これ以上は
アメリアはライダースーツのジッパーを深くまで上げていく。胸元のふくらみできつく詰まり、ンン……と、小さな呻きを漏らした。
「……ありがとう。姉さんだって忙しいのに」
ディストは好意を素直に受け取った。後部に跨りアメリアにしがみつく。急いでくれていたのか、強風に当てられた身体は少し冷たかった。
「感謝してるならアメリアって呼んで欲しいなぁ。確かに家族みたいなものだけど、ほら、血の繋がりはないじゃん?」
サスペンションの効かない車体が酷く振動しながら加速していく。
「嗚呼、でも血なんて些細なことだろ? この仕事をしてると肉体の強化のために血の抜き入れもするからさ。だから俺にとっては血とかじゃなくて、姉さんだから姉さんなんだよ」
二人はバイク乗って工場地帯から離れた。開発放棄された都市区画をまっすぐと進んで、車輪が崩れた高架橋に乗り上げていく。
「うーん……。嬉しいけど少し違う…………」
アメリアは苦笑いを浮かべた。
突き刺すように冷えた空気を飲み込んで、数秒の沈黙。小さなため息を吐くも、荒む夜と加速の風で流れて消えていった。
「そうだ……。ディスト」
アメリアは緊張するようにハンドルを握る手に力が籠めた。筋肉が強ばるのが伝わって、ディストは僅かに表情を曇らせた。
何気なく後方を見ると、自分がいた場所はすでに真っ暗闇のなかだった。ただ漠然と、都市の構造物の影だけが見えた。
「ディストにさ。近々でかい仕事を用意できそうなんだよね。そしたらあんな工房で違法な手術もしなくてよくなる。それどころか、企業の庇護に入れるかもしれないんだ。今日はそれも言いたくて来た」
企業の庇護。
守ってくれる組織がいない人からすれば泣いて飛びつく話だ。
都市を支配するような大企業様の一員とまではいかなくても、組織の一員だったらさっきみたいに襲われても助けてくれる誰かがいるだろう。
けど、ディストにとっては特別惹かれる話ではなかった。
本当に助けが欲しいときには、いつも自分を助けてくれる人がいるから。
その人が本当に助けて欲しいときは、自分がいつも助けに行っているから。
「姉さん……。無理はしないでほしい。姉さんだけなんだよ……こうして一緒に喋ったりできる家族はさ。俺はべつに今の暮らしでもいいんだ。余計なものを持たなくたって。姉さんさえいてくれれば」
ディストは嫌なことを思い出すように街灯のない暗闇を眺めた。
そんな薄暗い影を口笛が塗り潰す。アメリアはギアをあげた。
軋むクラッチ。加速の風が一瞬で横切っていく。
冷たくて、心地よくて、少し寂しい風だった。
「ああ、そういうこと言われるのすっごい嬉しいなぁ。今すぐ停車してキスしちゃいたい。だめ?」
「ダメだろ。危ないし」
蕩けるような声に淡々と突きつける言葉。ディストはニヤけてしまいそうな恥ずかしさを顔を背けて隠した。
次にあきれて笑ったのはアメリアだった。
「……ディストはさ。私の夢なんだよ。……企業のパシリしか出来ない私と違って、才能がある。じゃなきゃ色んな企業の義手だとか刺青技術を問題なく移植することなんてできるわけないし」
上擦った声。希望と願望が混ざっていて、少しだけ嗚咽が掠れている。
それでも轟くエンジン音にかき消されることはなかった。
「……ああ、そうかも。だから今の仕事ができる。それじゃあダメか?」
「ダメ……! 絶対ダメ! あの仕事は長くはできない! 企業は技術の保持には必死なの! いつか目をつけられる!」
アメリアが必死に訴えてくる。
――――企業は技術の保持には必死。
聞いたことがある話ではあった。
点在する都市を支配する大企業様が全面戦争になって、何万と死んだ話も聞いたことがある。
そんな大規模じゃなくても、刺されると記憶を抜かれるナイフで夜道を襲われたりもあるだろう。……今日みたいに。
