EP 34
リーザの復活ライブ『税金・ブルース』
その日の夕暮れ。
青田マンションの102号室は、世界の終わりのような哀愁に包まれていた。
部屋の中央、ちゃぶ台の上には、きれいに舐め取られた『高級イチゴジャム』の空き瓶が一つ。
そして、その横にはリベラから渡された『納税証明書(兼・残債務支払計画書)』が置かれている。
「……夢だったのかな。エビフライも、化粧水も」
リーザは体育座りで空き瓶を見つめていた。
今の所持金は、銅貨5枚と少し。
ミスリル・ドリームは、法と税という名の現実によって粉砕された。
グゥゥゥ……。
腹の虫が鳴く。空腹は待ってくれない。
「……歌わなきゃ。歌って、食べなきゃ」
リーザは立ち上がった。
だが、今の彼女にキラキラしたアイドルソング『ラブ&マネー』を歌う気力はない。
今の彼女の心にあるのは、愛でも夢でもなく、ただ「喪失感」と「世知辛さ」だけだ。
彼女は部屋の隅にあった、弦が一本切れかけたアコースティックギター(リサイクルショップで銅貨1枚で買ったジャンク品)を背負い、よろよろと部屋を出た。
◇
王都の駅前広場。
夕日が長く影を落とし、仕事帰りの人々が行き交う黄昏時。
いつものみかん箱の上に、リーザは座った。
派手なドレスはない。着古したジャージ姿だ。
照明もない。あるのは、沈みゆく夕日だけ。
ポロン……。
彼女は静かにギターを爪弾いた。
その枯れた音色が、疲れたサラリーマンや、クエスト失敗帰りの冒険者の足を止める。
「……聞いてください。新曲……『納付書と涙』」
リーザが歌い始めた。
それは、魂の叫び(ブルース)だった。
♪稼いだ金は~ 泡と消える~
♪右から左へ~ 受け流す~
♪私の懐~ ただの経由地~
その歌声は、いつもの高いアイドルボイスではない。
ハスキーで、ドスの利いた、地獄を見てきた者の声だ。
♪あの日食べた~ 半額のエビフライ~
♪衣のサクサク~ 夢の味~
♪でも今は~ パンの耳すら~ 遠い空~
足を止める人が増えていく。
安酒を飲んでいたドワーフが、涙を拭った。
「わかる……わかるぞ嬢ちゃん。俺も昨日、嫁に給料全部持ってかれた……」
リーザは空を見上げ、サビを熱唱した。
♪税金! 税金! 無慈悲な響き~!
♪黒いスーツの~ 悪魔が笑う~
♪「確定申告はお済みかしら?」
♪私のジャムを返してよぉぉぉ~!!
ジャラァァァァァン!!(ギターの弦がもう一本切れる音)
静寂。
そして、すすり泣く声。
「ううっ……身につまされる歌だ……」
「俺たち商人も、税金には苦しめられてるんだ……」
「頑張れ……! 負けるな……!」
カラン、コロン、チャリン。
空き缶の中に、硬貨が投げ込まれていく。
それは「アイドルへの貢物」ではない。「同志へのカンパ」だった。
銅貨、銀貨、たまに小さな魔石。
リーザの切実な悲しみが、社会に疲れた大人たちの心(と財布)を揺さぶったのだ。
◇
一時間後。
すっかり日が暮れた広場で、リーザは震える手で硬貨を数えていた。
「……銀貨、5枚……」
大金ではない。
だが、今日の夕飯と、明日のパンを買うには十分な額だ。
そして何より、特売のジャムならもう一度買えるかもしれない。
「ありがとうございます……みなさん……」
リーザは深々と頭を下げた。
アイドルとは、夢を与える仕事だと思っていた。
けれど、こうやって「現実の辛さ」を共有することで、誰かの心を癒やすこともあるのだと、彼女は学んだ。
グゥゥゥ~……。
盛大な腹の虫。
「帰ろう。……今日はリッチに、パンの耳を油で揚げて砂糖をまぶした『ラスク』を作ろう……!」
ささやかな幸せを胸に、リーザがマンションへの帰路についた時だった。
フワァァァァ……
風に乗って、とてつもない「香り」が漂ってきた。
スパイス。
鼻孔をくすぐり、胃袋を鷲掴みにし、脳髄を覚醒させる、魔性の香り。
「こ、これは……!?」
リーザの足が止まった。
香りの発生源は、間違いなく青田マンションだ。
この匂いの前では、揚げパンの魅力など霞んでしまう。
「カレー……? でも、ただのカレーじゃない……この香りは……!」
リーザはギターを背負い直し、猛ダッシュした。
税金の悲しみなど吹き飛んだ。
今、彼女を突き動かすのは、三つ星シェフ優也が作る「究極の晩餐」への渇望のみ!
「優也さぁぁぁん! ご飯大盛りで待っててくださぁぁぁい!!」
貧乏アイドルは走る。
その先に待つ、至高のカレーを目指して。




