EP 9
女神と魔王の「お忍び女子会」
宴のあと。
深夜2時を回った青田マンションの最上階は、祭りの後の静寂に包まれていた。
タロウたちは満腹でそれぞれの部屋(あるいは店)へ戻り、優也は一人、キッチンの片付けをしていた。
三つ星シェフの習慣として、厨房は常にピカピカに磨き上げておかなければ気が済まない。
「ふぅ……。今日はよく働いたな」
最後の皿を拭き上げ、優也が珈琲キャンディを口に放り込んだ、その時だった。
コンコンコン。
玄関のチャイムではない。
リビングの、バルコニーの窓ガラスが叩かれたのだ。
ここは10階である。
「……鳥か?」
優也がカーテンを開けると、そこには鳥でもモンスターでもなく――三人の美女が浮いていた。
「おーい優也くーん! 約束通り来ちゃった♡ 開けてー!」
窓の外で手を振っているのは、あのヨレヨレジャージの女神・ルチアナだ。
その横には、煌びやかな黒いドレスを着た銀髪の絶世の美女。
そしてもう一人、真っ赤なドレスを着た、疲れた顔の美女がいる。
優也は数秒間、見なかったことにしてカーテンを閉めようか迷ったが、諦めて鍵を開けた。
「……いらっしゃいませ。入口はエントランスだと教えましたよね?」
「固いこと言わないの! 神界から直通だとこっちのが近いのよ!」
ルチアナはズカズカとリビングに侵入すると、勝手知ったる他人の家のようにソファへダイブした。
「あー疲れた! マジでダルい! 下界の管理システム、バグ多すぎ!」
「ちょっとルチアナ、私のドレスがシワになるじゃない。詰めてよ」
「乾燥するわ……湿度が足りないわ……私の肌年齢が……」
続いて入ってきた二人の美女も、優也に軽く会釈(あるいは無視)して、リビングを占拠し始めた。
優也は嘆息しつつ、プロの顔に戻る。
「お客様、お連れ様をご紹介いただけますか?」
「あ、そうそう。こっちの偉そうなのが魔王ラスティア。で、こっちの死にそうなのが不死鳥フレア」
さらっと紹介された名前は、この世界の「ラスボス」と「守護者」トップ2だった。
「初めまして、人間。……ふん、悪くない魔力制御ね。私の重力に耐えて立っているだけマシよ」
ラスティアが銀髪を払いながら、値踏みするように優也を見る。
「あ、どうも……不死鳥です……。今、お肌のゴールデンタイムを逃して死にたい気分なので、そっとしておいてください……」
フレアは厚化粧が崩れるのを気にしながら、テーブルに突っ伏した。
カオスだ。
だが、優也は動じない。彼にとって、相手が神だろうが魔王だろうが、「腹を空かせた客」であることに変わりはない。
「オーダーを伺います。……と言っても、この時間ですし、『おまかせ』でよろしいですか?」
「うん! 私リクエストしてたよね? カルパッチョ!」
「私はワインに合うもの。重くないやつで」
「私は……コラーゲン……お肌にいいもの……」
三者三様のワガママなオーダー。
優也は「承知いたしました」と短く答え、キッチンへと向かった。
◇
――15分後。
「お待たせしました」
優也がテーブルに運んできたのは、見た目にも美しい前菜だ。
『真鯛のカルパッチョ ~トリュフオイルと柑橘のヴィネグレット~』
透き通るような真鯛の薄造りに、ベビーリーフとエディブルフラワー(食用花)が散らされている。
ソースは黄金色に輝き、トリュフの芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「わぁ! これよこれ! スルメもいいけど、やっぱフレンチよねー!」
ルチアナが箸を伸ばす。
「……ほう。この魚、締め方がいいわね」
ラスティアも一口食べ、目を丸くした。
「身が死んでない。コリコリとした食感がありながら、熟成された旨味がある。それにこのソース……酸味が絶妙で、いくらでも入るわ」