「それに! 手術だって命がけでしょ!? 今日だって危なかった! いつ死んだってよくあることで終わっちゃうの、嫌だよ私!? ずっと、ずっとバイクであの暗闇のなか待ち続けるなんて」」
泣き縋るような声とともに減速。
重なり合ったアパルトメントの前に停車していく。心地よい風は生ぬるく肌を撫でる空気へと変わり、薬とドブの臭いが広がった。
もう家に着いたらしい。
ディストとアメリアは亀裂だらけの舗装路に足をつけた。
同時、アメリアはディストの肩を掴んだ。逃さないように、がっしりと。
ディストは僅かに藻掻いたけれど、自分より高価な身体改造を施しているアメリアを、振りほどくことはできるはずもなかった。
「…………っ」
訴えるような眼差し。息を呑んだ音さえも聞こえた。
ディストは気まずいように頬を引き攣らせ、周囲を見渡す。
姉さんの弱り切った表情を、自分以外の誰にも見られたくはなかった。
「だからって毎日迎えに来なくても――」
「嫌だよ……。待つ場所がこの掃き溜めに変わるだけじゃん。ディスト、私だって多くが欲しいわけじゃないけど。……あんな仕事をしてたらいつか殺される。だから、――仕事は絶対取ってくるの。私をとめないで」
アメリアはそう言い切った。激しい動揺に揺れる金の髪がディストの頬を撫でる。残された一つの瞳がジッと。
真摯な眼差しを赤く蛍光させていた。
渡されたジャケットのぬくもりは消えているはずなのに。未だ熱を帯びているような錯覚を覚えた。
ディストは、根負けするように小さく頷いた。
「…………悪かったよ。姉さん。だから、家に戻ろう。ここは寒いし」
「……うん。ごめん。困らせたみたい」
「いや、俺が悪かった。……迎えに来てくれるのは嬉しいんだ。本当に。凄く嬉しいんだ。ただ、俺だって無理はしてほしくはないんだよ……」
ディストの言葉に、アメリアはパッと花が咲いたような笑みを浮かべた。
姉弟というには苛烈な抱擁。
ディストは長く、長く抱きしめられて、少しばかり甘えるように寄りかかった。
触れるぬくもりはどちらにとっても暖かい。そんなはずはないのだが。
「ふふ……嬉しいなぁ」
満足したのか、アメリアはにへらぁと、柔らかに笑って軋む扉を開けた。
暗く、二人では広い部屋だった。
明かりに使うはずの電気でヒーターのスイッチを入れる。
市場で得たBレーションを加熱しながら、ディストはジャケットを返した。
「まだお湯は残ってるし、シャワー浴びてきたら? 俺はその間に……父さんと母さんに食事、あげてくるから」
「…………ごめん。お願い」
アメリアの言葉を背にディストは地下倉庫へと降りていく。
「父さん、母さん。……飯だよ。大したものはないけどさ。久々に温かいやつ」
「あ、アア。カ……ギ、ギゅ、ミ」
うめき声。視界に映る二匹の怪物。無意味に伸びた触肢。皮膚を突き出た骨と甲殻。無数の口腔は癒着して、歪に並ぶ牙。
…………病院に行ったって処理を受けるだけだろう。
とっくの昔に終末の日は過ぎていて、こんなことはありふれている。
両親は床を這いながら用意したレーションを貪り始めた。
二人がいなければ食費にもっと余裕が出るだとか、地下室のない安い部屋に移れるだとか。
色々考えが巡るほどディストは自分自身に嫌気がさして、堪えきれなくなった。逃げるように背を向ける。
「姉さん、もう寝た?」
小さな声で尋ねる。返事の代わりに小さな寝息が響いていく。
リビングに戻るとアメリアはもうソファで寝潰れていた。金の髪が力なく垂れていて、温めたBレーションは中途半端に摘んだだけだった。
「ふっ……姉さん……。疲れてるのに」
ディストは穏やかに笑った。自己嫌悪なんてすぐに吹き飛んでしまった。
ぎゅっと抱きかかえ、ベッドに下ろす。
「……俺はこれ以上は望まないよ」
夜が降りていく。
残った食事を胃に詰め込んで、僅かな幸福感に脱力しながら目を閉じた。




