考えなし
背後で制御の失ったモービルは砂を舞い上げ、地面に突き刺さり、動かなくなった。
だが、脅威は退けられていない。敵は確かな動揺を示したが。それは数瞬にも満たなかった。軌道を追って、敵機が急旋回していく。
挟撃を避けようと、膝が砂を撫でるすれすれにまでディストは車体を傾けた。エンジンの音と振動が、重量のあるフレームからシートを超えて全身を揺さぶっていく。
「ッ――!」
すぐ背後を突き伸びた仕込み槍が掠めた。掠りもしていないのに皮膚を引き剥がす鋭い痛み。否、痛みを錯覚させるほどの冷気だった。
血液の急速な温度変化によって朦朧とする視界。
炎天下のなか、陽光を乱反射して煌めく氷の飛沫をジッと目の当たりにして、ディストは決死の想いで歯を食いしばった。
「ここで死んだらッ!! よくあることで終わるんだよ!! 俺はッ!!」
今はまだ死ねない。嫌だ。アメリアはもういないのに。
そんな激情が自然と湧き上がる。塵の価値にもならないプライドが、自分自身が死ぬことを許さない。彼らの前で宣言した言葉を嘘にしたくはなかった。
意識と共に手がアクセルから離れていく最中、一層強く燃え滾る銀の灯火によって強引に加速した。
車輪がズンと、深く砂中に沈み、蓄積した加速が放たれるかのように跳んで距離を取っていく。
――冷気の飛沫で陽光汚染と熱を退けているのか? 彼らが死ぬような酷暑のなかで防寒具を着ているのは自らの冷気に殺されないためか?
「面白い技術だな……! 前弄ったときは理由まではわからなかった……ッ!」
冷静に巡っているのは思考だけだ。
意識をつなぎとめるために口角を釣り上げたまま叫ぶ。醜い藻掻きだ。
ルーディオも、ルサールカも、ミルシャも、レーニャも。誰も追い詰められちゃいない。余裕なく叫んだりなんかしない。
そうやって藻掻けばもがくほど、敵の視線が重なっていくのがわかった。余裕の無さの現れは、現状以上の危険を招くらしい。
だが肉体が危機に晒されるほど五感は鋭敏に研ぎ澄まされる。視覚情報が拡がり、直感が抗いがたい殺意を嫌になるくらい知覚していく。
「ッー……!」
よろめく車体。なんとか片腕だけで制御を取り戻して、銀雲急便の刺青に刻み込まれた軍刀の構えを、姿勢を整える。
だが死にものぐるいで得た間合いは一瞬で詰められた。鋭利な刺突が砂塵と氷礫を舞い上げて驀進してくる。
ディストは迎え撃つように鈍色の切っ先を突き向けたが。眼前の敵が銀色に覆われて突き飛ばされた。車輪に帯びた銀の輝きが敵の胴体を寸断して見せる。
割り込むように助けに入ったのはレーニャだった。視線を向けると、鋭い睥睨が返される。
口元に浮かべた嘲りには、どこか安堵が混じっているようにも思えた。
「どうやら人間なようで安心しましたよ」
「……どういう意味だ」
問いかけたが。答えをもらう時間はない。強引に割り込んだレーニャへ向けて、凍りついた砂の刃が放たれる。
レーニャは冷静に放たれた礫まで斬り落とそうとしたが。
ディストは赤い瞳に刻まれた時計の針を躊躇いなく行使した。
チクタクと音が鳴り響く。強い負荷が頭のなかを軋ませ、苦悶の表情を浮かべながらも、ディストは引き金となる言葉を唱えた。
「悔め。«秒針»」
短時間に二度目の行使。
停滞する時間のなかで銀の業火を収斂、蓄積し、時が動き出すと同時に銀に煌めいた。白い砂塵を爆発的に舞い上がて、突き刺す冷気に真っ向から加速し、業火となって激突する。
銀閃は火の粉を帯びて凍える冷気を貫いた。
ディストはレーニャの前にまで回り込んで迫る氷刃の礫を斬り払うと、そのまま敵へ肉薄し、腎臓を深く刺し貫いてみせる。
呆然と、事態の把握できずに目を見開くサハポート工房の男。
視線が向かい合う。男は言葉を発することもできず、呼気に血を滲ませた。
「ぁ……ッ、が……」
「ッ……!」
喘鳴が耳を撫でる。首に掛けられていた手製のお守りが目に入って、ディストは引き攣るように息を呑んだ。だがもう戻ることはできない。
顔を背けることもなく、決然とした態度で刃を引き抜く。
血と同時、こぼれ出る僅かな臓器を必死に押さえて悶えていたから。
深くまで首を穿ち斬る。ザスンと。刃が砂まで貫いた。
静寂が訪れる。最後の一人だったらしい。
仕留めると、砂漠の風音ばかりが響いていた。
近づいてくる砂を踏む靴音。振り返ると、
レーニャが険悪な表情で鋭く睨み据えていた。彼女は苛立つように歩み寄って、乱雑にハンカチを押し付けてくる。
