EP 3
災害エルフと貧乏アイドル
月兎族のキャルルが入居してから三日が経った。
青田優也の異世界マンション経営は、今のところ順調……いや、静かすぎるくらいだった。
早朝。
最上階のキッチンで、優也はパン生地を捏ねていた。
このマンションの設備は優秀だ。魔力を流せばオーブンの温度管理も完璧。今日は焼きたてのクロワッサンでも作ろうかと思っていた矢先のことだ。
――ズドンッ!!
マンション全体が揺れるほどの衝撃音が、エントランス付近から響いた。
優也は手を止め、眉をひそめる。
『オート・マンション』のセキュリティシステム(オートロック)が、物理的な衝撃を感知している。
「……敵襲か? いや、セキュリティログによれば『衝突事故』?」
優也はタオルで手を拭き、エレベーターへ向かった。
2階からは、パジャマ(優也のTシャツを貸した)姿のキャルルも、ウサギ耳を逆立てて飛び出してくる。
「優也さん! 敵ですか!? 私のキックで排除しますか!?」
「いや、まずは確認だ。落ち着けキャルル、鼻息が荒い」
◇
エントランスの自動ドアを出ると、そこには惨状が広がっていた。
マンションの頑丈なコンクリート外壁に、ヒビが入っている。
そして、その中心に――緑色の髪をした美女がめり込んでいた。
「あだだだ……またやっちゃいました……」
長い耳。透き通るような白い肌。
ファンタジーの王道、エルフだ。しかも、身につけている装飾品は明らかに高価な品ばかり。
彼女は優也たちに気づくと、壁からズルリと抜け出し、優雅に(頭から血を流しながら)微笑んだ。
「ごきげんよう、下界の方々。わたくし、ルナ・シンフォニアと申します。ちょっと方向を間違えまして、壁と抱擁を交わしてしまいましたの」
「……方向を間違えて、全力疾走で壁に突っ込んだのか?」
「ええ。北へ向かおうとしたら、なぜか南にあるこの壁が目の前に現れまして」
致命的な方向音痴だ。優也は瞬時に理解した。このエルフ、見た目は綺麗だが中身はポンコツだ。
「申し訳ありません。お詫びに、こちらを修理費としてお納めください」
ルナは懐から河原の石ころを取り出し、杖を一振りした。
カッ! と光が走ると、石ころが「純金の延べ棒」へと変化した。
「わあ! 金塊だ! すごい!」
キャルルが目を輝かせるが、優也の目は誤魔化せない。
スキル発動:【簿記1級・資産評価眼】
<鑑定結果:ただの石ころ(錬金魔法による仮象)。資産価値:0円。3日後に元の石に戻る>
「……お客さん。これ、偽造通貨ですよね?」
「あら? バレました? 3日は持ちますわよ?」
「うちは『信用』で商売してるんでね。そういうのは困る」
優也が冷たく言い放った、その時だった。
「ごえぇ~ん、ごえぇ~ん、ご縁がなぁ~い~♪」
妙に哀愁漂う歌声が聞こえてきた。
マンションの植え込みの陰から、ボロボロのジャージを着た少女がフラフラと現れる。
片手にはパンの耳が入ったビニール袋。もう片手には、スーパーで貰ったと思われるみかん箱を抱えている。
「あ、いい匂いがする……クロワッサンの匂い……」
少女――リーザは、優也の方を見てよろめいた。
その顔立ちは驚くほど整っており、アイドルと言われても通用するレベルだが、纏っているオーラが圧倒的に『貧乏』だった。
「お兄さん、この金色の石……くれないなら、私に恵んでくれませんか? それがあれば、パンの耳にジャムが塗れるんです……!」
「だからこれはただの石だ。ジャム代にもならない」
優也は頭を抱えた。
壁に突っ込む災害エルフに、パンの耳を齧る極貧美少女。
キャルルの時といい、なぜこのマンションには『訳あり』ばかりが集まってくるのか。
「……はぁ。とりあえず中に入れ。話は飯を食ってからだ」
料理人として、そしてマンションオーナーとして、優也は腹を括った。
◇
場所は変わって、1階のテナント予定地。
優也は即席のテーブルを用意し、二人を座らせた。
「お待ちどうさま。『海老とマカロニの熱々グラテナ』だ」
