EP 27
修羅場の海辺(妄想)と平手打ち
王都の中心にそびえ立つ、超高級ホテル『グラン・タロウ』。
その最上階にあるラウンジは、ピアノの生演奏が流れ、貴族たちが優雅に談笑する社交場となっていた。
その一角にある特等席で、青田優也は居心地の悪さに耐えていた。
普段のコックコートではなく、タロウ王に無理やり着せられたオーダーメイドのスーツ姿。首元のネクタイが、絞首刑の縄のように感じられる。
「……初めまして、青田優也様。ユーフェミア・ローズと申します」
向かいに座る令嬢が、扇子で口元を隠しながら淑やかに微笑んだ。
金髪の縦ロールに、真珠のネックレス。まさに絵に描いたような公爵令嬢だ。
「……どうも。青田です」
「ふふ、噂は伺っておりますわ。なんでも、荒野に一夜にして城を築き、竜王や勇者を従え、魔王すらも顧客に持つ『現代の魔帝』だとか」
「……誰ですか、そんなデマを流したのは(多分タロウさんだな)」
優也はアイスコーヒー(ガムシロ抜き)を啜りながら、どうやって断ろうか思考を巡らせた。
相手は悪い人ではなさそうだが、住む世界が違いすぎる。それに、今のマンション生活を捨てて公爵家に入る気など微塵もない。
「わたくし、強い殿方に惹かれますの。優也様のような……」
ユーフェミアが身を乗り出し、優也の手の甲に触れようとした、その時だった。
バーンッ!!
ラウンジの重厚な扉が乱暴に開かれた。
静寂に包まれていた店内に、悲痛な叫び声が響き渡った。
「優也さんっ!!」
そこに立っていたのは、ボロボロの服(リーザの古着を加工)を着て、髪をわざと乱し、泥(に見えるチョコソース)で顔を汚したキャルルだった。
彼女は裸足(に見える肌色ストッキング)で、カツカツと優也の席まで駆け寄ってきた。
「……キャルル?」
「ひどい……ひどいです優也さん! こんな綺麗な人と、お見合いなんて!」
キャルルは涙を溜めた瞳(目薬使用)で、ユーフェミアと優也を交互に睨みつけた。
その迫真の演技に、周囲の貴族たちが「なんだ?」「修羅場か?」とざわめき始める。
「あ、あの……優也様? この薄汚れた……いえ、可愛らしいお嬢さんは?」
ユーフェミアが引きつった笑顔で問う。
キャルルはここぞとばかりに、優也のスーツの袖にしがみついた。そして、昨夜ルナとリーザと考えた「最強の殺し文句」を叫んだ。
「優也さん! あの時の告白は何だったの!? あの海辺で交わした、熱い一時は!!」
「……は?」
優也の思考が停止した。
海?
このマンルシア大陸は広大だ。マンションのある荒野から一番近い海までは、直線距離で500キロはある。
当然、キャルルと海に行った記憶などない。
優也は珈琲キャンディを噛み砕くときのように、冷静に、そして真顔で返した。
「何の話だ」
そのあまりにあっさりとした否定。
だが、それがユーフェミアには「非情な男の切り捨て」に見えた。
「ま、まぁ……! 心当たりがないと仰るの!?」
ユーフェミアが立ち上がる。
キャルルはさらに追い打ちをかける。
「うわぁぁぁん! 優也さんの嘘つき! あんなに優しくしてくれたのに! 私のこと、遊びだったんですねぇぇぇ!」
ウサギ耳をぺたんと伏せて号泣する少女。
冷徹に無視する男。
誰がどう見ても、優也が悪役だった。
「信じられませんわ……!」
ユーフェミアの顔が怒りで真っ赤に染まった。
彼女は優也の前に立ちはだかり、震える手を振り上げた。
「わたくし、不潔な殿方は大っ嫌いですわ! 最低!!」
バチィィィィィン!!
ラウンジに、小気味よい破裂音が響いた。
優也の左頬に、公爵令嬢の渾身の平手打ち(ビンタ)が炸裂した。
「さようなら!」
ユーフェミアはドレスを翻し、怒涛の勢いで去っていった。
残されたのは、頬を押さえる優也と、泣き真似をしながら指の隙間から様子を伺うキャルルだけ。
◇
数分後。
ラウンジの騒ぎが収まり、優也は新しい氷袋で頬を冷やしていた。
「……い、痛かったですか? 優也さん」
キャルルが恐る恐る尋ねる。
作戦は成功した。お見合いは破談だ。
だが、優也に痛い思いをさせてしまった罪悪感が、彼女のウサギ耳を萎れさせていた。
「……ああ、結構いいスナップだったな」
優也はジンジンする頬を撫でた。
だが、不思議と怒りは湧いてこなかった。
むしろ、面倒な縁談を一撃で断ち切ってくれたことへの安堵感の方が大きかった。
「まあ、これでタロウさんも諦めるだろう。『海辺の火遊び男』なんて悪評が広まれば、二度と見合い話なんて来ないはずだ」
「ご、ごめんなさい……やりすぎちゃいました……」
しょんぼりするキャルル。
優也はため息をつき、ウェイターを呼んだ。
「すいません。メニューを」
そして、キャルルに向き直った。
「作戦成功の報酬だ。好きなものを頼め」
「えっ……? 怒ってないんですか?」
「頬は痛いが、結果オーライだ。それに……君の演技、女優顔負けだったぞ」
優也が珍しく口元を緩めると、キャルルの顔が一気に輝いた。
「本当ですか!? じゃあ、じゃあ……『季節のフルーツマウンテン・パフェ』をお願いします!」
「了解だ。……俺も甘いものが食べたくなった」
やがて運ばれてきた巨大なパフェを、幸せそうに頬張るキャルル。
その様子を眺めながら、優也は思った。
(高貴な公女様より、こうやって旨いものを旨いと言って食う奴のほうが、俺には合ってるな)
優也は自分の頬の痛みも忘れ、パフェの上のサクランボをキャルルの皿に移してやった。
遠くの柱の陰で、変装したルナとリーザが「抜け駆けはずるいですわー!」「私もパフェ食べたいー!」と歯噛みしていることには気づかずに。
こうして、お見合い騒動は「優也の頬の腫れ」と「キャルルの笑顔」で幕を閉じた。
だが、この一件で「優也は芸術的なまでの悪党(女たらし)」という誤解が広まり、それが新たな芸術家の魂に火をつけることになろうとは、まだ誰も知らなかった。




