨望の眼差しに変わった。
俺としてはそんなことよりも『あきのんさま』をやめて欲しいのだが。
せっかく名乗ったのに聞いていなかったのだろうか。
「ですが、わたくしは長いあいだ秋雄さまの弟子として修業した身。言わばわたくしがあきのんさまの『姉弟子』にあたるのでございます」
山科さんは余程爺ちゃんを尊敬しているのか、それとも年下の俺に一本取られてプライドが許さなかったのか、急に豊かな胸を聳やかして言い放った。
なかなかに愉快な人である。
しかし俺は彼女ほど祖父を尊敬してはいないのだ!
だってあの爺さん、若いころは各国を放浪してばっかで、婆ちゃんを悲しませてたって聞いたもん。
「失礼ですが、あきのんさまはどれくらいの期間、秋雄先生のもとで修行なさったのでございますか?」
「え、えーと、本格的には最近ですけど、基礎は小学校に上がったくらいから始めたんで、ざっと10年以上は……山科さん!?」
「…………完全敗北でございます」
俺の言葉を聞いた途端、地面にガックリ四つん這いとなる山科さん。
彼女の周囲にだけどんよりとした暗い空気が漂う。
修業期間の長さでマウントを取ろうとしたが自爆したのだろう。
「まさかあきのんさまが姉弟子で、わたくしのほうが妹弟子とは……今後は敬意を込めて『姉上さま』とお呼びいたしましょう」
「やめて!?」
「では、『お姉さま』で」
「余計にひどくなったよ!?」
山科さんは四つん這いの体勢から、それはそれは綺麗な土下座を決めて、更にとんでもないことを言い出した。
「申し遅れました。わたくし、忠実なる日菜子お嬢さまとあきのんお姉さまの下僕にして、松宮家メイドの山科・ビジンスキー・フォン・ユリユリーノ・霧歌と申します」
「しもべってなに!? それ本名なの!? ツッコミどころが多すぎるよ!」
「もー、またそんなわけのわかんないことを言ってからかうー。ダメですよ山科さん。あきのん先輩は私の大事な人なんですから」
「お嬢さまの大切なかたは、わたくしにとっても大切なおかた。ましてやわたくしよりも強くて素敵なお姉さまとあれば……ハッ!? そうでございます!」
何かを思い出したようにババッと一気に立ち上がって、俺の右腕にしがみつく山科さん。
負けじとすかさず左腕を捕らえるヒナ。
「さぁさぁ、こうしてはおられません。わたくしの大切なお姉さまゆえ、丁重におもてなしいたしませんと」
「ちょっ、ちょっと山科さん! あきのん先輩は私のですよ! それにあなたのほうが年上でしょう!? なんですかお姉さまって!」
「…………」
二人に左右をガッチリ固められて声も出ない俺は、連行されるがままなのであった。




