アージュ・ファミア
MMORPGの世界エルスタントに降り立った雄也は、人里を目指す道程で一人の男と出会う。おっさんの過剰なスキンシップにより時間を失ったものの、その過程でおっさんを部下にしたルチルは、おっさんを思うままに使役し、街を目指した。そして見えてきた都市リーバー。かつての仲間が居る筈の都市は、雄也に何をもたらすのか……!
夜中だというのに騒がしい酒場。店内を照らすのは魔物素材ととある植物の根に魔法を込めた物――魔導灯だ。配合によって水色から赤色まで、色を変える。酒場の中を彩るのは橙の魔導灯だった。
粗末な作りの木製の椅子に座り、簡素な木製の円テーブルを囲む荒くれ者達は、そのゴツい見掛けとは異なり、争い事など起こしそうには見えなかった。肩を組み歌う者、くだらない下ネタで笑い合う者、上半身のみで踊りを踊るグループ、多少おかしな光景も見えるが、和気あいあいと楽しそうである。
「さって、とりあえずそのギルドを探す前に、腹ごしらえでもするぞ。ま、今回はおごってやっから、好きなの頼め」
「うにゃん♪ ありがとにゃ~☆ ラッシュ、大好きにゃ~!」
「お、おう」
大男――ラッシュは、口ごもる。面と向かって大好きと言われ、恥ずかしさを覚えた、のではない。ルチルの様子が唐突に変わった事に戸惑っているのである。少なくとも、ついさっきまでおっさん呼ばわりし、撫でるのやめろ、と主張していた少女には思えない。
ルチルの変心には理由がある。雄也は反省していたのだ。『俺のルチルたんは形だけでも人を避けたりしない』と。突然男から撫でられた事で拒絶してしまったが、ルチルたんは突然おっさんから撫でられても喜ばなくてはいけない。それが雄也の『ルチルたん』なのである。警戒心ゼロの子犬なのである。その癖にゃんにゃんにゃぁんと子猫のように甘えて、擦り寄るのである。
「お、おい……腹減ってるのは分かるが、よだれは拭けよ」
「じゅるり」
「ルチルの分まで、良かったのかにゃぁ?」
可愛らしく小首をかしげるルチル。計算である。だが、本来のルチルはこれを無意識で行うのだ。
「構わねーさ。すぐ見つかるとも限らん。それとも、こんなおっさんと一緒の部屋で良いのか?」
「うにゃ? ラッシュはおっさんじゃないって言ってなかったかにゃ?」
「……あー、そうだな。おっさんじゃない、俺はおっさんじゃない」
うにゃ? ラッシュと一緒の部屋だと何かあるにゃ? と返す選択肢も雄也にはあった。が、その結果、一緒に寝る事になっても嫌なので、話題を逸らしたのだ。触らぬ神に祟りなしという言葉がある通り、災厄は遠ざけておくのが無難なのだ。
そんな会話を交わしながら、二人は大通りを外れ、ギルド通りと呼ばれる通りへ入った。大通り程ではないが広い道で、昼には屋台が入って、ギルド員を相手に商売をしている。今も屋台はあるものの、安い酒と肴を振る舞う所ばかりで、活気は殆ど無い。
殆どのギルドには明かりが点いていた。魔導灯は非常に便利だが、主な燃料は魔力であり、魔物素材や植物の根は基本的には消耗品で無いのだ。よって、魔力を有する事の多い冒険者の集まり――ギルド通りは、基本的に家から漏れる光で明るいのだった。
しかし、ルチルの見上げる家には、明かりが灯っていなかった。
「…………おい、そんな泣きそうな顔すんな。なんかの間違いかも知んねーだろ」
ラッシュが膝を突き、ルチルの肩を抱く。
この可能性を考えていない訳ではなかった。MMORPGの世界エルスタントを模しただけの世界だとか、自分一人だけが転移してきてしまったとか。しかし、いざこうして直面してしまうと、途端に心細くなった。
二十五だ。フリーターとはいえ、立派な大人だ。だのに、寂しくて、悲しくて、しょうがなくなった。大人だとか子供だとか、そんな事は関係なかったのだ。彼はこの瞬間、観測してしまったのだから。『友達の居ない世界』を。それはつまり、この世界に留まり続ける限り、彼らと二度と会えない事。リアルより大事だった繋がりを失ってしまった事を意味していた。
「……ラ、ラッシュゥゥ! みんな、みんな好きだったのに!」
「大丈夫だ! 一緒に探してやるから! 泣くな、ルチル!」
「え? ルチル?」
すぐ近くで様子を見ていた細身の青年が、声をあげた。
「あー、やっぱルチルだぁ。どうしたの? 何か無くしたの?」
抱きついていたラッシュから離れ、背後を見る。そこには雄也の良く知る、ギルドメンバーの姿があった。金髪の似合う、柔らかい印象の青年だ。
「どしたの? あれ、ルチル戻ってきたんだ。早いね」
