記憶――絆
明るく、可愛らしく――努めてそのように振舞っていた雄也だったが、その在り方は長く連れ添ったギルドメンバー達から見ると、違和感の残るものだった。
プレイヤーだからこそ知っている事。キャラクターだからこそ知っている事。知識の不一致は違和感を戸惑いへと転じさせる。
「記憶喪失、でござるか……」
「確かに、ステータスカードを開けないなんて、それくらいしかないか」
「私達の事は覚えていてくれたんですね~」
「う、うにゃっ」
険しい面持ちのラッシュの視線とルチルの視線が交差する。
「ルチル、本当の事を言って良いんだぜ」
「ほ、本当にゃっ。本当に記憶喪失で、カードとか全然分からなくて、アレにゃ……」
「なんだよ、アレって。こいつらに言わされてるんじゃねーか? ギルド通話とやらで」
「ううん。それはないにゃ。指示なんてされてないし、皆の事はちゃんと覚えてるにゃ。皆、本当に良い人で……ラッシュと同じように、真剣に心配してくれるにゃ」
ルチルが笑みを見せると、気を削がれたラッシュは視線を逸らした。
「……そうさね、私達みんな、ルチルの事が心配だ」
そう呟いて、ヴァネッサは手元の魔力ポットに魔力を流す。元々温まっていた事もあり、一瞬でぼこぼこと沸騰を始めた。
「という訳で、クイズだ」
「ふにゃ?」
全員が唐突な話題変化についていけず、首を捻った。
顔を見合わせている一同を前に、しれっとした顔でお茶を入れていき、しずしずと席に着く。と、次の瞬間、たんっと指先でテーブルを叩いた。
「リーバーの主な農作物は? イナシ―以外! はい、10、9、8……」
「え、え……!? ジャ、ジャガイモ、かにゃ?」
「正解。面白みのない食材ながら、冬でも育てられる事から、リーバーの家庭を支えています、っと。誰か出題したい奴は居ないかい?」
ゆっくりと手をあげたえるえるを、やけに俊敏な動作でヴァネッサが指差す。
「私の好きな食べ物はなんでしょう~?」
「はい、10……」
「これは簡単にゃ、カレーライスにゃ!」
「惜しいです~。つい最近食べた物で、ルチルさんが作ってくれた物ですよ~」
「あぅー……えっと、イナシ―とグレナデン・シロップのフルーツケーキかっこ酸性かっこ閉じ、かにゃ?」
「はい、正解、で良いんだよね?」
「はい~。刺激的なのにとっても甘くて、美味しかったです~」
「あえてイナシ―の酸味を残したこの逸品は、グレナデン・シロップの甘みと絶妙に絡み合い、食べる物を飽きさせません。ちょっと大人のスイーツです、っと。私は中に入ってたトポの実が良かったね、サクサクっとしてさ。はい次」
「次は拙者でござるな」
そんな風に、ヴァネッサの軽妙な解説を交えながら、聞き取りが行われた。時には難問――主にラッシュによる――も出たがルチルにはネットを利用した知識がある上に冒険者歴も長いので、リーバーから遠い地の問題も難なく答え、周囲を驚かせる結果になった。とはいえ、ヴァネッサなども知識自体はあるので、よく知ってるね、ではなく、よく覚えてるね、という種の驚きだ。
ともあれ、そうして夜は更けていった。
記憶確認という名のクイズが終わると、今度は店から運び込まれた家具の整理が始まった。帰ってきたアルや、他のギルドメンバーも総出で、僅かな間に配置は決まった。未だに隙間は多い物の、生活感は漂い始めている。
そんなルチルの部屋で、ルチルはベッドに横になっていた。布団からは気持ちの良い匂いがしていた。特に仕事のない者が、ギルド館を掃除したり、布団を干したり、時には衣類の洗濯をするのだという。ヴァネッサに部屋に勝手に入った事を謝罪をされながら、また一つ、ゲームと現実の違いを知るのだった。
うとうととしていると、小さくノックの音が響いた。別の部屋の扉かも、と思うほど小さい音。しかし、ノックが二度響くと、微かな音の違いからこの部屋をノックしているのだと気付き、ルチルは慌てて、コート掛けに掛けられたワンピースをすっぽりと被る。
