人の鏡
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液化メルテル。エーテル電光の下部組織が開発したエネルギー用生物を潰して造られたバイオ燃料だ。
それからチューニング用の器具がいくつか。車両の予備部品。
義体施術で使うものも多く見慣れていた。
珍しいものといえばゼノムテオミクス社の痛覚遮断の魔法契約書や感染症治療用のナノ電子抗生物質だろうか。どれも命を救えるものだが、高価だ。
他はエチルモトリン、フランジェリコ、フラナラクト……。この辺のごちゃごちゃしたものは全て濾過粉末だ。水に溶かすと対応した味になる。エチルモトリンは擬似的なアルコール。どれも味は悪い。
とはいえどれも問題なく手に入るものだ。正規品から横流しされた廃棄品まで都市の市場で入手は容易だった。
「ほーん、ほーん? この都市は私の住んでたとことだいぶ違うなー。管轄企業が違うのもそうだけど、やっぱ白い砂漠のせい?」
ルサールカは物珍しそうに周囲を見渡した。
ゼノムテオミクス本社が位置する都心部の摩天楼は遠くからでもわかるほど煌々とネオンライトが瞬いているが、この辺りは積み重なる廃墟同然の建物群しかない。
それも白い砂漠から吹き付ける炭酸塩の砂塵によって風化し続けていて、崩壊した屋根や壁は色褪せた布地で塞いでいるような有様だった。
「この街はマシなほうさ。ゼノムテオミクス社が紫外線やら白害線やらをシャットアウトしてくれる魔法とやらを都市全域に張ってるからな。まぁ時々、穴が開くが」
空を振り仰ぐ。よく目を凝らすと、上空を巨大な六芒星が覆っていた。
「都市によっては居住区が地下にしかないとか、ずっと夜にしてるとか、ドーム状にしてるとか、まぁいろいろあるな。ルサールカ……さんはどこから?」
「さん付けやめてよー。同じチーム、同じ立場になるんだから。ええっとねー、私はエーテル電光管轄からかな。海辺の街でねー。ここよりは涼しくて、けど街中嫌な臭いがする。建物は半分ぐらい水没してて、移動が困る」
こんな世界だ。楽な場所はってのはないらしい。
ルサールカは懐かしむように説明してくれると、感情に呼応するように緋色の狼尾を揺らした。
「…………」
ディストが目で追っているのに気づくと、むふんと蠱惑的な笑みを浮かべ牙を垣間見せる。
「……気になるぅ? これが。触ってみたい? 私、元々リード協会っていう暗殺協会にいたんだぁ? これね、身体強化用の施術。触覚もあるんだよ?」
「ッー……!?」
耳を撫でる甘い挑発の声。
ディストは動揺を隠せずに噎せ込んで誤魔化した。レーニャの冷たい眼差しが背を突き刺している。
「青年を誘惑しないでください。ルサールカ」
「えーーん、レーニャがいつもの口調じゃないよぉ。いつもより真面目だよぉ」
「……ディスト・クラークス。お前はいちいち表情に出すな。鼻の下を伸ばすな。チームでいるのが恥ずかしいくらいバカに見える」
レーニャは険しい表情でぼやいた。だらだらと流れ落ちていく汗。
ただ一人真面目に、否、バカなことに制服のボタンを一つだって緩めていないままのせいだった。
「……お前は買い物で死ぬ気か?」
彼女は会ったことがないタイプだ。
こんな世界で、いつ死ぬか分からないのに無意味な自制に殉じる奴は見たことがない。自分が死ぬとは本気で思っちゃいないんだろう。
「ワタシはいずれこの組織を担う、【銀炎】の一人娘だ。そんな者が、組織の証とも言える制服を着崩すのはあり得ない。……これぐらいのことで問題はない」
レーニャは刃を交えたときよりも強く歯を軋ませていた。淡々とした語気が重苦しく強張っている。感情的になってか、嫌みな敬語は剥がれかけていた。
