プロローグ(面接)
「失礼致します」
面接はもう始まっている。
テーブルとイス、それから周りの棚の上に小物が並ぶ狭い個室で僕はある男性とテーブルを挟んで向き合って座った。
心臓の鼓動が速くなる。
落ち着け、何度も練習してきただろ。何パターンにも渡る質問とその回答は予測してきた。昨日なんて食事中、風呂、トイレエトセトラ、もうどれだけの場所と時間でイメージトレーニングしてきたか。
大丈夫だ。僕なら出来る。
「ああ、そんな固くならないで良いよ」
この店の名前をロゴ風に印刷された紺のエプロンを掛けた男性が、朗らかな笑顔で声を掛けてくれた。
四十代くらい? いや、そこまではいかないか。あご髭を生やした、ダンディーだけど包容力がありそうなその男性の胸元には紺野明雄と書かれたネームプレートが付けられている。その名前の上に見える店長の文字。
面接を担当しているということは偉い役職だろうというのは予測してたけど、やはり店長が来たか。
「えっと、じゃあまずは名前聞いても良いかな?」
おっと、いきなり予想通り。だけど、少しずれている。
てっきり自己紹介を促されると思ったのに名前からか。出身高校や資格などある程度の文章を考えていた俺は慌ててそれらを削ぎ落とす。
はい! っと大きく明るくを意識しながら発し、
「私の名前は宮下快人といいます」
これもハキハキと答えた。
「なるほど、宮下君ね。んーと、宮下君はなんでこの巡会堂を選んでくれたのかな?」
よし、これは予想通り。これを聞いて来ない訳はないと思ってた。
「はい! 私が貴店を選ばせて頂いた理由は、私は昔から本を読むのが好きで本に携わる仕事をしたいと思っていたからです。本を通じて様々なお客様と関わることが出来るということにも期待しております。更に貴店は家から近く、交通面においても不都合が無いという理由からも選ばせて頂きました」
ほうほう、なるほどねと大きく頷く店長。
おっと、これは好印象か。よしよし。
――でも何がだ。割とありがちな内容で固めた気がするんだけど……。
「じゃあ好きな作家とその代表作は――」
よし、来た来た。勿論それもちゃんと用意している。
というより、ありのままに答えれば良い。
「私は、」
「――とか聞くのが普通なんだろうけど、好きってだけ分かれば良いや」
えっと思わず声が出てしまった。直後にしまったと後悔の念が押し寄せる。
いやいや、待て待て。そこ聞かないの? 完全に聞くと思ってちょっと喋りかけちゃったよ。ていうか、ちょっと話したかった自分もいる。
「それより一つ良いかな」
「はい」
何が来る。無難に自己PRか? 週にどのぐらい本を読んでますか、か?
さあ来い、さあ来い。
「今出版業界がめっきり不況っていうのは知ってるよね?」
「はい!」
えっ、ちょっ、何そのパターン。
俺のシミュレーションしたパターンの中に無いぞ。
「で、ぶっちゃけこの店も結構売り上げやばいんだよね」
「はい! ……はい?」
思わず聞き返してしまった。
――って、はあっ! いやっ、覚悟はしてたけど、それ言っちゃう! 募集しといて! 面接受けに来た高校生にそれ言っちゃう!
店の状況とかって、店員になって、それからああやっぱりかって何となく徐々に理解しちゃうもんじゃないの! 違うの!?
やばい、動揺が隠せない。
「で、宮下君がうちの店員になったとして、どうやってこの状況を改善しようと思う?」
えっ、それ僕に聞いちゃう? そんなマネジメント的なことをまだ店員にすらなってないただの高校生に聞いちゃう?
どうやってって……。
「はい! えっと、ネット上で凄いしぇん伝するとか」
「うーん、それで売り上げが回復したら誰も苦労しないよね。ていうか、宣伝ならとっくにしてるし」
うわっ、微妙に噛んじゃったし、ばっさり意見切られるし!
そんなの分かる訳ないじゃん! もう逃げ出して良いかな、僕?
「じゃあさ、質問変えて、君が本屋に求めるものって何かな?」
求めるもの……?
「はい。うーん……品揃え、清潔さ、接客態度」
「まあ、そうだよね。他には?」
店長は微妙な反応。あまりお気に召さなかったようだ。
まあ、それはそうだ。そんなの当たり前。それらを完璧にした上で更に何かはっきり他と違う所で勝負しないと売り上げが上がるなんてありえない。
そうなると、自分が本屋に欲するもの。あっ、そういえば昔読んだ本であったな。
「あとは出会い、でしょうか」
「出会い? どういう意味?」
店長の眉がピクッと動き、更に声も弾んで期待の色が見えた。
おっ、当たりか?
