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行ってしまった

 五章:時が揃う






 ……ディストはゆっくりと目を開け、すぐにまだ夢の中にいることを理解した。


 アリススプリングスの小さなモーテルに泊まったはずが、気づけば白い砂漠の中心に立っていたから。


 周囲を見渡しても純白の砂粒だけが果てもなく広がっていて、アメリアと自分だけがそこにいた。乾いた風が彼女の金の髪が無数の光を靡かせている。


 ――そう、アメリアがいた。だから夢でしかないことが理解できてしまった。


「久しぶりだね」


 少し照れ臭そうにアメリアは手を振った。花飾りの色は曖昧で、向けられた笑みさえも無数の記憶が必死に過去を掘り起こして形を保ったものだった。


 それでも真紅の瞳だけは鮮明で、じっとこちらに向かう眼差しは小さくも消えることのない銀の炎を灯していた。


「……夢、見つかったみたいだね」


「……ああ。まぁ、俺の夢ってよりはレーニャの夢だけどさ」


 真っ直ぐな言葉を前に、ディストは恥ずかしがるように俯きながら答えた。学校に受かったことを母さんに伝えたときのことが脳裏に過ってくる。


 眼の前のアメリアみたいに、安堵と歓喜が混じったみたいなため息をついて、胸に手を当てていた。


「ならよかった。私さ、ずーっと心配だったんだ。ディストは私がいてくれればそれでいいって、そればっかりで。……ふふ、とっても嬉しかったけどね」


 アメリアの細い指が頰を撫でようとしてすり抜ける。夢の中だというのに何も思い通りにはなってくれない。


「ふふ、これで安心できるよ……。これなら命を賭けた甲斐もあったってやつだね。あの子ならディストこと、ちゃんと見てくれそうだし。私も、いつまでもこうしてお邪魔してちゃ悪いとは思ってたからさ……」


 アメリアが身体をすり抜けて通り過ぎる。咄嗟に振り返り、彼女の手を掴もうとしたけれど、すり抜けて虚空を握るだけだった。


「邪魔なんて思ったことはない……」


「そんな嬉しいこと言ってもダメですー。ディスト、ひどいことしてるからね。こんな大事な日に、せっかくレーニャちゃんとその……その、ねぇ?」


 アメリアは紅潮して言葉を濁した。恥じらいを誤魔化すように声が上擦っていく。


「なのに、よりによって夢のなかで私と密会だなんて。あーあ……。私ももっとアピールしたら良かったのかな。あんな情熱的な言葉、聞いてみたかったな」


 大袈裟に喜んだり悲しんだり、夢のなかのアメリアは忙しなかった。同時、僅かな違和感が残る。


 いままでは思い出でしかなかったのに。今、眼の前にいる彼女はとてもじゃないが過去のものとは思えなかった。夢だから? 否、そんな単純なものにも思えなくて、ディストは段々と目を見開いていった。


「……アメリアはまだ生きてるのか? …………肉体的な意味じゃなくてもいいんだ」


「ううん。ごめんね。私は死んじゃったんだ。ごめんね。ディスト……。本当にごめん…………」


 触れ合うこともできないのに、アメリアはそっとディストを抱きしめた。姉が幼い弟を甘やかすかのように、ただ優しく、すり抜けてしまいながらも頭を撫でていく。


「今の私は……なんだろうね。眼にお金をかけたおかげかな。それと≪秒針≫のおかげかな。こうしてきちんと話が出来たのは初めてかもね。……奇跡ってやつ?」


 ニカっと、笑えない冗談を晴れやかな笑顔で笑い飛ばして、アメリアは夢のなかで深く息を吸い込んだ。真摯な視線が向かい合う。


「けど……いつまでも覚めない夢を見せてちゃ悪いからさ。――これで終わり! 私はずっと苦しめていたくはないんだ。それに、せっかくあんないい子が付き合ってくれたのにいつまでもシスコンしてたら呆れられちゃうでしょ?」


「残ってくれたっていい。悪いことなんてないだろ……」


 喪ったものをもう一度、喪いたくはなかった。


 耐えられそうにないことだった。憎悪と怒りはとうに思い出せなくなったとしても、未練だけはずっと遺り続けていたから。


 けれど、アメリアは小さく首を横に振った。


「……ううん。ずっとこうしてはいられないよ。してちゃダメだよ。私は曖昧だから。お別れを言えないまま消えちゃうかもしれない。二度も、さようならを言えないのは嫌なんだ」


「……姉さんはいつもそうだ。自分勝手だ」


 決然とした紅色の視線。アメリアの瞳に灯された銀の炎を直視できずに俯いた。いっそ泣き喚いて困らせてでも引き止めたかったはずなのに。アメリアから継いだ眼は涙を流してはくれなかった。


「へへ、ごめんね。この奇跡を私は逃すつもりはないよ。……私は、私の銀の炎を継ぎにきたんだ。……ディストが転んだら支えてあげるために。私の炎は挫けない炎だよ。どんなつらいことがあっても、私が代わりに泣いてあげるから。ディストが前を向いていけるように。そうするために終わらせにきたんだ」


「今が一番、泣きたいよ……姉さん」


 ディストは自身の内側に灯し続けるかがり火が勢いを増していくのを理解した。……銀の炎が継がれているんだ。


 どうにもならないことを改めて突き付けられる。嗚咽をこぼしながらなんとか笑みを向けようとしたところで、頰は引き攣るばかりだった。


「今は……ダメ。泣かないで。ふふ、お姉ちゃんが最後にアドバイスしてあげる。そういう涙は、女の人の前で見せるといいよ? なぜって? 得だからね。ディスト、顔いいからさ」


「くだらないこと言ってんじゃねえよ。こんなときにさ……! アメリア……」


 笑えない冗談を前に涙も出なくなってしまって、声が裏返りそうになる。それでも最後に名前を口にすると、アメリアは穏やかに微笑んだ。


 触れることもできない身体が銀の炎そのものとなって消えていく。ただここにいてくれるだけでよかったのに――。


「またね。って言いたいところだけど。違うね……ふふ。少し淋しいけれど、さようなら。ディスト。最期に言えてよかった。ディストが一人ぼっちじゃなくなってよかった……」


 ――行ってしまった。


  果てなく広がる砂漠の中心でアメリアの灯火だけが眩く輝き続けていた。






「……ッーーーー!!」


 目も開けられないくらい眩しい夢のなかで、ディストは決然として眼を開けた。勢いよく身体を起こし、果てた息を必死になって整えていく。

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