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本能に目覚めし獣

 まだだ、まだ終わらんよ。不屈の闘志で戦い続ける雄也は、ルチルを駆り、新たな料理を作り上げる。

 リーバーの地からは困窮にあえぐ民が消えていく。争いの火種が消えていく。戦いの地が失われようとしていた。しかし、雄也とルチルの戦いは終わらない。共に食べ、共に生きる家族がある限り!

 その日の調理場も戦場だった。

 総勢二十名弱が一堂に会する晩飯時、その料理を作る調理場、その忙しさは連日和らぐことが無かった。見かねたえるえるが早く帰ってくるのでまだマシな状況だったが、それが無かったら大変な事になっていただろう、ルチルで無かったなら。

 ルチルの段取りはここ数日でいい具合に成長していた。買い物から、仕込みから、調理から、盛り付けから、運ぶ段階まで、全てにおいて自身の体でできる最高効率を叩き出している。その為、えるえるが居ないなら居ないで、それに対応できただろう。とはいえ、連日えるえるが居たので、突然居なくなったら大変な事になるのだが。

「今日の御飯も美味しそうですね~」

 忙しく動きまわっていた二人が、不意に止まり、ルチルの頭が撫でられる。くすぐったそうに、しかし逃げようとはせず、むしろ手に頭を押し付けるようにルチルが体を伸ばした。

 実に和む光景であるが、調理場にこもった熱はとてつもなく、更にルチルの格好は毛が落ちぬように盗賊よろしく布でぐるぐる巻きになっており、暑苦しい。ローブにエプロン姿のえるえるも、額に汗を流していた。

「にゃぁ~。いい具合にゃ♪ えるえるのおかげにゃあ☆」

 同時に作るのにも限度があるが、えるえるのおかげでその限度が増していた。彼女達二人は、今やもう、以心伝心の仲であり、阿吽の呼吸で役割分担を行える域にまで達していた。

「美味しい料理が食べられるのはルチルさんのおかげ、ですね~」

 二人はにっこりと笑い合って、どちらともなく離れると、鍋をかき回し、フライパンを振り、各々動き出す。その姿は二人きりで戦場を駆け巡るバディのようである。ただし、バディは男性に用いられる物なので、日本風に相棒とでも表現すべきだろうか。ともあれ、二人は確かに、調理場で戦っていたのだった。




「うにゃ~、そろそろえるえる、お風呂かにゃ?」

 調理場には三人居た。ルチル、えるえる、そしてラッシュだ。割と前から皿洗いを手伝っており、それは畑仕事を始めてからも続いていた。護衛で何もすることがないを理由にしていたのだが、最近は新参者であることを理由に行っている。恐らく新参が新たに加わっても、何かしらの理由を付けて続けるだろう、というのがアージュファミア一同の予想であった。

「今日はラッシュさん、お先にどうぞ~」

「ん? なんでだ?」

「ルチルさんと一緒にお風呂に入ろうかと思いまして~」

 びくっとルチルが動いた。というより、顔が一瞬えるえるの方を向きかけて、すぐに首を戻した。挙動不審である。

「え、え~? なんでにゃ?」

「たまにはいっぱいお話しましょう~?」

 ルチルはえるえるの方を向く。が、その瞳は閉じられていた。一瞬開かれ、えるえるの胸を見て、さっと横を向く。角度的にはえるえるの顔を見て、顔を背けた形になった。

「毛がいっぱい、入るにゃ?」

「私は気にしませんよ~」

 にっこりと笑うえるえるに、ルチルも笑みを返す。

「じゃ、じゃあ、一緒に入るにゃ♪」

 声が震えていた。喜びのニュアンスが普段と違っている。えるえるに向けられた笑顔は、どこか、そう、どこか、イヤラシイものだった。




 ルチルは言うまでもなく、MMORPGの世界に迷い込んだ雄也という一人の男である。厳密には、マイキャラのルチルに憑依した、と言うべきかも知れない。

 MMORPGの舞台、エルスタントに迷いこんでから、雄也の性欲は鳴りを潜めていた。彼の理想とも言えるケモロリキャラとなって、興奮するより前に萌えキャラとして生き始める程に。普段の彼だったら……いや、言うまい。ともかく、大変な変態に成り果てていたであろうことは間違いないのだ。それが、獣欲も抱かず、いんぐりもんぐりなアレをアーンな風にもせず、健全に生き続けていたのだ。ある意味、これは異常であった。

 しかし、今、雄也の興味はえるえるの胸に向いている。失われていたと思われた獣欲が目覚めたのである。不死鳥の如く蘇ったのである。


 えるえるは普段、ローブを着ている。胸の目立たない服装だ。しかし、そのローブを下から押し上げるその圧倒的な質量は隠し切れない。雄也はそれをEカップかFカップはあると読んでいた。が、それは誤りだ。