「誰かには自分にとって運命を変える一冊となりえる本っていうのがあると思うんですよね。それを見つけ出したいって昔から思ってきたんです」
それに出会えたかはまだ分からない。
既に出会っていてもそれが運命の一冊だったと知るのは大分後かもしれない。だけどそういうのがあるとは信じてるし、いつか出会えると信じている。
「まあそこまで行かなくても、こうたまにあるんです。読んでいる間鳥肌が立って止まらないとか、一日中その作品のことばかり考えさせられてしまうよな、そんな至極の作品が。そういうのに出会いたいということです」
「分かる、分かる! 一年の内に滅多に、どころか数年に一度しか出会えない可能性だってある、だけど読んだ途端魅了されてしまう作品ってあるよな!」
純粋無垢な子どものように楽しそうに笑う店長。
本当に本が好きなんだな、と分かる。まだ全然話してないのに、凄い良い人だ、というのは分かる。
そもそも本好きに悪い人はいない。
「でも僕が言ったのはそれだけじゃなくて、人と人との出会いも求めてしまうんです」
「人同士の出会い?」
今度は何だと言わんばかりの、期待の目線を向けられる。
「やっぱり本を読んでてもドラマチックな展開っていうのに憧れちゃうじゃないですか。昔僕も観たことあるんですけど、本屋で出会う作品とか、女子だってよくある同じ本を取ろうとしたイケメンと手がぶつかっちゃう、のような本屋での出会いも結構求められると思うんです。本屋に来るぐらい本好きなら尚更、共通の趣味であろう相手と出会いたいと思うんですよね。本屋ってなにか特殊な雰囲気がありますしね」
分かる、分かると大きく店長が頷く。
実際僕もそうだ。本屋に来る度に「あなたも本がお好きなんですか?」なんて美人に話し掛けられないかと期待してしまう。
勿論そんなこと一度も無いんだけど。
「まあ、実際はそんな特殊な状況じゃなくても知らない誰かと好きな本について語り合いたいみたいなことを思ってしまったりするんです」
「ほうほう、なるほど」
――って、しまった! そういえば店長のあまりに本好きなオーラと予想斜め上の発言からこれが面接の場であるということを忘れかけていた。
「そういえばさっき、本を通じてお客様と関わることに期待してるって言ったよね?」
「はい! 言わせて頂きました!」
「あっ、いや、今更堅苦しいのとか良いよ」
「あっ、はい……」
もう面接はどうでも良いらしい。まあ、俺も普通に会話楽しんじゃってたし。
「で、それってつまりお客としてもそうだったけど、店員としても出会いを求めてるってことだよね?」
「あー、そうですね。そうなりますね」
深く考えて言った訳じゃないけど、改めて考えるとそういうことになる。というより、出会いとまではいかなくても
何やら思案し出した店長。
そしてパアっと何か思い付いたのか、突如顔を輝かせた。
「よし、色々試したいことが出来た。ということで、君採用」
「はあ、採用ですか。……えっ?」
「ただ先にアルバイトとして入ってもらいたいな。それで卒業してから正社員ということで」
いやいや、ちょっと待ってよ。
「えっと、えっ、それ今言っちゃうんですか?」
「えっ、そりゃ言っとかないとそんな急に前日にアルバイト来てとか言われても困るでしょ」
「いや、そっちじゃなくて採用の方ですよ!」
もっと審議とかするんじゃないの。売り上げ芳しくないなら、尚更考査するべきだと思うんだけど。
いや、勿論嬉しいけど。
「もう少しでやめる人が一人出るんだよね。っていうのは二の次で、元々もっと若い子の意見が欲しいと思ってたし、それに宮北君のその本が好きだっていう気持ちはこの店を発展させてくれると思うからね。期待してるよ!」
「あっ、ありがとうございます!」
こんな即採用言われるとは思わなかったし、何より期待してるとまで言われるとは。しかも本気だと伝わってくる声と顔で。名前間違ってるけど。
嬉しい。当然だ。
とはいえ、戸惑いも大きい。
良い人ではあるんだろうけど、なんか大雑把というか、自由過ぎるというか。直接売り上げやばいとか言ってくるし、ひょっとしたら潰れる寸前なのか。今は本が売れないというのは分かっていたことだけど、そんな入ってすぐとかは困る。しかも入ってすぐに重い課題任されそうだし。というか既にちょっと期待されすぎだし。
果たして素直に喜んで良いのか、悲しむべきなのか。
いや、っと考え直す。
「君とならうちの店の売り上げは上がる。そんな気がするよ」
嬉しそうに笑う店長を見て、良かったんだなと思うことにした。