EP 6
元勇者、バイクに跨る
その日の午後、青田マンションの1階ガレージからは、リズミカルな金属音が響いていた。
優也はツナギに着替え、愛車である魔導二輪【スレイプニル】の整備に没頭していた。
このバイクは、タロウ国王から譲り受けた「日本のバイク部品(ジャンク品)」と、ドワーフのポポロ博士が開発した「魔導エンジン」を、優也が徹夜で組み上げたワンオフ機体だ。
無骨なオフロードタイヤに、むき出しのフレーム。マフラーからは魔力残滓の白い蒸気が排出される。
「……サスペンションの沈み込みが甘いな。オイルの粘度を変えるか」
優也がレンチを片手に独りごちていると、ガレージの入り口に人影が立った。
「おいおい、マジかよ。こいつは……倒立フォークに、モノサスか?」
しわがれた、しかし芯のある男の声。
優也が顔を上げると、そこには一人の「おっさん」が立っていた。
グレーの作業着に、頭にはタオル。口元にはタバコ(メビウス)をくわえ、手にはなぜかモンキーレンチが握られている。
どこからどう見ても、日本の工事現場にいそうなベテラン作業員だ。
「……あんた、バイクに詳しいのか?」
「詳しいも何も。俺の青春だからな。……へえ、エンジンは魔石駆動か。でもフレームの溶接痕はドワーフの仕事じゃねえな。もっと繊細だ」
男は勝手にガレージに入り込むと、愛おしそうにスレイプニルのタンクを撫でた。
その手つきは、ただのバイク好きのそれではない。構造を一瞬で理解し、慈しむ「職人」の手だ。
「吸気バルブのタイミング、コンマ2秒遅れてねえか? そのせいでアイドリングがばらついてる」
「……! 音だけで分かるのか?」
「ああ。俺のスキル【ウェポンズマスター】にとっちゃ、バイクも『鉄の馬』……つまり武器の範疇だからな」
男はニヤリと笑い、くわえタバコの煙を天井に吐いた。
優也はポケットから珈琲キャンディを取り出し、ガリリと噛む。
この男もまた、「向こう側」の人間だ。しかも、相当な手練れだ。
「青田優也だ。ここのオーナーをやっている」
「俺はリュウ。しがない配管工……兼、タロウの国の武術指南役だ」
リュウと名乗った男は、無造作に手を差し出した。その掌は分厚く、油と鉄の匂いがした。
◇
意気投合するのに時間はかからなかった。
二人はそのままガレージで、小一時間ほどメカニック談義に花を咲かせた。
異世界で「キャブレターのセッティング」や「ショックアブソーバーの減衰力」について語り合える相手など、まずいない。
「いやー、いいもん見せてもらった。タロウの国も便利だが、こういう『男のロマン』が足りねえんだよな」
リュウは満足げにメビウスを携帯灰皿に押し付けると、ふとマンションの天井を見上げた。
剥き出しの配管パイプが、幾何学的な美しさで走っている。
「……それにしても、いい配管だ」
「そうか?」
「ああ。塩ビパイプの継ぎ目、勾配の角度、そして防音処理。完璧だ。特にこのS字トラップの配置……作った奴は『詰まり』の恐怖を知り尽くしてる」
「俺のスキルで生成したものだが、水周りにはこだわったからな。料理人にとって水は命だ」
優也が答えると、リュウの目の色が変わった。
作業員としてのプロ意識が刺激されたようだ。
「なぁ優也。このマンション、空き部屋あるか?」
「あるぞ。3階以上のファミリータイプなら即入居可能だ」
「マジか。……ちょっと嫁と娘、呼んでいいか? 今の家、城下町でうるさくて敵わねえんだよ。こういう静かでしっかりした作りの家に住みたかったんだ」
リュウは懐から魔法通信石を取り出し、「あー、もしもしセーラ? いい物件見つけた。すぐ来てくれ」と連絡を入れた。
◇
数十分後。
ガレージに現れたのは、清楚な白衣を纏った美女と、活発そうな少女だった。
「お待たせー! パパ、ここが新しいお家?」
「ああ。リリス、挨拶しろ。大家の優也さんだ」
「はじめまして! リリスだよ! 将来の夢はS級冒険者!」
元気いっぱいに挨拶するリリス。その背後で、妻のセーラが静かに微笑んだ。
優しそうな雰囲気だが、優也の本能が警鐘を鳴らす。この女性、ただの奥様ではない。纏っている魔力量が、先日の災害エルフ(ルナ)と同等かそれ以上だ。
「初めまして、妻のセーラです。主人が急にすみません……あら?」
セーラはガレージの床を見た。一滴のオイル染みもない。工具は整理整頓されている。
彼女の目がキラリと光った。
「……清潔ね。リュウ、ここ、いいかもしれないわ」
「だろ? 配管も最高なんだよ」
優也は3階の3LDKの部屋へ案内した。
広々としたリビング、対面キッチン、そして追い焚き機能付きのバスルーム。
「キャー! お風呂大きい! 泳げるよパパ!」
リリスが浴室ではしゃぐ。
「キッチンも使いやすそうね。これなら毎日のお弁当作りも楽だわ」
セーラも満足げだ。
「防音もしっかりしてる。これなら夜中に俺が工具をいじっても文句言われねえな」
リュウが壁をコンコンと叩く。
家族会議はわずか3分で終了した。
「優也さん、契約します」
リュウが真剣な顔で向き直った。
「家賃だが……金払いはもちろんするが、俺のスキルも提供させてくれねえか」
「スキル?」
「俺の本業はメンテナンスだ。このマンションの電気、水道、ガス、エレベーター……何かが壊れたら、俺が即座に直す。部材さえあれば戦車だって直せるぜ」
「私も、微力ながら結界の強化をお手伝いしますわ。あと、怪我や病気の時は治療院割引をさせていただきますね」
優也は驚愕した。
「ウェポンズマスター」による完璧な設備保全。
「聖女」による医療と防衛。
これを金で雇おうと思えば、国家予算レベルの費用がかかる。
「……願ってもない条件だ。こちらこそ、ぜひ入居してほしい」
「交渉成立だな!」
ガッチリと握手を交わす二人。
その様子を、買い物から帰ってきたキャルルが目撃し、人参の袋を取り落とした。
「あ、あれ……? あの作業着の人、教科書で見たことあります……」
「ん? 知り合いか、キャルル」
「ま、まさか……『救国の勇者』リュウ様ですか!? 魔神王を両断した伝説の!?」
キャルルの絶叫が廊下に響く。
リュウは「しーっ」と人差し指を立てて苦笑した。
「今はただの配管工だ。静かに暮らしたいんでな、内緒にしてくれよ?」
こうして、301号室に「元勇者一家」が入居した。
メンテナンス担当と最強の警備員を手に入れた青田マンションは、もはや要塞を超えた「聖域」へと進化しつつあった。
そして優也の元には、バイク仲間の友人も増えることになったのだった。