 昨今のゲームでは割とそうでもないが、古いギャルゲーを漁ればBカップという表記で、見た目Fカップの女性がわんさと登場する。二十五歳フリーターの雄也の価値観は、そのギャルゲー時代の物だ。即ち、彼がFカップと推定する女性は、Fカップなどではない。つまり、えるえるはとんでもないわがままボディなのである。

 余談だが、このような勘違いはAカップへの理解が乏しい為であると考えられる。Aカップとは、アンダー――即ち乳房のすぐ下の胸囲よりトップバストが十センチ以上ある状態だ。そこから二センチと五ミリ増える毎にB、Cと上がっていく。Aまでが十センチならBまでは二十センチ、ではないのである。そこを取り違え、二次元キャラを基準に考えると、三次元の方々を敵に回すことになるので気をつけなくてはならない。




「にゃ、にゃ~。一緒にお風呂、にゃ~♪」

 発言はするが、ルチルは一生懸命に服を畳んでおり、えるえるの方を向きはしなかった。えるえるは今なお、服を脱いでいる最中であり、秘められしわがままボディがダイレクトに視界にインしかねないのである。それは蘇った獣欲にとって爆発的な燃料であることは間違いなく、彼の心を自壊させかねない。デンジャーなトラップなのである。

「背中の洗いっこしましょうかぁ」

 ローブ越しのくぐもった声を聞き、ちらっとえるえるを見るルチル。その視界に普段は見えない肌着を確認し、それだけでも興奮が高まるのを自覚していた。死んでいなかったのだ。彼の中のケモノはまだ生き続けていた。

 薄い肌着越しに透ける二つのメロンは、未だ出荷を迎えていないのか、ポリエチレン樹脂に覆われていなかった。端的に言おう。ノーブラである。

(うおおお!? 型崩れとかどうなってんねん!?)

「にゃ、にゃぁ!? あ、あー。洗いっこ、にゃぁっ? うにゃっ。するにゃ♪ にゃぁああ☆」

 慌てて自分の服に手をかけるルチル。やはり劇薬であったのだ。彼の獣欲回路はひたすらにオーバーロードし、焼き切れる寸前である。感動するやら興奮するやらえるえるに気付かれないように必死やらで、言動がひたすらに怪しい。が、それを制御する術を持たなかった。


「うふふふ。もしかして恥ずかしいんですか?」

 のろのろと服を脱ぐルチルに、えるえるはそっと歩み寄る。

「うにゃっ?」

 えるえるの声が近付いてくるのは分かるものの、そちらへと向くことができなかった。彼女の体を見たくない訳ではない。むしろ、そちらへ向けば視線が胸へと吸い寄せられそうで、それを危惧して向くことができなかったのだ。だが、彼女は容赦なくルチルへと近付き、ルチルの服へと手をかけた。

「えいっ」

「ふにゃにゃぁっ」

 雄也に、ルチルの体が自分の体であるという意識は、殆ど無い。が、突然脱がされるというのは存外恥ずかしく感じるのだった。無理もない。雄也に女性経験は皆無……いや、嫁は多く居るが、一度も服を脱がされたことなど無いのである。その為、思わず首をすくめ、猫のように腕を体の前に出した。

「……綺麗な体なんですから、恥ずかしがる事ないんですよ~」

「は、恥ずかしがって無いにゃっ。一人でできるから、えるえるは先に入ってて、にゃ」

 若干非難がましい言い方をしたルチルだったが、えるえるは「はぁい~」と気にした様子も無く元の場所へ戻り、肌着を脱ぎ始めた。結局、えるえるが先に入るまで、ルチルはやけに几帳面に服を畳み続けていた。


 磨りガラス越しにえるえるの姿を確認しながら、ルチルはカラカラと鳴る引き戸を開ける。初めに目に入ったのは少し大きなお尻だった。えるえるは自分のお尻を気に入ってはいないが、それは雄也にとって非常に魅力的な物に映った。腰からウェストのくびれまでのラインは芸術的な程だった。

 突然だが、雄也はロリコンである。ぺたんとした胸も好きだし、膨らみかけも好きだった。くびれの殆ど無いボディも好きだが、さりとて鋭角的ではない柔らかさを感じさせる絶妙な曲線は大好物だった。ルチルはそんな雄也の理想を体現したキャラクターだった、そんな雄也にとって、胸は例外であったが、お尻やくびれたウェストは魅力の対象外であった、筈だった。アイデンティティとでも言うべきその嗜好が、白磁器のように美しい白桃を前にして、崩れ落ちた瞬間だった。

