無題
夢を見ていた。子供の頃の夢だ。子供の頃、小さな女の子と遊んでいた夢を。
小さいと言っても、今の俺から見れば小さいというだけで、俺も子供だったから年齢的には同じくらいだったと思う。もしかしたら俺より一つか二つくらい下だったかもしれない。もしかするとその逆で、俺よりも上だったかもしれない。
とにかく、俺とその子は二人で公園で遊んでいた。その時俺たちは、二人でおままごとをしていたと思う。俺がお父さん役で、彼女はお母さん役だった。
彼女は引っ越してきたばかりで、俺の他に友達はまだいなかった。俺もたまたまその子がお母さんと公園に散歩に来ていたから、声をかけただけだったはずだ。俺は一人で、退屈していたんだ。父親も母親も仕事が忙してくて、学校が終わった俺と遊んでくれる余裕はなかった。あの頃はたしかまだ小学一年生か二年生だったと思う。誰もいない家に帰るのが嫌で、いつも学校と家の間にある公園にいた。公園にいる間は家よりも退屈しないで済んでいた。ここならいつも誰かいたし、友達だってたまに遊びに来ていた。ここで親が帰ってくるまで時間をつぶしていたんだ。その子と初めて会ったときも、俺はその公園にいた。その時は珍しく、公園には俺以外誰もいなかった。
彼女は初めて会ったとき、人見知りなのかとてもおどおどしていた。でもお母さんに促されてか、おずおずと俺に話しかけてきた。それから俺とその子と彼女のお母さんは、しばらく話をしていた。他愛もない会話だ。やれ何歳だの、どこの学校だの、本当に何でもない話だった。それからその子のお母さんは、用事があるから少しの間二人で遊んでてと、どこかに行ってしまった。俺は女の子と遊んだ経験なんてほとんどなかったから、どうしようかと子供ながらに悩んでしまった。おままごとをしようと言い出したのは、彼女だった。俺はもう小学生だったし、そんな子供っぽいことはやりたくないと子供のプライドながら思ったけど、それ以外に何もなかったから少しだけならいいかと考え、彼女の提案に乗った。
俺がお父さん役、彼女がお母さん役で、彼女が持っていたくまのぬいぐるみが、子供の役だった。このぬいぐるみは彼女の大事なものだそうで、赤いベストを着て黄色い帽子を被り、ところどころほつれたところを縫い合わせた痕のあるくまだった。
おままごとは彼女のお母さんが帰ってくるまで続いた。内容は覚えていなかった。
そこで夢は終わった。自分の記憶の中にすらほとんど残っていない子供の頃の出来事だったはずなのに、ついさっき体験したみたいな妙な現実味があった。どうして今更になってこんな夢を見たのだろう。
いや、なんとなく理由に心当たりはあった。大学受験に失敗して、自暴自棄になっていた。全てに嫌気が差していた。何もしたくなかった。自分以外の全てを恨めしく思った。全ての時間が巻き戻って、小さな子供の頃に戻ればいいと、本気で思っていた。あの頃に戻って、もう一度やり直せれば、こんな思いをしなくて済むのではないか。そんな馬鹿げた思考にすら陥っていた。
そして、何も考えたくなくなった。
そういえば、彼女はどうしているだろうか。小さい頃に遊んだ彼女は。
あの後、しかし俺と彼女は学校で会うことはなかった。学年が違ったのか、はたまた隣の学区だったのかはわからない。いや、正確には覚えてなかった。それでも、たまにあの公園で会うことはあったし、そのたびに一緒に遊んだ。彼女はいつもあのくまのぬいぐるみを持って来ていた。大事なものだから失くしたらいけないと思いつつも、やっぱり持ってきてしまうのだと彼女は言った。
それから一年くらいして、彼女はまた引っ越した。親が転勤族なのだと、彼女は笑っていた。その顔がものすごく寂しそうで、俺はやけに印象に残っていた。彼女は最後に会ったとき、あのくまのぬいぐるみを俺にくれた。とても大切にしていたものを、どうしてくれたかはわからない。でも彼女は、言っていた。もしまたいつか会うことがあったら、その時に返してほしい、と。
俺はその時何も持っていなかったが、ランドセルにつけていたゲームのキャラクターのキーホルダーを、代わりにあげた。ほんとうにどうしようもないものだったが、無いよりはましだった。彼女はそれでもとても嬉しそうに、大切にすると言ってくれた。
それっきり、彼女には会っていない。
なんとなく、外出しようという気分になった。どこかに行く宛はなかった。それでも、空気の淀んだこの部屋にはなんとなくいたくなかった。
どこに行こうかと考え、なんとなくあの公園に行ってみようという気になった。そしてなんとなく服を運動用のジャージに着替えた。スニーカーを履いてから、なんとなくあのくまのぬいぐるみを持っていこうと思いたち、一度部屋に戻ってから外への扉を開けた。
時間は夕方だった。運動がてら、走っていくことにした。
久々に行った公園は、思ったよりも家から近かった。小学生の足だと遠いと思っていても、あれから何年も経ち、成長していたんだ。そんな当たり前のことに全然気づいていなかった。
公園は静かだった。今のご時世、公園で遊ぶ子供の数なんてたかが知れていた。
だから、ベンチに座っている女の子を見たときに、何故か気になってしまった。
高校生だった。おそらく年下だろう。着ている制服から、俺とは違う高校の子だとわかった。
彼女がゆっくりとこちらを向く。大人しそうな、可愛い子だった。
彼女は恐る恐る口を開いた。
「……あの、このキーホルダーの持ち主を探してるんですけれども、ご存知ないですよ、ね……?