第五話
さすがに毎日ではないが奴は度々、我が家の裏庭に出没した。宣言通り、事前に手紙を寄越してからだ。その律儀さは評価しない事もないが、不法侵入という時点で評価がマイナスから脱却する日は永遠に来ないだろう。
私への口説き文句と、奴への罵詈雑言の応酬というなんとも不毛な言い合いが定例化しているような気がする今日この頃。
そろそろもっと建設的な解決案を出さなければまずい気がする。
いっかなちょろすぎる我が両親といえど、誤魔化すには限度があるし、奴が不法侵入してきた時点で、家に引きこもった意味がなくなってしまった。それどころか現状は間違いなく悪化している。私に会えなくなったから家に来たとか、どんな変態的思考をしていればそういう結論に到達するのかは謎だが、そんな変態的思考を読めず、引きこもったのは私の悪手だ。
奴が変態である事はもっと早く気づいても良かったはずなのに、世間の評価が私の目を曇らせていたのかもしれない。
しかし、解決策と言ってもすぐには思い浮かばない。簡単に思いつくなら、奴が昨日も我が家に来る事はなかっただろう。
我が家に護衛だの警備だのを雇うお金はないし、警察も証拠がなければ動いてくれない。私が直接ストーカー被害を受けていると涙目で訴えれば信じてもらえるかもしれないが、調書だの被害報告だの頻繁にやり取りしなければならないのは面倒くさい。そんな事をすれば両親にもばれるし、更に面倒だ。
そもそも奴が簡単に捕まるような低脳な犯罪者なら、こんなに苦労はしない。
その内、飽きるだろうという希望的観測も絶望的になっており、奴の熱は一向に冷めない。それどころか、回数を重ねるごとに奴のアメジストのような瞳は鮮やかさを増し、甘いだけだった言葉はどろりとした感情を帯び始めた。被虐が足りないのだろうか。もしかしたら何発かお見舞いしてやれば奴は満足して帰っていくのかもしれないが、奴の趣味に加担するような事は絶対にごめんだから却下だ。
ひとり考えていても解決策は見当たらず、だからと言ってこんな事を相談できるような友達もいなければ、親しい人もいない。……と考えて、私はハッと閃いた。自分が誰もが見惚れる美貌を持っているのをすっかり忘れていた。これを利用しない手はないではないか。
ひとりでは駄目ならば味方を作ればいい。
なんにしたって最後には行き着く場所なのだ。それが早いか遅いかの違いであって、実現すればすべてがうまくいく。
さあ、嘘を真実に塗り替えよう。歪な関係を払拭し、すべてをあるべき場所に戻すのだ。
私はバルコニーの向こうを見つめ、うっそりと微笑んだ。
*****
シャンデリアが煌めく会場は熱気に満ちていた。ダンスに興じるもの、会話に花を咲かせる者、ワインを嗜む者、カードゲームに耽る者。今日の夜会は夏の盛りを避暑に行かずに残った者たちが暑さを乗り越えるために開かれたものだ。
しかし、恒温動物である人間が一箇所に押し込められているのだ。熱気がこもり、余計暑苦しい。
理由なんて後付けで、暇人たちの娯楽に過ぎないのだが、参加している時点で不平をいう筋合いはないのだろう。
そんな会場の片隅で私は望んだはずの展開に吐きそうになるため息を押し殺した。
「どうか、許してほしい。今日という日まであなたに出会えなかったなんて私の落ち度だ。ひとつ、言い訳させてもらえるなら、あなたは太陽のように輝いていて、私の目は眩んでいたんだ。許されるならば、その愛らしい唇で、もう一度、私の名を呼んでくれないか?」
こんな長ったらしく気障ったらしい台詞を吐くのはもちろん奴ーーではなく。
「ヨハネス様。私もあなた様に出会えて夢のようですわ」
そう言ってにっこりと微笑めば、ヨハネス・ルクセンブルクは下心を隠しきれない蕩けるような笑みを浮かべた。
蜂蜜色の髪は絹糸のようにさらさらしていて、金色に縁取られた瞳は空を映すような水色だ。左目の眦にある泣きぼくろが色っぽさを演出している。長身の背を金糸で縫い取った濃紺の夜会服で包んだ姿はさすが社交界に名を馳せる色男と言いたいが、美形というものに見慣れてしまった私には何の感慨も浮かばなかった。遠目から見る分には服装だったり雰囲気から格好良く見えるかもしれないが、間近で見ると美形というにはやっぱり物足りない。と考えて頭に思い浮かんでしまった人物の影を慌てて振り払った。