「な、何してるにゃ?」

「浄化装置に魔力を注いでます~」

 体を捻ってルチルの方を向くえるえる。出荷前メロンがちらりと見え、思わずルチルは顔を下げ、足元の椅子へ視線を移した。

「あー、私もいつもやってるにゃ♪」

 お風呂の水を浄化する魔法装置、生活用である為、一般人に使えるように調整されたソレは、冒険者であるルチルにとって容易く使える物だった。なので、いつも使うのは当たり前である。あえて口にすることではないが、半ば混乱しているルチルに発言をコントロールする余裕は無かった。

 すぐ側の椅子に座ろうとしたルチルの手を、さっとえるえるが掴む。

「うにゃ?」

「ルチルさん、お湯、このくらいで良いでしょうか?」

 ゆっくりと優しく引っ張られ、ルチルは湯船前にえるえると一緒に並んだ。そこでえるえるは姿勢を変え、ルチルの腰へと右手を回すと、左手でルチルの手をお湯へと誘導する。

 しゃがむえるえるの胸が、ルチルの腕のすぐ横に来る状況だった。これ幸いとばかりにルチルはえるえるの胸をガン見する。これは必要な行動だった。えるえるがこちらを見る時に手元へ視線を移す必要がある。その為には、えるえるの方を見る必要があるのだ。

「うにゃぁ☆ 良い湯加減……んにゃ? ちょっと温くないかにゃ?」

 その瞬間、えるえるがルチルの方を振り向く。ルチルは慌てて首を傾げ、最初からそっちを見てましたと言わんばかりに手の先へと視線をやった。

「うふふ、ルチルさんとゆっくり入りたいですから~」

「ふにゃ~♪ じゃあ、そうするにゃ~♪」

「はい~」


 体を洗っている最中、ルチルは一切えるえるの方を向かなかった。不自然であるかどうかで言えば不自然であろう。しかし、えるえるの方を向かないという事もある。作業中であれば不自然過ぎるということはない。であるから、ルチルはえるえるの方を向かなかった。

 ちなみに、人間の視野は百八十度から二百度あると言われる。獣人であるルチルもその辺りは大差ない。よって、ルチルは――正確に言うならばその中に居るケダモノ雄也は、椅子を不自然ではないレベルで、引いた位置にセットした。こうすることで、横目で体を堪能するのが容易になり、更にえるえる側から横目で悟られない完璧な布陣となる。

 そうこうしてるうちに、えるえるが体を洗い終わり、ルチルの背中を洗い出す。至福の時間は終わりと告げるのだった。


 しかし、体を洗い終われば、次は入浴である。あろうことか、えるえるはルチルの対面に座した。三、四人は同時に入れる程の広さだが、長方形な為、二人でゆったりと入ろうとするなら必然的にこの配置になるのだ。

 思わず視線を下げるが、そうすると今度はわがままボディの割にはすらりと細いおみ足が視界に入る。

「ルチルさん?」

「うにゃ?」

「……女の子同士なんですから、恥ずかしくなんてないですよ~?」

「うにゃっ。分かってるにゃ」

 そう言って顔をあげたルチルは、えるえるの顔を見た瞬間に、母なる海に浮かび上がる丸型ブイの如きメロンに視線を移し、更に次の瞬間には顔を背けて、しまった、と言わんばかりに目を瞑った。完全に挙動不審である。

「……うふふ。気になります? 触ってみますか~?」

「うにゃっ? う、うにゃ? にゃ、にゃぁ? あ、胸にゃ? あー、えるえるの、おっきいからびっくりしただけで、アレにゃっ」

 なんの事か分からないにゃ~。あー、胸の事かにゃ? えるえるの胸おっきいにゃ~。びっくりにゃっ。別に他意があってそっぽ向いた訳じゃないにゃ。

 果たして、雄也が伝えたかったそれらのメッセージはえるえるに届いたのか。えるえるは柔和な笑みを浮かべて、そっとルチルの手を取った。




 暗くなったルチルの室内。ベッドに小さな少女と、女性が眠っている。

 しっぽりと『昨晩はお楽しみ』をした、訳ではない。えるえるは可愛いパジャマに身を包んでいるし、ルチルも今日は裸じゃなく、薄いワンピースをネグリジェ代わりに着ている。二人が向き合って眠る姿は、情事を思わせる事のない、実に微笑ましい光景だった。

 ルチルが薄目を開けてえるえるの胸を見ていなければ。


 ともあれ、時は移ろい夜は更けゆく。目覚めし獣欲に囚われし哀れな子犬を置き去りにして。

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