フェンリル社の
――――その日はいつもよりも天気が悪かった。
朝の寒さに目を覚ますものの、日が出る様子はなく薄汚れた灰色の雲ばかりが空を覆っていた。
「……姉さん?」
部屋を見渡すも、いつもならまだ寝ぼけて半裸のまま彷徨っているはずのアメリアの姿が見当たらない。
もう仕事に出て行ったらしい。バイクも無くなっていた。代わりとばかりにメモがドアノブに掛けられている。
『前払い分の料金、ディストのLカードに送金しておいたよ。それで帰りに美味しいもの買ってきてよ。二人で食べよう? 愛してるぜ。弟よ』
残高を見ると闇改造医での収入がバカに思える程度の金額が振り込まれていた。これなら久々にレーション以外のものだって買えるだろう。
再生豚の肉にしようか。チョコレートだってつけられる。
いっそ豪華にピザを買ったって良い。それぐらいの贅沢が容易に許されるほどだった。
考えると緊張がほぐれてくる。今日の依頼を確認し、必要な器具をバックパックに詰め込んだ。
『姉さんの希望のものはある? もし余裕があったら書いてくれると嬉しい。今日は仕事、早めにあがってマーケットのほうに行くよ』
送信。一呼吸を置いて工房に向かった。
シャッターを開けていると、予定の時間より早く一人目の客が待機していた。屈強な体躯。義体の脚に仕込まれた暗器。揺れる狼尾。
獰猛な牙を見せる頭部は人間のものではなく、被り物のように狼の頭が癒着していた。
遺伝子改造や生体義体ではなく異界道具と呼ばれているものだろう。
異星やら異世界やらからもたらされた技術や道具、生物だったか。
感情に共鳴するだとか。理屈では説明しにくいエネルギーを用いるおかしなものだ。
詳しい原理は知らないが大層な身体改造者だ。
技術者としてはあまり好きではない。
「おい。遅えぞ。こっちは夕方までに仕事があるんだ。義手の再調整がしたい」
粗暴な声。企業の制服に刻まれたロゴはこの都市とは違う街を支配する大、大、大企業のフェンリル社……!
…………の下部組織に当たる……なんだったか。
名前は思い出せないが、フェンリル社様の管轄企業で、企業様にとって危険な運搬物を私掠する会社だったはずだ。
ともかく、彼は手術台に座ると、鋭い眼差しを突き向けてきた。
「仕込み武器を足すんでしたよね。武器は――」
「用意してあるからどうにかしろ。オルトロス社の執行砲壱式を用意した。不出来だったらてめえをこれで撃ち抜くがな」
地面に対する発砲。赤い熱線が砕け、光の飛沫が散っていく。
「…………請求額に床の修理費も追加しますね」
「おう。そうしてくれ。二割増しでいい。嗚呼それと、麻酔はいらない。痛覚遮断を最近入れた。デカイ仕事が入るからな……」
嫌な笑みだった。狼のアギトから零れ出る吐息に僅かな身震いをしながら武器を組み込んでいく。
「……ワイヤー装置が緩んでいます。直しておきますね」
「そうか? 悪い。そこらの闇医者よりは高いがお前は優秀だな」
一つの言葉でも印象は変わるものらしい。
褒められて悪い気はせず、ディストは頭のなかで一人、嫌な笑みを撤回した。
軋む金属音。溶接で飛ぶ火花。失った血を投与。
数時間ほどの沈黙が伸びていく。そして――。
「終わりました。入金も確認しましたのでもう動いて問題ありません」
男はガチャガチャと腕を動かすと満足そうに狼の顔で確かに笑って見せた。
「料金が割に合ってないんじゃあないか? ……いや、いい意味でだ。振り込んでおいたよ。じゃあな。また会おう。次はもっとでかい料金用意してやる」
狼男さんは文句一つなく入金を済ませるとさっさと行ってしまった。
「……どうも」
曖昧な独り言を零しながら残りの予約の確認していく。
幸い、今日の仕事は夜には終わる。
昨晩のように深夜の遅くまで機械油と血に塗れることはなさそうだった。
「……やっぱ贅沢な料理と言えばシチューか?」
終わったあとのことを考え気合を入れ直す。
それだけで、長い時間もあっという間に過ぎていくようだった。