会場に流れていた曲が変わった。ややアップテンポだった曲からゆったりしたバラードへ。抜かりなくそれを把握していたらしいヨハネス・ルクセンブルクは私の手を取り、指先にキスを落とした。上目遣いに熱い視線を送ってくる。
「私と踊ってくれますか?」
「……ええ。喜んで」
ぞぞぞっと背筋を走った寒気に気づかなかったフリをして、私は初々しい乙女のように頰に朱を乗せてはにかんでみせた。
私の考えた作戦はこうだ。
私に都合のいい人物を誑かして問題を丸投げしてしまおうという実にシンプルで何とも他人任せな方法である。
私が何をやったって、奴を助長し喜ばさせる結果にしかならない。ならば、奴から身を守る矛もしくは盾を用意すれば良かったのだ。奴の実家には及ばないもののそこそこの権力を持ち、奴には劣るもののそこそこの才覚を誇り、奴に熱をあげるお嬢さん方の何割かが彼の微笑みにうっとりする。
そう、奴に対抗するにはヨハネス・ルクセンブルクしかいないのだ。
つまり、巻き込んでも奴に跡形もなく抹消されない人物なら誰でもよく、両親の野心を鑑みれば彼は最適な人材だった。
私に恋人が出来れば流石の奴も諦めるかもしれないし、その恋人にストーカーされていると涙目で訴えれば無下にはされないだろう。何かしらの対抗策を講じてくれるはずだ。
奴は迂闊に近づけなくなり、相手がヨハネス・ルクセンブルクならば両親も大満足で私にとって一石二鳥という訳だ。
と言っても、いきなり恋人になってくれという訳ではない。
無類の女好きである彼に恋人が何人いるかは知らないが、安い女だと思われては困るし、失敗する可能性の方が高い。
男というのは難しい山を登りたがり、追われるよりも追いかけたいという何とも難儀な生き物だと聞く。
しからば、フェミニストを気取った彼の情に訴え、この件が片付けば極上の餌が待っていると思わせれば、食いつくに違いない。
「実は私、ストーカーされてるみたいなんです。差出人の分からない手紙が届いたり、誰かの視線を感じたり。私、怖くて。今日出会ったばかりのヨハネス様にお願いする事ではないとは思うのですが、恋人のふりをしてくださいませんか?ヨハネス様のような素晴らしい人が私の側にいると知ったら諦めてくださるかもしれませんし」
「美しい人が困っているのに見過ごすなんて、それは罪悪だよ。私でよければいくらでも力を貸そう」
ヨハネス・ルクセンブルクは見事に食いついた。
我が両親に次ぐちょろさであった。
ダンスを終え、少し疲れたと言えば、すぐさま休憩室に連れていかれそうになったが、風に当たりたいとやんわり断った。ヨハネス・ルクセンブルクは表面上、にこやかにバルコニーまでエスコートしてくれた。
そこで奴の名前は出さずに、ストーカーされ困っているのだと涙ながらに訴えれば彼は一も二もなく承諾した。
恋人のふりならば、私にとっても彼にとってもハードルは低い。
真実がどうであれ、私とヨハネス・ルクセンブルクの関係が奴にどう見えるかが重要なのだから。
正直、グランハート家と縁を結んだ所で大した旨味はないため、この辺りが妥当だろう。
大勢いる恋人の内のひとりになるつもりは私にも毛頭ない。
始終ヨハネス・ルクセンブルクと共にいたからか奴が現れる事もなく、夜会は恙無く終わった。と言っても、奴同様甘ったるい台詞を垂れ流す、誰かさんのせいで精神的疲労度は蓄積されたが。
奴に慣らされたからか、ヨハネス・ルクセンブルクの言葉は味気なく、余計苦痛に感じてしまった。
奴という存在はどこまでも私を放っておいてはくれないらしい。
*****
「もう、私に関わらないで」
「どうして?」
「恋人が出来たの」
「…………そう」
場所は当然のごとく我が家の中庭だ。私はバルコニーの欄干に肘をつき、奴は中庭から私を見上げている。