「うにゃ、ごめんにゃ、うとうとしてたにゃ」
「あぁ、疲れてたかい、悪いね。入っても?」
「うにゃ」
家具の整理時には部屋に居たヴァネッサは、目当ての椅子をみつけると、すぐに腰を降ろした。ルチルは化粧などはしないが、身だしなみに鏡台を購入したのである。それに付属していた椅子だ。
「借りるよ。……さて、先にお湯頂いたよ。ルチルも後で入っときな」
「うにゃ♪」
大きく頷いて笑う。それに対して、ヴァネッサは胡乱な者を見るように、ルチルを眺めた。
「やっぱり、演技じゃないみたいだね、記憶喪失」
「うにゃ?」
「普通なら知らないような事を知ってる癖に、知ってて当たり前の事を忘れてるよね」
「そう、かにゃ……?」
「はい、クイズ。ルチルはいつも、お風呂はいつ入る?」
ルチルは、さっと、血の気が引いたのを感じた。記憶喪失だと公言しているのだし、知らない、忘れた、と言うのは簡単だ。だが、普段から決まっていた事を忘れるというのは不自然に過ぎる。
悩んでいた時間はわずかだった。五秒にも満たないだろう。ヴァネッサはテンカウントを待たず、ぶぶー、と口にした。
「やっぱね、さっきの反応でわかったよ。答え合わせー。いつもお風呂は最後だよね。毛が浮いちゃうからって。浄化の魔法があるから気にしないで良いって皆言ってるのに。覚えてない?」
小さく頷くルチルに、大したことはないと言わんばかりに軽い口調で「そかそか」とヴァネッサは返した。
「皆にも言っとくよ。記憶、しっかりしてるようでも、意外なとこがすっぽぬけてるから、注意してあげるようにって」
「ありがとにゃぁ」
少し気だるげな、そしてどこか優しげな瞳で、ヴァネッサはルチルを見る。少しして、口元だけでにやっと笑った。
「少しはマシな顔になった」
おもむろに腕が伸ばされ、耳を優しくこねられると、そのくすぐったさにルチルは首をすくめた。
「あんた、昨日、酷かったよ。いつかの、ギルドを抜けた時の事、覚えてる?」
「……うにゅぅ」
「覚えてるみたいだね」
ヴァネッサは楽しげに笑い、視線を壁へと移すと、遠い目をした。
「あん時と同じだった。無理に楽しそうにしてて、でも、話には参加してこない。こっそり見ると、いつも泣きそうな顔してる」
「そ、そんな顔、してたにゃ?」
「してた」
いたずらに成功した子供のように笑うと、再び遠くを見るように視線を壁に移す。
「あん時も、昨日も、ね。昨日はえるえるが行ったから、私は行かなかったけど、えるえるが行かなかったら、私が行ってたよ。前みたいにギルドを抜け出しそうだったからね」
「そんな事しないにゃ」
「そうかい?」
「迷惑かかるにゃ」
「……まぁ、ね。でもさ、迷惑とかじゃなくてさ……あん時、私、一番探してたんだよ? あん時は偶然を装ってたけどさ、一番探してたの、私。ナンバーツーとかじゃなくてさ。ルチルの事が好きだったからさ」
じんわりと、涙が浮かんだ。その言葉は、雄也が最も望んでいたものだった。たかがネット、されどネット。その中で、時代錯誤に絆を大事にしあい、温めあう。雄也がエルスタントに望んだのは、ゲームそのものではなく、このギルドの存在だったのだ。
「ルチル嘘ついてたにゃ。あの時、一人の時間が無くなるからって言ったけど、本当は、すごく寂しかったから。相手してもらえなくて悲しかったから、だから、自分から離れようって……」
「ん~……分かってた。あんた、しっかりしてるようで、すごい寂しがりやだもんね。一人でも平気、一人でも楽しいって振りして、ね。あん時だって、もっと遠くへ行けば追いつかなかったのに、待ってたでしょ」
「ふみゅぅ……」
「分かってたから言ったんだよ『私達は家族でしょ』って。あんな言葉のドッヂボール、分かってなきゃしないさ」
「そっか……」
そっと両手を広げ、ルチルへと伸ばすヴァネッサ。殊更に優しい口調で音を紡ぐ。