「次はスープです。『丸鶏とフカヒレの黄金コンソメロワイヤル』」
続いて出されたのは、洋風の茶碗蒸し(ロワイヤル)に、透き通ったコンソメスープを張った一品だ。
中にはコラーゲンの塊であるフカヒレがたっぷりと入っている。
「コラーゲン……!!」
死にかけていたフレアが、ガバッと顔を上げた。
スープを一口飲むと、その顔色が劇的に良くなっていく。
「あぁぁぁ……染みるぅぅ……! デュークのラーメン屋台の湯気で乾燥した肌が、潤っていくわぁ……!」
そこからは、ただの女子会(愚痴大会)だった。
「聞いてよラスティア! 今日さ、ヴァルキュリア(天使長)が『有給申請書』突きつけてきてさー! 私だって休みたいっつーの!」
ルチアナが白ワインを煽る。
「私のほうこそ最悪よ。ルーベンスの奴、私がエステに行こうとしたら『今月の予算は底をつきました』って金庫閉めるのよ? 魔王に向かって! あいつ絶対あとでブラックホールに沈める」
ラスティアが赤ワインを揺らす。
「二人ともいいじゃない……。私なんて、フェンリルがまた『暇だー』って暴れるから、氷漬けにされた森を焼き払う残業よ……。私、不死鳥なのに過労死しそう……」
フレアが涙ながらにスープをすする。
世界の頂点に立つ者たちの、あまりに世知辛い実情。
優也は無言でグラスにワインを注ぎ足し、〆の料理を用意した。
「最後はさっぱりと。『冷製カッペリーニ ~桃と生ハムの冷製パスタ~』です」
甘く熟れた桃と、塩気のある生ハム。それを極細のパスタが繋ぐ。
デザート感覚でも食べられるこの一皿は、酔っ払った彼女たちの胃袋を優しく満たした。
◇
「はー、食った食った! やっぱ優也くん呼んで正解だったわー!」
ルチアナがソファで大の字になって腹をさする。
あの気品あふれる魔王ラスティアも、今は頬を赤らめてとろんとした目で優也を見つめていた。
「……ねえ、人間。貴方、名前は?」
「青田優也です」
「ユウヤね。……気に入ったわ。貴方の料理、私の『孤独』を埋める味がする」
ラスティアはふらりと立ち上がると、優也の胸元に人差し指を当てた。
「褒美をあげるわ。このマンション、私が守ってあげる」
【魔王権限・発動】
ズゥゥゥン……!!
マンション全体が、漆黒のオーラに包まれたかと思うと、一瞬で収束した。
窓の外の景色が、よりクリアに見える。
「『絶対不可侵領域』を付与したわ。これで、S級程度のモンスターや軍隊なら、エントランスに近づく前に戦意を喪失して逃げ帰るわよ。神話級の攻撃でも数発は耐えるわ」
「……それはどうも。セキュリティ強化は助かります」
優也が淡々と礼を言うと、ラスティアは「可愛げのない男」と笑い、ルチアナとフレアの手を引いた。
「さ、帰るわよ。明日は早朝から定例会議なんだから」
「えー、泊まってこうよー」
「ダメですルチアナ様! 朝帰りなんてしたらヴァルキュリアに刺されます!」
三人の美女は、嵐のように飲み食いし、嵐のように去っていった。
バルコニーから夜空へ消えていく光を見送りながら、優也は大きくため息をついた。
「……片付け、するか」
だが、その顔には微かな笑みがあった。
料理人として、客が皿を空にして「美味しかった」と帰っていくこと以上の喜びはない。
たとえその客が、世界を滅ぼせる魔王だったとしても。
優也はポケットから最後の珈琲キャンディを取り出し、口に放り込んだ。
甘苦い味が、疲れた脳に心地よかった。
――翌朝。
マンションのエントランスには、「なんかここ、やべー気がする」と怯えて逃げ帰るドラゴンの群れと、それを不思議そうに見守るキャルルの姿があった。
青田マンションは、名実ともに『世界最強の隠れ家』へと進化したのだった。




