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炎を継いで

 雨音が広がる。打ち付ける水滴が冷たく頬を撫でている。


 銀の焔の煌めきを反射して周囲が鋭く煌めくなか、歪な声が炎の奥から響いた。


〚さっきはすまなかった。レーニャ〛


 【銀炎】は穏やかな物腰で手を伸ばした。レーニャは怯え、顔を引き攣らせたが、硬直したまま父の抱擁を受け止めた。困惑と畏怖が安堵に溶けていく。


 何事もなく、数秒。ゆっくりと互いに歩を退いた。


 ディストは咄嗟にその手を遮ろうとしたが、リーダーに静止され、歯を軋ませながらもその様子をただじっと見ているだけだった。


〚時計の針を起動するにはね。精神的負荷が必要なんだ。異界道具の行使や銀の炎を灯すために……感情を燃やし消費するのと同じでね〛


 そして時計の針は起動した。


 これで任務が終わりで、今後とも銀雲急便でいられるなら――この怒りは堪えるべきものだろう。握り締めた拳も振るうべきではないだろう。


「……【銀炎】。オレだってこんなことは言いたくはねーが。自分の娘だろ? 他にいい方法はなかったのかよ」


〚難しいよ。時計の針が渡すことができる人物でないといけないし、その人物が深く絶望し、悲観できないといけないんだ。ただ焔を灯すのとは違う。瞬間的な激情が必要だったんだ。信頼という点では君に渡したかったが、……君は動揺しないだろう?〛


 リーダーは少し頬を掻いて、まぁなとだけぼやいた。


「それでレーニャか? ショックを与えるために説明も出来ずに騙すしかなかったってか?」


〚そうだ。そのために”彼女”に《分針》を渡した〛


 リーダーは深くため息をつくと、【銀炎】を睨み彼を殴打した。


 その相貌は銀の炎そのものとなっていたが、人間だった名残は残っているのか、鋭い殴打の音が雨音のなか響き渡った。


「オレはこいつらのリーダーとしてお前を殴った。悪いがレーニャとディストにも殴る権利がある。【銀炎】、オレ達はこういう組織だろ? それでチャラにしよう」


 真剣な表情を崩すようにリーダーは笑ったが、【銀炎】は僅かに俯いて首を横に振った。


〚そうしたいが……一つ予想外なことがあったんだ〛


「なんだ? オレがお前をぶん殴ったことか?」


〚それはむしろ望んでいたぐらいだ。……けど嗚呼、この時間に戻るとは思わなかった。《時針》に決定権があると思っていたよ。だが、違ったんだ〛


 穏やかな口調のまま、しろがねの灯火が煌々と滾り揺れていく。気圧され、顔を歪めながらも、ディストは庇うようにレーニャの一歩前に出た。


〚時計の針がどこまで巻き戻るかは《秒針》も《分針》も等しく権利を持っていた。だから君達は死ぬ前に、君達がまだやり直せるかもしれない時に戻したんだろうね。嗚呼、だからつまり……私以外が時計の針を二人が所持していると、私はやり直したい時間に戻れないようなんだ〛


 ゆっくりと抜かれる軍刀。


 鋭い切っ先が炎を映して燦めきながら、レーニャの眼前に向けられた。


「……お前をそこまでさせるものはなんだ。【銀炎】……!!」


 リーダーは苦渋しながら剣を構えた。親友であり、組織の長であり、レーニャの父親である【銀炎】に、顔を歪めながら剣を向けた。


「嗚呼、おかしいとは思っていたさ! どんな理由でもお前は、自分の娘に刀を抜くような外道じゃなかった!!」


 リーダーから爆炎の如き銀色が噴き上がると同時、雷鳴さえも劈く金属音が響き渡った。目視不可能な加速と共に激突する刃と刃。火飛沫が散った。


 刀身は銀に燃え、互いをけづり、鍔迫り合う。


「父親が、銀雲急便の総統が、娘をッ! 部下をッ! 裏切ってんじゃねえ!!」


 際限なく湧き上がる銀の業火。


 斬撃の瞬きと共に残像を焼き付けて視認不能な剣戟の応酬が交わされる。


〚私の娘は、レーニャはとっくに死んだよ。だから巻き戻すんだ。やり直すんだよ。彼女それは《分針》を起動させるために用意しただけの……偽物だ。ほんの十年しか生きていない記憶も全部偽物の、缶人レプリカントでしかないんだ〛