扉を開けて出てきたのは、赤い短髪の女性。引き締まった肉体とさばさばした性格の、スレンダーな肉食獣を思わせるかっこいい女性だ。彼女もルチルのギルドメンバーである。
「皆……」
「何泣いてんの……ねぇ、おっさん、何があったわけ?」
「……いや、どうやらこいつがギルド館の場所を間違えたみたいでな」
「あぁ」
苦笑いを浮かべて、赤髪の女性はルチルの頭を撫でた。
「……子供らしくない泣き方しちゃって」
「ヴぁ、ヴァネッサ……だって、うれ、嬉しくて……」
「はいはい……何があったか分からないけど、寂しかったんだね」
家具類の一切無い部屋に、机が二つと椅子が八つ、暖炉の前にカーペットが敷かれている。空きスペースの目立つ実に寒々しいこの部屋が、入り口を入ってすぐの一階部分になる。ギルド員は基本的に数人でここに待機し、寝る時などだけ二階へと上がる。特別にオーダーメイドしない限りは、この一帯のギルド館全てがこのような作りになっている。
「あら~……昨日、ギルド通話でお伝えしたのですけど~」
「あんたの喋りを聞いてたら眠くなって忘れちまうよ」
「昨日のギルド通話も、もう眠たいにゃぁ、また明日にゃぅー、で終わったよね。仕方ないよ」
結論から言えば、ギルド館の場所を間違えたのではなく、向かいのギルド館に引っ越した、というのが真相だった。前日のプレイでそのような話をしていたのを雄也は思い出せた。
「うにゃ~。皆が居て良かったにゃ~♪」
「それにしてもルチルがにゃ~って言ってないの、初めて見たよ。皆好きだったのにーって、あはは、照れちゃうなぁ」
それを聞いたヴァネッサは静かに立ち上がり、金髪の青年の頭を引っ叩いた。
「いたっ」
「デリカシー無さ過ぎ」
「……そうだった? ルチル、ごめんね」
「ううん。いつものアルバートって感じにゃ♪ 気にしてないから大丈夫にゃ♪」
「そう? ルチル、気にしてないみたいだよ?」
アルバートは後半をヴァネッサに向けて言った。
「あんたね、気にし始めたらその時は破局だよ? 謝っても何してもダメになっちゃうんだよ? そうなる前に、デリカシー身につけな」
「うーん、そっかー。難しいね」
「簡単なら身につけてるでしょ、必要なものなんだから」
「おっさんさんの剣、良い物ですね~」
「いや、俺はラッシュって名前でな。後、こう見えて……いや、どう見えるか分からんが、まだ十八なんだが」
「うそ!?」
「へー、三十歳くらいかと――いてっ」
「わ、私が言うこっちゃ無いけど、あんた、あんたねぇ。年齢とか口に出さないっ」
うそ、と思わず言ってしまったヴァネッサがアルバートを叱る。それを眺めてルチルは楽しそうに笑っていた。
「あら~……私は分かってましたよ~。十八歳と九ヶ月くらいかな~ってぇ」
「……くらいというか……え? 俺の事を知ってるのか?」
「ラッシュさんのお肌がそれくらいですから~」
「ま、そういう子なんだよ。抜けてるけど変なとこで鋭いのさ。ちゃんと初対面だからそのつもりで居て良いよ」
「ああ……」
「なるほど。ピリツの種にそんな効用があるとは……」
「単純に美味しくもなりますし、オススメですよ~」
どん、とヴァネッサはテーブルを叩いた。丁度話も一区切りついたところだったので、全員がヴァネッサを見る。
「うちのメンバーはこんなんだからね、まぁ、誰も聞かないと思った。でもさ、あんたが自分から言うと思ったんだ、私は。初対面だからそのつもりで、って私は言ったよなぁ?」
「お、おう。何か気に障ったか?」
「……はぁ、あんたもこいつらの仲間か。類は友を呼ぶって奴かねぇ……」
天井を見上げ、深く呼吸すると、ヴァネッサは椅子に深く腰掛けた。その姿勢で見下ろすようにラッシュの方を向く。
「私はヴァネッサ。ギルド『アージュファミア』の古参で、荒事が専門。一応ナンバーツーなんで、ギルド長が出かける時は私がここに居る。んでこっちがえるえる。回復魔法が専門で、フルメンバーで行動しない時は大抵この街に居るよ。こっちのデリカシーゼロがアルバート。こんなんでも、一応前衛で、搦め手無しならギルド長とも渡り合う凄腕。ま、馬鹿だけどね。ルチルの事は――知ってるだろ?」
ラッシュは頷き返す。短時間ではあるが、ルチルとは色々話し合った。ここで五人で会話するよりも長くルチルと話しているので、自己紹介をされたところで今更であった。
「そうか、自己紹介を忘れていたな。俺はラッシュ。エジャプタロビンゴって村で冒険者をやっていたんだが、仕事が無くなってな。リーバーまで出てきたって訳だ。なんで、まだ正確には冒険者じゃない」