「おいで」
ヴァネッサの膝の上で、抱きしめられるように両腕に抱かれ、興奮しないなと雄也は不思議に思っていた。肩に感じる胸の柔らかさは新鮮だし、手で触れてみたいという知的好奇心はあるが、それは性欲とは別物であった。それ以上に、雄也の心を支配しているモノがあった。きっとそれが原因だろう、と雄也は結論付ける。
「ほんとはね、分かってる。あんたが単なる記憶喪失じゃないって事も」
「ふみゅ……」
「知らない事があっても堂々としてるでしょ、あんた。なんかね、あんたらしくないなって。もっと不安そうにする筈って思ってさ。その秘密、私に教えてくんない?」
「…………ヴァネッサに、嫌われたくないにゃ」
どこまで見透かれていても、ルチルの本当の人格である雄也までは辿り着かない。性別は男で、二十五歳で、人付き合いの上手くいかないフリーターで。今までの言動は演技で、臆病で、寂しがりやで、根暗で。
ルチルの姿が彼の真実であると同時に、偽りでもある。全てが全て、偽りや演技ではない。だから、真相を口にしても受け入れてくれる、そんな風な予感はある。それでも、それを口にするのは、到底できそうになかった。
――彼は臆病で、慎重だった。
今の彼が置かれた状況を説明すれば、それを糸口に『ルチルを操作しているプレイヤーが居る』事に気付かれてしまう。だから、説明できないのだ。嫌われたくないが故に。
「嫌われたくない、か。何かを怖がって、言わないとは思ったけど。そっか」
ヴァネッサが、僅かに姿勢を変えて、本当に僅かに、ルチルを抱きしめる力を増した。
「……ルチルらしい、かな。残念だけど……。無理強いはしないよ。でも、辛くなったら、私のとこに来な。何も聞かないから。少しでもルチルを楽にしてあげたいからさ。そばにいてあげる事くらいしかできないけど、さ」
「うにゃ、ヴァネッサ、ありがとぉ……」
その後、温水冷水自在かつあらゆる水を飲水に変える魔法付きの、現代日本ですら喉から手が出る風呂に浸かり、風呂周りを軽く掃除した後、ルチルは床に就いた。
ちなみに、風呂前の洗面台でポーズこそ決めたが、獣欲とでも言うべき、強烈な性欲は湧き上がって来なかった。もしここに居るのが雄也とルチルの二人であったなら『もふもふルチルたんかーいいねぇえええ。ふかふかふかふかもふもふすーはー! おほーーーっ! じゅじゅじゅるる!』という風に大変な、もとい、変態な事になっていたのは確実である。
翌日。
「アルバートー! おはようにゃ~☆」
「おはよう、ルチル。今日の尻尾はすごいねぇ」
「にゃははー♪」
築地の魚よろしく、地面に置いたら跳ねてどこかに吹っ飛んでいきそうな程に、ルチルの尻尾は暴れていた。
「ヴァネッサ、おはようにゃ♪」
「おはよ」
意外な姿を見た、とばかりに、目を丸くさせるラッシュに、ルチルが笑顔を見せる。
「ラッシュー! おはようにゃ~☆」
「お、おう。機嫌良いな?」
「うにゃ!」
「よし、あんたにはラッシュを案内する任務を授ける。昨日回ってない場所でも回ってきな」
「了解にゃ~♪」
「ラッシュ、とりあえず飯と宿くらいは出すから、とりあえずこの街に慣れな」
「……いや、しかし、もう金はどうにかなりそうなんだが」
「嫌なら良いんだけどさ、ルチルも本調子じゃないから、付き合って欲しいんだ。記憶の事、話したろ?」
「……分かった。俺としても、ありがたい申し出だ」
「ヴァネッサ! ラッシュー! ありがとうにゃ♪」
駆け足でしたが、これにてお話は一旦終わります。ですが、佐藤雄也とルチル、そしてその仲間達のお話はまだまだ続きます。きっとこれから先のお話は、ほのぼのと、言い方を変えれば、少し退屈なお話になるでしょう。しかし、それはきっと、雄也にとって掛け替えの無い物語なのです。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。