 淡々と吐き出された【銀炎】の言葉。


 炎が揺らぐ様子さえ見せなくて、レーニャはただじっと銀の灯火に釘付けにされたまま目を見開いていた。


 目も開けられないほど眩い炎を凝視しているのに、闇ばかりを映し出して虚ろう。涙が滲んでいく。指先が震えて――、歯を軋ませて。


「ふざけ「るんじゃねえ!!」」


 リーダーの怒号をかき消すほどディストは声を荒らげた。深紅の瞳から銀の烈火が燃え広がる。


〚ふざける? 私は本気だ。真剣に考えた結果だよ。自分の娘を模せば確実に時計の針が一本は起動できるだろう? 時間が戻れば私が今ここにいるレーニャを殺したことさえもなかったことになる。存在ごとね〛


「レーニャはお前を信じてたんだ!! お前を誇りに思っていたのに!!」


〚そうだろうね。私の娘の記憶と人格、そのままだから〛


 ――――話なんて通じない。感情も倫理も意味を成さない。【銀炎】は何もかもが人でなしだ。


 ディストは決然として地面を蹴り砕き跳んだ。炎の軌跡を描いて【銀炎】へ肉薄する。


「てめえは!! 敵だッ!!」


 もはや躊躇いなどなかった。


 眼の前にいるのはレーニャの父親でも、銀雲急便の信頼できる上官でもない。


 レーニャを傷つけ、利用する敵だ。


 レーニャを悲しませる敵だ。


 銀の色付きだろうが、メガコーポを一人で壊滅させられる怪物だろうが、組織の頂点だろうが、――――関係ない。レーニャの敵だ。


「悔め!! 《秒針》!!」


 届かない速度の差を補わんと異界道具を行使する。


 ――時間の停止。ほんの一秒足らずの空白のなか、炎を舞い上げ軍刀を突き伸ばした。


〚時を止めようとも、私と君では流れる刻の早さが異なるらしい〛


 声が響く。停止した時のなかで、【銀炎】の時間だけは加速し続け、止めていられる刻が刹那のうちに過ぎた。


 時間停止のなかで突き放った必殺の一撃が、容易くいなされた。




 視界の全てを銀色が塗り潰す。




「「――――――――――――――――――――――――!!」」


 ありもしなかった希望を燃やし尽くして、銀の炎が渦を巻く。途方もない熱が全てを歪め、【銀炎】の劫火がディストの全てを貫かんとするが。




 何も理解できないままディストは目を見開くことしかできなかった。




 だが絶望そのものであった銀色が暗転し、視界を赤色が塗り潰す。……それはディストのものではない鮮血だった。


「リーダー……? なにを、して――」


 ディストを射殺すはずの一撃が、【銀炎】の刃が、リーダーの身体を深く貫いていた。心臓の位置から飛びだした切っ先。


 刀身を濡らす銀の灯火が、内側からリーダーの肉体を燃やし尽くしていく。


「どうだ? 速すぎて何もわからなかっただろう」


 だというのに、リーダーはそんな言葉を冗談めかして呟いて、青ざめていたディストを宥めるように力なく撫でた。


「……だから、わかるようにしてやる」


 リーダーはそう言うと、【銀炎】の軍刀を握りしめ、離そうとはしなかった。むしろ自分自身ごと銀の灼熱に投じ、【銀炎】の炎さえも呑み込み、喰らい合っていく。


「……いつまでボケっとしてやがる!! ディスト!! オレの炎を、てめえに炎を継いでやる。だからとっとと惚れた女の手ぐらい引っ張りやがれ!!」


「ッ――――!!」


 ディストはそれ以上言葉を交わせなかった。


 泣き喚いてしまいたい衝動も、怒りも、無力さも、なにもかもを火種にすることしかできなかった。


 決断したのは自分だけではなかった。すぐ傍で車の駆動音が既に響いていた。


 リーダーに好きだ、好きだとアプローチしていたルサールカも、彼を置いていく決断をしていた。


「レーニャッ!!」


 無我夢中だった。ただ荒々しく名前を叫んで、彼女の手をぜったいに離さないように掴み、そして駆けた。


 銀の炎を一点に収斂させ、加速し、発進しだした車へ強引に転がり込む。


 同時、ハンドルを通じてルサールカの灯火がホイールを染めて加速した。


 雨に包まれた摩天楼を突っ切っていく。


 逃げてどうなる? どこに逃げる? 色付き相手に逃げられるのか?


 不安ばかりが込み上げたとき、意思に反して双眸に銀が灯った。


 絶え間なく、自分の感情ものではない炎の礼賛が全身を包みこんで、不安を塗り潰す。涙を流すことも振り返ることも拒絶する。


 炎の熱が背を押していた。


「……お前の夢はなんだ?」


 確かにリーダーの声が聞こえた気がした。


 リーダーの意思が、力が、命が――。


「オレはお前を信じてやる。だから、したいようにやってみろよ」




 銀に光輝する灯火となって。


 ――――継がれた。







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