第107話 大地の慟哭
「…………ぅぁぁ~~……ぁぁ……」
か細いキンさんの声は、途切れ途切れなものの、未だ俺たちの耳に届いていた。
ただし、冥府に堕ちた死者の呻きとしか思えないほど不気味にだ。
だが道標は今のところ、この恨みに満ちた悪霊の如き呼び声だけなのである。
「チッ! どっちだ!? どっちから聞こえてる!?」
「こう霧が深いと正確にはわかりませんよ! あと『チッ』はダメですよアキきゅん。せっかくの美幼女が台無しですもん」
「今はそれどころじゃなくね!?」
意外と冷静なヒナへ思わずツッコミを入れる。
土壇場では女子のほうがメンタル的に強い、なんて話も聞くが、まさにそれだ。
どうやら俺にはまだまだ冷静さが足りないらしい。
「……どうもキンさんの声は奥へ奥へと向かっているようですが。いえ、『奥』と申し上げたのは少々語弊がありました。なにせこの濃い血霧の中ではミニマップ機能も失われてしまうらしいので。彼の声は確実に『我々から遠ざかっている』と申すべきでした」
駆け足ながらも耳に手を当て、声の出所を探っていたツナの缶詰さんである。
もしかしたら探索や諜報関連のスキルを使用しているのかもしれない。
うむむ、ここにもやたら冷静な人がいたよ。
いや、とっても頼もしいんだけどさ。
慌ててんのが俺だけってのはちょっぴり業腹だ。
ツナの缶詰さんが言った通り、血のように赤い霧は濃密さを増し、最早2メートル先すら霞んでいる状況であった。
一度でも二人を見失えばどうなるかは火を見るよりも明らかであろう。
「ヒナ、ツナ姉さん。絶対はぐれないようにしよう」
「ですね」
「承知しました」
「……で、これはなに?」
ヒナとツナの缶詰さんは俺の言葉に頷くやいなや、ガッシと手を握ってきたのだ。
二人とは身長差があるため、自動的に俺の両腕は万歳の形になる。
ちょっと待って。
この絵面どっかで見たよ!
CIAだかFBIだかに連行される宇宙人だろこれ!?
いくら幼女だからって、これはあんまりだ!
とはいえ、はぐれぬためにはこれが最善なのも重々理解している。
頭では。
故に、眉間に寄った皺を感じつつ、そして屈辱感に苛まれながらも俺は無言を貫いたのであった。
ただ、三人並んで移動する以上、どうしても歩みは遅くなる。
俺の歩幅が異様に小さいせいでもあろう。
その間にもキンさんの声はどんどんか細くなっていく。
そういやさっき、ツナ姉さんが探索かなにかのスキルを使ってたよな。
些細な情報でも入ってないか聞いてみよっと。
「ツナ姉さん、おおよそでもいいから方向とかわからない?」
「はい。キンさんの声は、左右の耳に聞こえてくる際、若干の時差があります。その差が無くなる方角へ顔を向け、両耳の間を二辺として……」
「なにそれすごい! 三角測量かなにかなの!?」
まさかの自力計算とは!
便利スキルを持ってるより遥かにすげぇぞ!
ツナ姉さんは超リケジョか!?
とにかく、向かうべき方角はわかった。
後は追うのみ。
待ってろよキンさん。
と、意気込んだ時。
グゴォォォォォン…………グゴォォォォォン
臓腑を揺るがすような、腹の底まで響くほどの重低音が、突如鳴り渡ったのである。
「な、なんだこりゃ?」
「うぅっ……なんですかこれ? ……気持ち悪い音……なんだか良くないことでも起きそうな……」
「……私もこのような音は非常に苦手です……あぁ、もう鳥肌が」
本気で怯えているのか、俺の両手を握る二人の手に力がこもった。
確かにこれは、世界の終末を知らせる音として有名になった『アポカリプティックサウンド』に似ている。
俺も以前ネットの動画で聞いたが、まるで地球そのものの慟哭と感じたものだ。
原因は依然としてわからぬが、地底の奥深くにあると言う核になんらかの異常が発生してあんな音を発生させているのだろうか。
……ん?
地の底、か。
この足元を震わせる振動……
もしや音源は地下か?
「ちょっ、アキきゅんアキきゅん! 見てくださいよ!」
「うおぉ!? 揺さぶるなよヒナ……なっ……」
グラグラ揺れる視界の中で、俺は大きく目を見張った。
なんと、血煙のような霧の中から次々に生気のない目をしたNPCたちが、ゾンビの如き足取りでフラフラと現れたのだ。
それもただのNPCではない。
幻魔らを含む、かつてプレイヤーだった者も交じっているではないか。
そいつらは皆、俺たちを顧みることすらなく一様に同じ方向へノタノタと歩いていく。
まるで何かに導かれるように。
「なんなんだよいきなり……」
「さっきまでボーッと立ってるか、同じところをグルグル歩いてましたもんね……」
「……幻魔さん……」
フルフェイスの兜なのでどんな顔をしているのかまではわからないが、ツナの缶詰さんの声は複雑な感情を孕んでいた。
自らの手で彼にBANと言う引導を渡す形となった俺も、色々と思うところはある。
いや、実際にBANをしたのは運営チームなんだけどね。
俺はいきなり襲われたもんだから、降りかかる火の粉を払ったまでよ。
まぁ、どう考えても幻魔の逆恨みだったわけだが、俺がブッ倒しちまった結果は変わらんしなぁ。
もにょもにょした気分になっても仕方あるめぇ。
自分に目もくれず歩き去る幻魔の背中を、ツナの缶詰さんが無言で見送っている。
あれほど彼女に執着していたあの幻魔とは思えない。
つまり、こいつは本当にNPCなのだろう。
幻魔の気持ちはどこへ行ったのか。
今でも彼女を想い続けたままなのか。
彼は今、現実でどう過ごしているのか。
そんな俺の些末な感傷を破壊してくれるのは、いつだって愛すべきヒナなのである。
「ねぇ、アキきゅん」
「ん? なに?」
「急にNPCが動きたしたのは、やっぱりさっきの大きな音のせいなんですかね?」
「! ……なるほど、確かにそうかも……あの音がなにかの合図、例えば鐘、とか……? うん、充分考えられるね。さすがヒナ、天才だなぁ」
「えへへー」
俺に褒められて子供のように破顔するヒナ。
時折見せるそんな表情が俺は大好きだった。
「ただ、みんなどこへ向かってるんでしょうね……?」
「そういやあいつら全員同じ方向に……まさか……! ツナ姉さん! ツナ姉さん! ぅおい! 呆けてる場合じゃないよ!」
「……へ? あっ、はい、アキさん! 何用でござりまするか!?」
つないだままの手をブンブン振ってやると、ようやくツナの缶詰さんは思考の水底から帰って来てくれた。
慌てすぎて武士のような口調になっているのが面白い。
「ツナ姉さん、NPCが向かってるのはキンさんの声がした方!?」
「え、ええ。どうやらそのようです」
「オッケー! 行こう!」
「どういうことですアキきゅん!?」
「キンさんは『どこかに連れ込まれた』といってたろ? その後にあの音が鳴ってNPCが移動し始めた。つまりこの二つは連動したイベントだと考えるべきだ。ってことは、キンさんもNPCも同じ目的地へ向かってるはずでしょ」
「あぁー、そっかー! アキきゅんのゲーム脳は今日も冴えてますね!」
「それ、褒めてないよね? それより急ご……ぅわっ!?」
つないだままの両手が引っ張り上げられ、俺を宙ぶらりんにしたまま駆け出すヒナとツナの缶詰さんなのであった。