「……時計の針の負荷を理解してないんですか? 拭いてください。顔、血まみれです」
曖昧に頷きながらディストは顔を拭い確かめると、布地が赤く染みていく。鼻腔を覆う鉄の臭い。自分の血だった。
「助けたつもりですか? ワタシは問題なく対応できました。…………馬鹿にするな」
レーニャは明確に怒りを滲ませた。淡々とした態度が消え、声を荒らげる。緊張を感じ取ってか、慌てるようにルサールカが割り込んだ。
「まぁまぁ! 馬鹿にしてたわけじゃないと思うよ? 彼、そういうことはしなそうでしょ?」
穏やかな笑み、ぼふぼふと、わざとらしく尾を揺らしてレーニャとディストの二人にぶつけていく。ディストもレーニャも構う様子はなかった。
「俺も対応できただけだ。……それに、考えてる余裕もなかった。本当に大丈夫だったから怒ってるんだろうけど、なにが起きたってよくあることだろ? ……できることを躊躇って同じミスはしたくなかった」
「けどこんな風に人を殺したことはなかっただろう!? お前は今日が初めてなのに、自分の親も含めて何人殺した? 自分の意思なら止めないが。お前以外の存在がお前をそうやって突き動かしているなら、いつか壊れるぞ」
「そうだな。姉さんは俺が取り付けた武器で殺された。父さんと母さんは俺が撃った。だからそもそも、こうなった時点で――――」
…………とっくに壊れている。そう言い切ることはできなかった。本当に壊れているなら銀雲急便に固執する資格はない。
言葉が途切れて沈黙が伸びていく。ディストは深く俯いた。
「……とにかく、ワタシを守ろうだなんて考えるな。いや、……考えてもいないのか。誰が相手でも、反射的に、訳もわからないまま飛び出したということだ。……考えているほうがよっぽどマシだな」
冷笑。呆れ混じりだ。淡々とした澄まし面は砂とバイクの煤で薄汚れていた。
「お前だって、割り込んで助けにきてくれただろ」
「入って初日のルーキーを保護するのが間違っていると思うか? あんなバイクでアメリアを乗せるつもりだったのか? ……フッ、死ぬぞ」
「っ……それは。そうだな」
ぐうの音も出なかった。
レーニャは冷淡な表情のまま僅かにしたり顔を滲ませると踵を返していく。
「君たちさぁ……うん、まぁ自分たちで解決できるなら止めないけどぉ……」
険悪な緊張がなぜかすぐに収まったのを見て、ルサールカは困惑しながら少し不満げなぼやきを零した。
同時、敵の貨物を回収していたはずのルーディオが炎を噴出してまで急接近してくると食って掛かった。
「そうだぞお前!! ルサールカちゃんが尻尾を、モフ味をあんな……あんな可愛くお尻を振って尻尾を当ててくれてるのに無視するなんて……! お前恨むぞ! オレがされたかった!! オレがされたかったさ! ……HAHA」
「何に怒ってんだよ……」
「羨ましいんだよ! クソが!! ルサールカ、頼む。オレにもしてほしい」
「えー、いやだ。だってルーディオは私より良い人いると思うし」
二人の声が車内へと向かい遠ざかっていく。
ディストは棒立ちしたまま、自分が殺めたサハポート工房の連中をじっと見つめた。
そして不意に、血濡れた手を握られる。振り返ると、ミルシャが不安げに視線を合わせた。
「…………戻らないんです? 彼らはもう陽光を防げないから、そのうち生まれ変わります。早く、離れたほうがいいです」
黒い髪、生気のない肌は日射にやられて、だらだらと汗が流れ落ちているのに、心配して残ってくれていたらしい。
「……彼らを殺した以上、使えるものは使いたいんだ。嫌に思うかもしれないが――」
ディストは義体加工用の切断機を取り出した。
市販のものだが、銀の火を帯びるだけで瞬く間に金属を断ち切って、彼らの義手とインプラントを取り外していく。
「まぁ、用途がなければ売るだけだが。……あんまこういう解体までは皆はしないだろう? だから誰にも見られないときにすべきだと思ってな」
「……手伝います。……そうやって、ミルシャも生きてきました。意地汚いだとか、そういう風には思いません」
ミルシャは腕をまくると、指先に雷撃を纏うと、銀の灯火で加速の力を籠めた。電気は鋭い刃のように、亡骸の義体を寸断していく。
「それにミルシャも……こういうことをするときはルーディオさんとかに見られないようにしています……わかりますよ。ディストさんの気持ち」
「そうか? それなら嬉しいな」
ディストとミルシャは切りはずした義体を抱え戻った。




