EP 35
全員集合! 究極のスパイス・ビーフカレー
青田マンションの屋上は、今、魔境と化していた。
ただし、モンスターの気配ではない。
とてつもなく食欲を刺激する「スパイスの魔力」が、物理的な重圧となって空間を支配しているのだ。
屋上の中央には、ドラム缶ほどもある巨大な寸胴鍋が設置されていた。
優也が長い木べらで、ゆっくりと、祈るように鍋底をかき混ぜている。
「……仕上がったな」
鍋の中にあるのは、黄金色のカレーではない。
**『漆黒』**だ。
飴色になるまで3日間(ポポロの時間短縮魔導コンロ使用)炒め続けた大量の玉ねぎ。
赤ワインと香味野菜のフォンドボー。
そして、地下ダンジョンの激辛実【マグマ・ペッパー】と【黄金ウコン】を筆頭に、30種類以上のスパイスを調合した特製マサラ。
それらが渾然一体となり、闇のように深く、それでいてマグマのように熱い『究極のブラック・カレー』が完成していた。
「み、皆さん……目が、目が痛いです……!」
タロウ王がタオルで目を覆う。湯気に含まれるカプサイシンだけで、空気が凶器になっている。
「でも、よだれが止まらないでありんす……」
ポポロがガスマスクを外して鼻をヒクつかせている。
そこへ、駅前から全速力で帰還したリーザが飛び込んできた。
「ハァッ、ハァッ……ま、間に合いましたか!? 私の……私のカレーは!?」
「グッドタイミングだ、リーザ。皿を持て」
優也はニヤリと笑い、寸胴の蓋を全開にした。
ドムッ!!
香りの爆発。
屋上にいた全員の脳天を、クミンの香りが突き抜けた。
「さあ、食え! **『特製・天魔のビーフ&スネークカレー』**だ!」
優也がお玉ですくい上げると、ドロリとした漆黒のルーの中に、ゴロリとした肉の塊が見えた。
スタンピードで獲れたベヒーモスのスネ肉と、灼熱の大蛇の肉だ。
それを、炊きたての銀シャリ(オカマmk-II製)の上にたっぷりとかける。
黒と白のコントラスト。これぞ食のアート。
「「「いただきますッ!!」」」
全員がスプーンを突き立てた。
◇
最初に叫んだのは、タロウ王だった。
「んぐっ!? ……か、辛ァァァァァいッ!!」
タロウの顔が一瞬で真っ赤になり、滝のような汗が噴き出した。
「痛い! 舌が痛い! マグマだこれ! ……でも、なんだこのコクは!? 辛さの奥から、牛の旨味が津波のように押し寄せてくる!」
辛い。痛い。でもスプーンが止まらない。
これぞカレーの魔術。
次に、ルナが震えた。
「あぁんっ……! 毛穴が! 全身の毛穴が開きますわ!」
彼女は汗を拭おうともせず、恍惚の表情でルーを啜った。
「見てください、この発汗作用! 毒素が全部出ていきますわ! これは食事ではありません、**『飲む美容液』**ですわ!」
獣王レオと竜王デュークは、具材の肉に唸った。
「なんだこの肉は……!」
レオがスプーンで肉塊を押すと、抵抗なくホロリと崩れた。
「ベヒーモスのスネ肉が、繊維の一本一本まで解けていく! 噛む必要がない! 飲めるぞ、この肉!」
「フン、蛇肉の方も悪くない。淡白な身が、濃厚なスパイスを吸って化けている。……優也、エールだ! この刺激には冷えた酒が必要だ!」
屋上は阿鼻叫喚と歓喜の渦に包まれた。
「辛い!」「美味い!」「水!」「おかわり!」
その喧騒の中、リーザだけは静かに泣いていた。
「……うぅッ……」
彼女の皿には、真っ赤な福神漬けが山盛りにされている。
漆黒のルーと、白いご飯と、赤い福神漬け。
「お米が……宝石のようです……」
パクり。
「んんぅ……!」
スパイスの刺激が、税金で傷ついた心を焼いていく。
そして、お米の甘さが優しく包み込む。
生きている。私は食べて、生きている。
「優也さん……私、また明日から頑張れます……パンの耳生活でも、月に一度これがあれば、生きていけます……!」
優也はそのリーザの頭に、ポンと手を置いた。
「月一とは言わず、また作ってやるよ。……スパイスはまだ山程あるからな」
優也自身もカレーを口に運んだ。
脳天を突き抜ける辛さ。
これだ。この刺激が、全てをリセットしてくれる。
ナルシストな自分の像も、お見合いの修羅場も、全てスパイスの彼方へ消えていくようだ。
「……うん、会心の出来だ」
◇
こうして、青田マンションのカレーパーティーは、夜が更けるまで続いた。
屋上から立ち上るスパイシーな煙は、風に乗って流れていく。
魔王の結界すら透過するその強烈な香りは、荒野を超え、山を超え……。
――遥か北、『古竜の里』にて。
数千年の眠りについていた、伝説の古竜の鼻がピクリと動いた。
「……ん? なんだ、この魂を揺さぶる香りは……」
――遥か西、『世界樹の森』にて。
朝露を飲んで暮らすエルフの女王が、瞑想を中断して立ち上がった。
「……風が、未知の『刺激』を運んでくる。これは……世界の理を変える味の予感……?」
究極のカレーの香りは、知らず知らずのうちに、世界各地の「超大物(迷惑客)」たちを目覚めさせてしまっていた。
青田優也のマンション経営。
第3章はカレーで締まったが、その残り香は、さらなる波乱の第4章へと続いていくのだった。




