アクア・ベネデッタ
何がきっかけで、どこが戦場となるのか、それは誰にも分からない。分かるのは、戦場で共に戦った仲間が、戦友となる事だけ。僅かな休息の時間、雄也は戦友とその時間を過ごす。そして彼はかけがえの無い物に触れるのだった……。
プディングプディングプリンプリン! プディングプディングプリンプリーーン!! FOOOOOOOOOO!!
それから数日後……。
「ありえへんて……さっぱわやや……」
獣人の少女が可愛らしく呟く。いや、仮に汚らしく喚き散らしたとしても、少女がそれをするなら金属製打楽器のように涼やかな音色となって響き渡るに違いない。
さておき、少女が慣れない関西弁でぼやいていた。
「あかんて……どないしょ、これ……」
少女――ルチルの眼前には、今はまだ見ぬ大陸の地図が広げられていた。端的に言えばオネショをしたのである。
しかし、不幸中の幸いでもあった。先日のお風呂以来、えるえると寝る事が多かったのである。勿論、アダルティーな意味ではなく、シンプルに寝起きをトゥゲザーするという意味である。
「……えるえるの居ない時で良かった、まじで」
ルチルは安堵の溜息を漏らした。
人間二十年も生きれば、様々な恥ずかしい経験をする。
社会の窓や理科の窓を全開だったり。ゴム紐の切れたズボンを無理に履いて、会計時に財布取り出そうとしてずり落ちたり。見栄を張った末にパッドごとブラがずれたり。休日に出勤して給金も無しに働かされ、それを後で教えられたり。
二十五歳フリーターである雄也もまた、数々の恥ずかしい経験をしてきた。直近では、買い物をして、自分の可愛らしい言動に気を取られるあまり、商品をそのまま忘れてくる、という失敗をしている。だが、それすらも可愛いと思ってしまい、いかんいかんと気を引き締めなおしているのだった。過ぎたるボケは及ばざるが如しだ。閑話休題。
ともあれ、人は長い時間の中で多くの失敗を重ねるものである。二十五歳ともなれば、大体のパターンは経験しているものだ。当然、オネショもそれに含まれる。人は失敗を通じて成長するものであり、乗り越えた失敗の数だけ、新たな失敗に立ち向かう力を得るものなのだ。故に、今、ルチルは――半笑いをあげて、泣きそうな顔でシーツをひっぺがしていた。
「ないわ……まじないわー……」
人が変化のない生き物であれば、同じ経験をしてもへこたれる事は無いだろう。しかし、彼はオネショを経験し、成長した大人なのである。オネショを克服した大人なのである。一度は打ち倒した敵に再びやられる、この屈辱は想像を絶するものなのだった。
実のところ、雄也はこうなる危険性を多少ではあるが、予感していた。やけに尿意が突然来るからだ。尿意というのは、膀胱の状態により感じ方が変わる。また体が小さくなれば膀胱も小さくなる上、女性には子宮が存在している為、男性に比べると尿意がすぐに来る。
そのような差によって、尿意の感じ方に違いがある事自体には気付いていたのだ。だからオネショをしないように寝る前には飲まないように心掛けていたし、少しでも尿意があったらすぐに出すようにしていたのだ。ラッシュのくすぐり攻撃で漏らしてしまった前科もあるが故に。
だが、それでも、この時を迎えてしまった。予感などではなく、確実にこの日が来ると予想していたなら、もっと冷静に対処できていたであろう。
ルチルは複雑な表情をして、布団を抱え上げる。以前までの雄也だったなら『犬っ娘幼女のおしょんしょんスーハーペロペロジュジュゥ』くらいはやってのけただろうが、自分の物という認識が多少なりあると、そうした気も薄れるのだった。端的に言えば、興味自体はあるという事だ。
だが、そんな興味よりも今は、これをどうやって運び、どうやって秘密裏に処理するか、に集中していた。ギルドアージュファミア館には二十名弱が詰めている。イレギュラーな存在に運良く遭遇しないとしても、朝早くから夜遅くまで一階を守る、守護者――ヴァネッサが居る。
「へろーにゃ」
「ん? おはよ」
さり気ない挨拶を交わし、ルチルは大BOSSヴァネッサをかわすと、そのまま洗い場の金ダライに水を入れ、家へと戻る。この金ダライは銅製なので、現代のアルミやプラスチック製と比べると大分重いが、ルチルは軽々と運んでいく。ちなみに、水も入れた重さは、ルチル自身より重い。
「…………今日の予定は?」
さり気ない調子を装い通り過ぎようとしたルチルに、ヴァネッサが問う。ここ二、三週間この問いが無かったのは、リーバーの食糧事情が不安定で出かけられる状態になく、いつもルチルが同じ行動をしていたからである。唐突に金ダライを持ち込んだルチルに、容赦ない追及が迫る。
「お掃除にゃ♪」
予め決めておいた文言を咄嗟に口にする。完璧だ、と雄也は思っていたが、あまりにも切り返しが早すぎて不自然であった。
「…………そ。じゃあ、朝御飯は私が作っとく」
「え? うにゅ~……お掃除、すぐ終わるかも知れないにゃ」
「しっかり掃除しときな」
