宿屋
「すいませーん。1泊したいんですけど誰かいませんかー」
工房のおっちゃんに「俺の名前を出せば悪いようにはしねーだろうから」と薦められた宿屋のカウンターに誰も人がいないので俺は声を張り上げた。
宿屋は1階は酒場で2階が宿というつくりになっている。いかにもファンタジーの宿屋という感じだ。
奥の扉が開き出てきたエプロン姿の……蟻?
ムシ人なんだろうな。
どこから声が出ているか分からないが、蟻なのにおばさんの声だ。
「はいはい、お泊りですね。生憎1部屋しか空いてないんだけどいいかね?」
「えっええ、かまいません」
これからまた宿を探すのは嫌だ。
もう蟻でも蟷螂でも何でもいいや。
「はい、ありがとうございます。1部屋1500ヘルになります」
「あの、おっちゃん……ランドさんの紹介できたんですが」
「へえ、そうなんですか」
「……」
「……」
しばらく見つめ合ったあと、俺は1500ヘル払った。
うん、確かに悪いようにはしてないな。
良くなってもないけど。
「はい、たしかに。食事は1階で酒場をやってますので是非そこをご利用ください。お風呂は23時までに入ってくださいね」
そう言われて部屋の鍵を渡される。
お風呂があるのはうれしいな。
昔のヨーロッパではお風呂に入る習慣があまりなかったらしいので心配していたのだ。
香水やハイヒールもそういったことから発明されたと聞いたような気がする。
冒険者用の部屋なのかベッドが3つある部屋にひとまずシルクの背中の荷物だけ置き、おなかが減っていたので酒場にまた下りる。
俺やエルナはともかくシルクの装備は脱がせてあげたいのだが、高価な装備なんで泥棒が怖いのだ。
銃の入った箱も持ってきている。
エルナはこういった宿は顔役にお金を払ってるので、盗賊に狙われる可能性は少ないといってたが用心に越したことはないだろう。酒場の隅のまるっこい木のテーブルに座る。
シルクが座ったときに嫌な音を椅子が立てたんですが……
これ壊れたら弁償するんだろうなあ。
メニューなんかが壁に張ってあるが、面倒なので近くの人が食べてるおいしそうな肉のソテーとスープあとはパンを注文。
お酒も欲しいが明日のこともあるし我慢する。
「エルナもシルクも遠慮しないで好きなもの注文してよ」
そう俺が言うとシルクはよく分からないので俺と同じものでいいとのこと。
エルナは何品か注文をとりにきた蟻のウエイトレスに頼んでいる。
肉の串焼きを結構な量食べたはずだけど……
まあいいや。
実のところ、働いているのがみんな蟻さんなので期待はしてなかったのだが、運ばれてきた料理は旨かった。
特にこの野菜屑ををじっくりと煮込んだスープは、ちょっとだけ入っているベーコンの出汁がスープになんともいえない深みを与えていて絶品だ。
少し濃い目の味付けなので、ぱさつくフランスパンっぽいパンをひたして食べるとちょうどいい。
鶏肉みたいなお肉のソテーも炭焼きなのかちょっとこげた部分が炭の香りがしていける。
エルナはすべて肉料理を頼んだみたいで、サイコロステーキみたいに細かく切った肉がジュウジュウと音を立てている山盛りのお皿とソーセージ。驚くほど分厚いベーコンの載ったお皿を受け取っていた。
すでにわき目も振らずお肉にかじりついている。
バランスは悪いと思うがまあ犬だしいいか。
しかしあのベーコンは実に旨そうだ。
ジプリアニメに出てくる感じのやつで、俺が普段食ってたベーコンとは全然違う。
「なあエルナ。そのベーコンちょっとくれないかな?」
誘惑に勝てず頼んでみる。
「……どうぞ」
何か凄い葛藤があったみたいで、しばらくの沈黙の後、断腸の思いといった感じでエルナが頷く。
「ゴメン。やっぱりいいや」
そういえば昔飼ってた犬もさ、肉を食べてるときに頭をなでると歯をむき出しにしてうなってきたな。
こんな声で「どうぞ」といわれて分けてもらえるほど俺の神経は太くないのだ。
仕方がない。明日はこれを注文しよう。
シルクを見るとなぜかスープの人参っぽい野菜だけより分けている。
「あれ?シルクなんでそれ食べないの?」
一瞬ビクッとして、「あ、あの、この野菜からはエネルギーを取れません」
そういって目をそらすシルク。
ハハーン。どうやら嫌いなようだ。
だが俺は料理を残すことは嫌いなのだ。食べ物が勿体無い。
シルクの教育のためにもここは鬼となろう。甘やかし過ぎてもシルクの成長によくないのだ!
「本当か?」
「……」
「……」
じっとシルクを見据えると、「ごめんなさいマスター。私はキャロの野菜は嫌いです」
目に涙を浮かべて俺に懺悔するシルク。
キュン。
キュン。
「ま、まあ嫌いな物を無理に食べる必要はないな」
うんそうだ。人間嫌いな食べ物の1つや2つあるものだ。
それを無理に食べさせることがどうして出来ようか?いや出来ない。
しかし、シルクにも好き嫌いがあるとは意外だ。
好きな食べ物はなんなんだろう?
「シルクは何が好きなの」
「はい。一番好きなのはマスターです」
「……」
「……」
「……」
「……」
「あの……ご主人様。なんで泣いてらっしゃるんですか?」
俺は泣いていたらしい。
夢中でお肉を食べていたエルナが驚いてたずねる。
いや、ちょっと生まれてきた喜びに感極まってしまって。
シルクはすばらしいということが確認できた料理の後。
部屋に戻った俺たちはようやく装備を脱いだ。
お風呂に入るのだ。
ただ、部屋をあけるわけには行かないから誰かが部屋に残る必要がある。
まあ、男女お風呂は別だそうなんで、装備を買ったお店で仕入れた日用品を二人に渡して二人に先に行ってもらった。
俺が残っていても泥棒に勝てるとは思わないけど案山子ぐらいにはなるだろう。
エルナはしきりに「私が残ります」
といっていたが、シルクを1人で行かせることは怖いのだ。
……何かを壊しそうで
二人を待つ間、ベッドに横たわって目を閉じる。
メガネに異世界に飛ばされて1日が終わる。
いろいろなことがあった。
路地で人形を拾った。
工房のおっちゃんに出会った。
財宝を見つけた。
奴隷を買った。
吸血鬼を倒した。
囚われの少女はおっぱいだった。
あれ?俺頑張りすぎじゃないかな。
俺が知っているナプールのイベントはもうほとんどない。
その知っているイベントも今は出来るものはないだろう。
はやく迷宮に潜って鍛えないと。
迷宮のダンジョンに出てくるモンスターは強いんだろうな。
明日は冒険者ギルドとやらに顔を出してから、ためしに迷宮に潜ってみようか?
ああそうだ、エルナと戦闘のフォーメーションについて相談しようとしてたんだっけ。
お風呂に入ってから相談するか。
とりとめもなく考えながらベッドに寝ていた俺はやはり疲れていたのだろう。
シルクの湯上り姿を見ようと頑張ってはみたものの、迫りくる睡魔に勝てず、結局そのまま意識を手放したのだった。