偽恋人作戦はここからが本番だ。武器はひとまず手に入れた。ヨハネス・ルクセンブルクは女にだらしない所もあるが、女性に対して常に紳士的で言葉通り困っている女性がいれば手を差し伸べる。そこに下心が多分に含まれていたとしても、彼の言葉に偽りはないと思われる。ストーカーから私を守ると言うのなら、実行されるだろうし、実行された後の彼との関係はその時考えればいい。しかし、彼が本気で私をストーカーから守ろうとしていても、それなりの準備がいるのは必定で、夜会の翌日ではいくら何でも手の打ちようがない。昨日はヨハネス・ルクセンブルクに付き合わされ帰るのが遅くなったため、さっきまで寝ていた。お腹が空いたため、一階に降りれば、リビングのテーブルに私宛の手紙が置いてあるではないか。すっかり見慣れてしまい、奴からの手紙だとすぐに分かった。
両親とリチャードは出かけたらしく、家には私しかいないようだ。予想よ当たってくれるなと厨房からパンを拝借して食べながら部屋に戻り、バルコニーに出ると、案の定奴はいて『やあ、ジュリエット。今日の君は一段と美しいね』と無駄に爽やかな笑顔で言った。
そして私は先手必勝とばかりに恋人出来た宣言をしたのだ。
「そう言えば、君に渡す物があったんだ」
なのに私が恋人が出来たと告げても奴の表情は微塵も動かなかった。普段通り、胡散臭い笑みを浮かべている。そのくせ、わざとらしく、忘れてたいたとばかりに額に手を当てると、懐から一通の封筒を取り出した。
「君にって預かってたんだった。……取りにきてくれる?」
「嫌よ。投げればいいでしょ?」
なぜ、わざわざ猛獣の口の中に自ら入らねばならぬのか。奴も答えは分かっていたらしく、軽く肩を竦ませただけで、封筒をくるくる丸めると、どこからか取り出した水色のリボンで結んだ。
「行くよ」
私は胸の前に両手のひらを揃えて、空に向ける。掛け声と共に、丸められた封筒は綺麗な放物線を描きながら宙を飛び、私の手の上に寸分違わず着地した。
「そのリボンは君に」
奴の言葉は無視して、リボンを解く。幅は細めだが、水色地に白い糸で細かい刺繍が施してある。一目で高級品と分かる品だが、どさくさに紛れて押し付けないでもらいたい。リボンの処理は後回しにして、今はこの白い封筒だ。飾り気のないそれは、宛名すら書かれていない。直接託したから書く必要はないと思ったのか、単純に忘れていたのか。不審に思いつつ中から一枚の紙を取り出す。
そこにはよほど慌てて書いたのか、いささか乱暴な筆跡でこう書かれていた。
『すまない。あなたを助けることは出来ない』
私は無表情を奴に向けた。奴は笑顔で私を見返す。思うところは色々ある。言いたいこともたくさんある。だから私は行動した。
室内履きを脱ぐと奴の顔面目掛けて投げつける。
「滅べ!ストーカー!!」
言うだけで滅びるなら私はいくらでも言葉を尽くすのに。
奴は『用は済んだから今日の所は帰るよ』と言って本当に帰ってしまった。あろうことか、投げたはいいもののあっさり受け止められた私の室内履きを持ったまま。
「待ちなさい!それは置いていきなさい!」
普段だったら鬱陶しいくらい私のどんな言葉にも返事をするのに、奴は満面の笑みだけ残して何も言わずに颯爽と去っていく。
私は怒りなのか羞恥なのか屈辱なのか、もはやよく分からない感情に歯を食いしばり血管が浮き出るほどきつく欄干を握りしめた。
こうして、私の渾身の作戦は失敗に終わったのだった。
奴と私の関係は平行線を辿り、気づけば出会ってから一年という歳月が経っていた。私はよく我慢したと思う。
数日のペースで奴は我が家に現れ、夜会に参加すれば高確率で捕まり、甘い言葉を毒のように垂れ流し、私の精神をじわじわと犯していく。奴なんかに決して屈したりはしないが、奴の方も飽きる様子も諦める様子もなく、じわじわと絡め取られていくようで、私はそんな恐怖に必死で抗った。両親は両親で進展しない手紙の送り主との関係にねちねちと文句を言い、早く結婚しろと急き立てる。私を取り巻く状況は間違いなく悪化していた。
そうだ。奴を殺そう。
私にはこれ以上ない妙案に思えた。