「ンジャ? エジャタ? まぁ、どこから出てきたのかは分からないが、経験があるなら大丈夫さ。……宿に泊まる金はあるのかい?」
「数日分は」
「物価、高いだろ? 本当に数日分あるのかい?」
「……ラ、ラッシュ、嘘はダメにゃっ。部屋がまだ空いてるから、暫くは泊まっていくと良いにゃ!」
ルチルがそう言って、窺うようにヴァネッサを見た。ヴァネッサも最初からそのつもりだったようで、小さく頷いて体を起こすと、ぐいとルチルへと手を伸ばす。頭を乱暴に撫でた。
「良いのか?」
「構わんさ。何があったか分からないけど、ルチルが世話になったようだしね。泊まっていくと良い」
「感謝する」
部屋を取った宿に行くというラッシュを見送る小さな背中。ギルド館の中からその背中たを眺める三人。穏やかな瞳をそれぞれが浮かべていたが、最初にヴァネッサが背もたれに体を預け、だらける。するとアルバートとえるえるが視線を交わした。
「律儀な男だねぇ、ありゃ。わざわざ宿に連絡するなんて」
宿は基本的に昼まで寝泊まりできるタイプで、犯罪も多い事から個室タイプが主となっている。とはいえ、鍵などはついていない為、チェックアウトの連絡などは不要なのだ。金を払い、寝泊まりし、昼までに勝手に出て行く、そういうシステムなのだ。だがラッシュは連絡に行った。連絡する事で宿の一室が、今回の場合はラッシュとルチルの二人分の部屋が空くからだ。それは純粋な善意だった。
「やらずにはいられないんじゃないかな。彼、良い人っぽいし。泣いてるルチルの事を――いてっ。ちょっと待ってよヴァネッサ。なんで殴るの」
「目の前にルチルが戻ってきてるでしょうが」
「ええ? これもデリカシー無いの? 彼が一緒にギルドメンバーを探してやるって宣言してた話だよ?」
「…………泣いてる云々の部分だよ、ほんとにあんたは……」
「にゃはは。大丈夫にゃ」
「私にはよくわからないですけど、ルチルさんが泊まってほしいようでしたし、信用されているようですので、良いんじゃないでしょうか~」
「よし、私が責任を持つ。彼が望んだら、あんたらの思うようにしな」
各々は静かに頷いた。
ラッシュを新しい部屋に案内し、今度はルチルが新しい部屋を決めていた。二階の廊下でしゃがみこんだえるえると、まっすぐに立ってなおえるえるよりも背の低いルチルが会話を交わしていた。
「やっぱりラッシュさんの部屋と近い方が良いのかしら~?」
「どこでも大丈夫にゃ~♪」
「……ルチルさん」
「うにゃ?」
「アージュファミアは家族です。私は、ルチルさんを家族だと思ってます」
ゆっくりと、えるえるは手を広げ、ルチルの腰に手を回し、抱き寄せた。
「え、えるえる?」
「今日のルチルさんは変ですよ。とても寂しそうで、私、辛いです」
「……うにゃぅ」
ルチルには――雄也には、その言葉に返す言葉が無かった。その言葉をどう受け止めてよいか分からなかった。
ギルドメンバー達は、ルチルの記憶通り、暖かくルチルを迎え入れてくれた。姉御気質のヴァネッサ。無神経だけど性根は優しいアルバート。そして、ぼんやりしているけど、大事な事は見逃さないえるえる。いつもの、大好きな、ギルドメンバーだった。
でも、違ったのだ。雄也は、今日の会話の中で普段とは違う言動を見せている。もし、もしも彼らの中で、誰かが同じ状況に陥っていたとするならば、ルチルに接触してくる筈なのだ。でも、誰も接触して来なかった。誰も、リアルの話をしなかった。日常会話すら出て来なかった。それは異常な事だった。
「今日は、一緒に寝ましょうか?」
「うにゃ~ルチル、そんなにいつもと違うかにゃ~? 心配しなくても大丈夫にゃん♪」
ルチルを抱きしめる力が、ぎゅっと強くなった。
「心配、させてください。家族……家族、ですよね? ルチルさん……」
「…………勿論にゃ♪」
最後まで悲しそうに見つめる瞳から逃げるように、ルチルは――雄也は自室へと入った。
そんな瞳で見詰められても、応えられなかった。確かに似ている。でも、リアルの話が出て来ないのだから、それは違う存在なのだ。それに気付いた雄也は、応える術を持たなかった。人間でない存在に、慈しむように笑いかけられ、憂わしげに見詰められ、どう返せと言うのか。
その半面で、分かっても居た。これはまやかしなどではなく、現実なのだと。彼女の抱いた想いは本物で、心のソコからルチルを心配しているのだと。それでも、雄也は、彼女達を人間であるとは思えなかった。なまじ、深く付き合って、リアルの会話さえ時折交わす関係だからこそ、その不自然さを許容できなかったのだ。
「ごめん……」
暗い部屋の中で、小さな少女が、消え入るような声で呟いた。