ドン、と置かれたのは、耐熱皿の中でグツグツと音を立てるグラタンだ。
たっぷりのホワイトソースに、焦げ目のついたチーズ。スプーンですくえば、湯気と共に濃厚なミルクの香りが立ち上る。
「はふっ、はふっ……! おいひぃ……!」
リーザは一口食べた瞬間、ボロボロと涙を流した。
「あたたかい……パンの耳じゃない……卵以外のご飯なんて久しぶり……うぅぅ」
「そんなに泣くことか?」
「だって、地下アイドルの給料は投げ銭制なんですもの……昨日は雨で中止だったから、晩御飯は水でした……」
壮絶な食生活だ。優也は無言でパン(焼きたて)を追加で置いてやった。
一方、ルナの方は優雅にスプーンを運んでいたが、ふと首を傾げた。
「優也様、これ少し冷めてきましてよ? わたくしが温め直してさしあげますわ」
「え?」
「いきますわよ、【紅蓮の極光】!」
「やめろ馬鹿野郎!!」
優也が止めるより早く、横からキャルルが飛び出した。
「せいっ!!」
鋭い手刀がルナの後頭部に炸裂する。
「ふにゃ?」
ルナは白目を剥いてテーブルに突っ伏した。杖の先から出かかっていた極大の火球が、プスリと消える。
「あぶないところでした……優也さん、この人、天然で災害を起こすタイプです! 私が止めなかったらマンションが半壊してましたよ!」
キャルルが冷や汗を拭う。すでにこのマンションの風紀委員長のような貫禄だ。
◇
食後のコーヒータイム。
正気に戻ったルナと、皿まで舐め尽くしたリーザに対し、優也は切り出した。
「さて、単刀直入に言う。うちは慈善事業じゃない。食べた分の代金か、相応の働きをしてもらう」
「お、お金はありません……!」
リーザが即答し、ジャージのポケットを裏返した。出てきたのは埃とベルマークだけだ。
「でも、ここ……すごく居心地がいいです。雨風がしのげるし、変な酔っ払いも来ないし……あの、私をここに住まわせてください! 掃除でも草むしりでもなんでもしますから!」
優也は少し考え、頷いた。
「いいだろう。102号室が空いている。家賃は出世払いでいいが、条件として『マンション共用部の清掃』と『ゴミ出し』を毎日やること。それが雇用契約だ」
「はいっ! ありがとうございますぅぅぅ!」
リーザは優也の手を握りしめ、深々と頭を下げた。
「じゃあ、わたくしも住みますわ!」
ルナが挙手する。
「わたくし、次期女王候補として追っ手……じゃなくて、支持者から逃げてきまして。ここの結界なら安心そうですもの」
「却下だ」
優也は即答した。
「君がいると、建物が物理的に破壊されるリスクが高すぎる」
「そんな! 家賃なら払えますわよ? 世界樹の実家から、最高級の果物を転送させますわ!」
「……最高級の果物?」
優也の料理人魂がピクリと反応した。
世界樹の森の果物といえば、市場に出回らない幻の食材だ。デザートやソースに使えば、料理のクオリティが数段跳ね上がる。
「……仕方ない。ただし条件がある」
優也は隣でオムライスの残りを食べていたキャルルを指差した。
「キャルル、君がこのエルフの監視役だ。部屋で魔法を使おうとしたら、即座に止めてくれ」
「ええっ!? 私がですか?」
「君の蹴りなら、彼女の魔法発動前に止められるだろう? 頼んだぞ、先輩住人」
「先輩……えへへ、先輩ですか。任せてください優也さん! 私のトンファーが火を噴きますよ!」
こうして、102号室に貧乏地下アイドル・リーザ。
そして202号室(キャルルの隣)に、災害エルフ・ルナの入居が決まった。
「ふふ、これから毎日女子会ができますわね!」
「ドリンクバーはないけど、優也さんの水は美味しいから楽しみ!」
「夜更かしはダメですよ? 明日は特売日なんですから!」
賑やかすぎる入居者たちを眺めながら、優也は珈琲キャンディをガリリと噛み砕いた。
静かな生活は遠のいたが、まあ、退屈はしなさそうだ。
「……さて、夕飯の仕込みでもするか」
彼の作る料理の匂いが、また新たな珍客を呼び寄せることになるのだが――それはまた、明日のお話。