朝飯前にしたくなるほど急いでるんだろ、とは言わずに、ひらひらとヴァネッサは手を振る。
「うにゃ。分かったにゃ~♪」
暗い室内で、ルチルはシーツを洗い、マット濡れタオルで拭う。幸い掛け布団の被害は少なく、マットとシーツを洗うだけで済みそうだった。
その時、不意にドアがノックされた。ルチルの肩が大きく揺れる。いきなり開けるような不躾な輩は一部しか居ないが、一部に存在する以上、警戒するのは仕方のない事だろう。
「私だよ。水持ってきた」
声からヴァネッサだと分かったルチルが、恐る恐るドアを開ける。動物特有の器官タペタムによって、ルチルの瞳が爛々と覗く。対して部屋は真っ暗だった。
「……暗いね。馬鹿共はもう出てるから、カーテン開けたら?」
ベランダ側には簡単な木材のドアのような物があるが、これは風で壊れないように格子状になってて隣から見える上、ドア自体も簡単に開けるようになっていて、脳内が子供のままのおっさん達がぎゃーぎゃー騒いで横切る事がたまにあるのだ。ちなみにおっさんとは言っても見た目は十代後半や二十代前半である。だが、エルスタントでは第二次性徴を迎える頃には成人扱いになるので、十代後半であっても彼らは立派な成人として扱われる。
「う、うにゃ~。開けるの忘れてたにゃ~」
「はい、水。持てる?」
「うにゃ♪」
さっと開けて、さっと受け取り、さっと閉じようとするルチル。その間、部屋の中を見ないようにするヴァネッサ。明らかにおかしい二人の行動だったが、お互いに不干渉であった。ルチルは藪蛇を突つきたくはないし、ヴァネッサも大体事情を察しているので何も言わないのだ。
「あー、待った。水、持ってくよ。あと、追加の水いるかい?」
「う、うにゃ? えっと、どうかにゃ~?」
「水多い方がしっかり洗えるでしょ」
「うーーーん。そうかにゃ~~~? でも、必要になったら自分で取りに行くから大丈夫にゃ♪」
「ま、そだね。水、持ってかなくて良い?」
「あ、うにゃ。ちょっと待ってて……」
さっと中へと戻り、さっと抱え、さっとドアの前まで運び、ルチルは声にならない悲鳴をあげた。タライの中の水が、薄黄色くなっているのをドアから入り込む光で確認したからだ。
「――――ッ。うばっ、ヴァネッ、待って! 待ってぇ!」
叫びながら部屋の中へと戻っていくその後姿をヴァネッサは気まずそうにみつめる。
「あー……まぁ、そんなもんだよ。ちょっと入っても良い?」
「だ、ダメダメ! え、なんでっ? なんでにゃ? 別になんともないにゃ」
「いや、分かってるからさ……何があったかくらいはさ。たらいの中も見えたし」
「うぅぅぅぅ……」
らん、らんらららんらんらん。らん、らんらららん。なんにもいないわ。なんにもいないったら。いや! なんにも悪いことしてない! と言わんばかりに、ルチルが金ダライを後ろに隠していた。が、ルチルの胴回りより大きいタライの姿は、ヴァネッサの視線から隠しきれてはいない。すっかり明るくなった部屋では、その薄黄色の液体がしっかり確認できる。
「まぁ、今日は全員のマットを干すから、しっかりと濡らして染みにならないようにしよう」
そう言ってヴァネッサは未だ乾いていないマットを見る。
「これじゃ、ちょっと濡らし方が足りないからね」
「う、うにゅぅぅぅ……」
「怒りゃしないよ? 笑いもしない。……後輩に教えるかも知れないんだ。ルチルもやり方覚えときな」
「うにゃ……」
そう言って大胆に濡らし、マットに押し付けるようにして水分を奪っていく。
「しっかりと水を与えて溶かしてやると、全く跡にならないのさ。これが不十分だと跡が残るからね。見た目で分からないくらい乾いたら干すから、今はしっかり濡らす」
濡らしては拭うのを繰り返していたヴァネッサは、顎でシーツを指す。
「それ、そっちもしっかりやっておきな。後で一緒に洗うけど、洗う前に乾いちゃうと跡になるからね」
「うにゃぁ」
恥ずかしいやら情けないやら、複雑な気持ちで作業を眺めていたルチルの声は、非常に頼りない。割とヴァネッサの側ではこのように頼りない声を上げる事が多いが、基本的にルチルは日常的に元気だ。それが雄也がルチルに与えたキャラクターだった。なので、オネショをしたのがばれても、にゃはー、と笑っているべきなのだが、ルチルの中に居る雄也的には、そこまで演技に徹する事ができない。
それはあるいは、雄也がヴァネッサを頼ろうとしているという事でもあるのかも知れない。
ともあれ、その日、予定に無いマットの日干しに踏み切るアージュファミアであった。尤も、洗濯などの予定について知るのはヴァネッサただ一人なので、その原因がルチルである事を知る由は無い。
まだぐだぐだと色々書いていきたい気持ちはありますが、そろそろ流れのあるお話に戻ります。ちょっと真面目な雰囲気になったり、やっぱりふざけてたり、でもぼんやりしてたり――そんな感じで行きますので、コンゴトモヨロシクお願いします。