「止めはしないが……。店の人を困らせるだけだと思うけどな」
あれじゃまるで役人だ。横流しされた品物ばかりのこの市場じゃ、正装過ぎて浮ついている。
ぼやくと、返事の代わりに突き刺すような睥睨が向けられた。
「はいはいストーップ! あとは食料でしょ? ディスト、料理はすっごく美味しそうだし期待しちゃうなぁ?」
ルサールカは慌てて間に入り、両腕を伸ばした。ぶんぶんと感情的に尾が揺れていく。
「いえ……すみません。ありがとうございます。ルサールカ。ワタシは新入りにこんな……はぁ。…………ワタシは子供ですね」
レーニャは気落ちするようにしゅんと、顔をうつむけていった。
「いいんだよぉ。子供で。私が甘やかしてあげるからねぇ」
――そのまま黙っていれば可愛らしい……。のだが、そんな風には思えないほど落ち込んでいた。
ルサールカが励ますようにわしゃわしゃと銀の髪を撫でまわして、抱きついて、……ぬいぐるみみたいになっていてむしろ逆効果に見えてくる。
ディストは気まずいように視線を逸した。
胸に湧いた僅かな罪悪感に背を向けて、銀色の雲の隙間から突き刺す炎天下に目を細める。
「……そういえば、チームのなかで誰が料理をしてるんだ?」
「ん、交代制だよ。けど私も含めて皆あんまり上手くないんだよね。まぁ、食べれる程度。リーダーが一番マシで、レーニャが結構料理下手なんだよぉ? あ、あとルーディオが酷い。あいつケチって味覚チップをさ。全部美味しいにしたから。味なんでもいいんだよね」
「……食べられるものを安全に加工しているんだ。健康に害しては困るので焦がしたりはしていない。時間をかけて、完全に火を通しているだけだ」
「それじゃここで買えるカスみたいな肉はタイヤ以下だぞ。ただでさえ骨と皮しかない痩せっぽちなのに売ってくれるのは精々、脛だからな」
そんな肉を今しがた購入しながらぼやくと、レーニャはジッと睨み、ディストの胸ぐらを掴んだ。
……力はこもっちゃいない。むすんと、クソ真面目な表情のせいでわかりづらいが、本気じゃないのだろう。
掴んでから、言葉を考えるように視線が僅かに泳いで、纏まったのか向き直る。
「タイヤ以下かどうかは食べてから判断してください。タイヤと、ワタシの料理の両方です。まぁワタシの当番が来るまでに、ディスト・クラークスがタイヤと一緒に貨物入れに押し込められるような、お荷物になっていなければの話ですがね」
「……冗談言ってくれんならさ。……そんな怖い顔しないでほしいんだがな。あと胸倉掴むな」
自嘲と彼女への呆れ混じりに苦笑いを零した。それで少しばかり身につけていたものの重さが減った気がして、無自覚のまま深く息を吐いた。
アメリアが命と引き換えにくれた銀雲急便の一員という立場。
残された装備。継いだ瞳。どれもが重いままだった。
――悔しい話だがずっと緊張していたらしい。覚悟を決めていたんだが。
意思とは別に身体を強張らせていた緊張は、レーニャのことを硬いやつだとか、糞真面目だとか、とやかく言える立場じゃなかった。
『どれだけ悲しいことがあっても泣き続けることはできないだろう。疲れるんだよ』
リーダーが言っていた言葉が頭に過る。
ディストはレーニャの表情を一瞥した。
何を考えているかは分かりかねる無表情。だらだらと汗を流しながらも、依然として制服を緩める様子はなかった。
「……いや、怖い顔ではないな。その、なんだ。まぁ、ありがとう」
「何にお礼を言っているかわかりません。気持ち悪い」
食い入るように吐き捨てられた言葉。
ディストは数秒前の自分と前を歩いていくレーニャに辟易した。
「礼なんて言うんじゃなかったな……」
合流地点へと苛立ちながら戻っていく。




