EP 7
聖域無き弁護士事務所
その日の午後、青田マンションのエントランス前に、場違いなほど豪華な馬車が横付けされた。
漆黒の塗装に、金色の装飾。扉には天秤を模した紋章――大陸最大のコングロマリット『ゴルド商会』の社章が輝いている。
御者がうやうやしく扉を開けると、そこから一人の令嬢が降り立った。
見事な金髪の縦ロール。フリルのついた高級そうなスーツ。胸元には、裁判官すら黙らせるという「特級弁護士バッジ」が光っている。
「ここが、キャルルさんが言っていた物件ですのね」
彼女――リベラ・ゴルドは、優雅にレースの手袋を整えながら、聳え立つコンクリートの巨塔を見上げた。
「無骨ですけれど、機能美を感じますわ。それに……魔力によるセキュリティラインが三層構造。並の城塞より堅牢ですわね」
彼女の背後から、案内役のキャルルがピョコピョコと顔を出す。
「でしょでしょ!? すごいんですよリベラ様! お風呂もおトイレも全自動なんです!」
「ふふ、期待できそうですわね」
リベラは優雅に微笑むと、コツ、コツ、とヒールを鳴らして自動ドアをくぐった。
◇
2階、201号室。
本来はテナント・オフィス用に設計されたこの部屋で、優也はリベラと対面していた。
テーブルを挟んで向かい合う二人。空気は商談のそれだ。
「初めまして。オーナーの青田優也です」
「リベラ・ゴルドと申しますわ。単刀直入に申し上げます。この部屋、私の『法律事務所』として借りたいのですけれど」
リベラは愛らしい顔立ちからは想像もつかないほど、鋭い眼光で優也を射抜いた。
優也はポケットの珈琲キャンディに手を伸ばしたい衝動を抑え、冷静に応じる。
「ゴルド商会のお嬢様が、なぜこんな辺境に事務所を? 王都の一等地にいくらでも場所はあるでしょう」
「ええ。ですが王都は……『壁』が薄すぎますの」
リベラは溜め息をついた。
「私のクライアントは、少々事情を抱えた方が多いのです。冤罪をかけられた元暗殺者、国を追われた革命家、あるいは魔族の亡命者……。彼らと密会し、守り抜くには、王都のセキュリティでは心許ありませんわ」
「なるほど。物理的にも法的にも、聖域が必要だと」
「ご明察ですわ。それに……」
リベラは視線を流し、部屋の窓から外を見た。
ちょうど中庭で、リュウ(元勇者)が配管の点検をしており、エントランスではセーラ(聖女)が結界のほころびを修復しているのが見える。
「伝説の勇者様と聖女様が常駐し、1階にはあの竜王陛下がいる。……これほど安全な場所、世界中探しても他にありませんもの」
(バレてるな……)
優也は苦笑した。このお嬢様、情報収集能力がズバ抜けている。
だが、弁護士事務所が入るとなると、トラブルも持ち込まれる可能性がある。優也が躊躇していると、リベラはふわりと微笑み、カバンから小切手帳を取り出した。
「家賃は、相場の10倍……いえ、言い値で構いませんわ。即金で1年分前払いします」
「……金の問題じゃありません。ここは住居でもある。あまり危険な真似は困るんですが」
優也が渋ると、リベラは「あら、そうですか」と残念そうに眉を下げた。
そして、ふと鼻をヒクつかせた。
「……いい香りですわね。これは、アーモンドと卵白の香り?」
優也はハッとした。
商談のために用意していた茶菓子を出し忘れていたのだ。
「ああ、失礼。お茶が入っています」
優也はキッチンからトレイを持ってきた。
湯気の立つアールグレイの紅茶。そして、皿には色とりどりの小菓子が並んでいる。
「これは……マカロン?」
リベラが目を見開いた。
ピンク、淡い緑、チョコレート色。宝石のように艶やかな表面を持つ、一口サイズの焼き菓子。
この世界にはまだ存在しない、繊細なスイーツだ。
「フランボワーズ、ピスタチオ、ショコラの三種です。どうぞ」
リベラは震える手でピンクのマカロンを摘み、口に運んだ。
サクッ。
軽い歯触りの直後、しっとりとした生地の食感と、甘酸っぱいフランボワーズのクリームが口いっぱいに広がる。
「……っ!!」
リベラの動きが止まった。
脳内で、六法全書の条文が吹き飛び、甘美な衝撃が駆け巡る。
(何これ……!? 外はサクサク、中はしっとり……こんなお菓子、王宮の夜会でも出たことありませんわ!)
彼女は無言のまま、次はピスタチオ、そしてショコラへと手を伸ばし、紅茶で優雅に流し込んだ。
そして、顔を上げた時――彼女の瞳には、弁護士の冷徹さではなく、乙女の熱情が宿っていた。
「優也様」
「はい」
「契約書を作りましょう。今すぐに」
リベラは懐から羽根ペンを取り出し、猛スピードで羊皮紙にさらさらと文字を走らせた。
「条件を追加しますわ。家賃は言い値で結構。その代わり、来客用……および私用のお茶菓子として、週に3回、あなたのスイーツを提供すること。これ絶対条件ですわ!」
「はあ……まあ、それくらいなら構いませんが」
「交渉成立ですわね!」
バン! と契約書に印鑑が押された。
リベラは満足げに微笑み、再びマカロンの残りを愛おしそうに見つめた。
「ふふ……こんなに素晴らしい隠れ家、他にはありませんわ。美味しいお菓子に、最強の護衛。これで心置きなく、検察をボコボコに……いえ、無実の罪を晴らせますわ」
最後の独り言が少し物騒だったが、優也は聞かなかったことにした。
◇
その夜。
優也は最上階の自室で、珈琲キャンディを噛みながら、マンションの住人リストを更新していた。
【入居者一覧】
101:テナント『麺屋・極竜』(店主:竜王デューク / 常連:タロウ国王)
102:リーザ(貧乏アイドル)
201:テナント『ゴルド法律事務所』(所長:リベラ・ゴルド / 悪徳弁護士?)
202:キャルル(月兎族 / 自称管理人)
203:ルナ・シンフォニア(災害エルフ / 監視付き)
301:リュウ一家(元勇者・聖女・勇者候補 / メンテナンス兼警備)
「……なんだこれ」
優也は天を仰いだ。
権力(国王)、武力(勇者・竜王)、財力・法力(弁護士)、そして魔法力(エルフ・聖女)。
一国の国家機能を遥かに凌駕する戦力が、このマンション一つに集結してしまっている。
「俺はただ、料理を作ってバイクに乗りたいだけなんだがな……」
だが、不思議と悪い気はしなかった。
賑やかな声が下の階から聞こえてくる。
キャルルとルナが女子会を開き、リーザが歌い、リュウがリリスに勉強を教えている気配。
「ま、退屈よりはマシか」
優也は苦笑し、明日の朝食の仕込み(マカロン増産)のためにキッチンへと向かった。
最強の布陣が完成した青田マンション。
いよいよ次回、この「聖域」の噂を聞きつけたさらなる大物たちが、店の暖簾をくぐることになる。




