EP 26
国王の余計なお世話(お見合い写真)
青田マンションの朝は、甘い香りで満たされていた。
優也は最上階のキッチンで、厚切りのパンを卵液に浸していた。
昨夜の宴で余ったバゲットを使った、特製フレンチトーストだ。
「……平和だ」
優也はフライパンにバターを溶かしながら呟いた。
ここ最近、スタンピードだのサウナ建設だのと騒がしい日々が続いていたが、今日は嵐の前の静けさのように穏やかだ。
だが、その平和は唐突に打ち破られるのが、このマンションの掟だった。
バンッ!!
リビングのドアが勢いよく開いた。
現れたのは、ジャージ姿に王冠を被った男――タロウ国王だ。
彼はいつになく真剣な表情で、一枚の封筒を握りしめていた。
「優也くん! 大変だ! 君の将来に関わる重大な危機が迫っている!」
「……朝から何ですか。またリベラに税金でも搾り取られましたか?」
「違う! 金の話じゃない、愛の話だ!」
タロウはズカズカとキッチンに入り込むと、カウンターに封筒を叩きつけた。
「君、そろそろ身を固める気はないか?」
「は?」
優也はフライパンを揺らしながら眉をひそめた。
身を固める? コンクリートで?
「結婚だよ、結婚! 君もいい歳だろ? それに、このマンションのオーナーともなれば、政治的にも『しっかりした伴侶』が必要だと思ってな」
「……余計なお世話です。俺は料理とバイクがあればそれでいい」
「そう言うなよ。相手は超優良物件だぞ?」
タロウは封筒から一枚の写真を取り出し、優也の目の前に突き出した。
そこに写っていたのは、深窓の令嬢といった風情の美女だった。
金髪の巻き毛、穏やかな微笑み、そして見るからに高そうなドレス。
「隣国ローズ公国の第三公女、ユーフェミア様だ。淑やかで、家庭的で、趣味は刺繍とお菓子作り。どうだ、完璧だろ?」
「……なんで一国の王女が、ただの料理人に?」
「君の噂が轟いてるからだよ! 『ドラゴンを飼い慣らし、神々を宴に招く謎の城主』ってな。向こうから『ぜひ一度お会いしたい』って打診があったんだよ」
優也は珈琲キャンディを口に放り込み、冷静に返した。
「断ってください。俺は忙しい」
「無理だ。もうセッティングした」
「は?」
「明日の昼、王都の『ホテル・グラン・タロウ』のラウンジで顔合わせだ。キャンセル料は外交問題に発展するからな。頼むよ、顔だけ! 顔出すだけでいいから!」
タロウが拝み倒してくる。
優也は深いため息をついた。
外交問題と言われれば無下にもできない。リベラあたりに相談すれば法的にねじ伏せてくれるかもしれないが、それはそれで金がかかる。
「……分かりました。顔を出すだけですよ。すぐに断って帰りますから」
「よし! 恩に着るよ! いやー、これで俺もローズ公国との貿易摩擦が解消できる……」
タロウが安堵の息を漏らした、その時だった。
ガタガタガタッ!!
ベランダの窓拭きをしていたキャルルが、バケツをひっくり返した。
リビングのソファでくつろいでいたルナが、紅茶を噴き出した。
そして、なぜか天井裏にいたリーザが落ちてきた。
「な、なんですとぉぉぉぉぉーーーッ!?」
三人の絶叫が重なり、マンションが揺れた。
◇
「お、お見合い!? 優也さんが!? しかも相手はお姫様!?」
キャルルは窓ガラスにへばりつき、涙目で叫んだ。
そのウサギ耳はピンと立ち、極限の警戒モードに入っている。
「ぬ、抜け駆けですわ! わたくしというエルフの至宝がいながら、どこの馬の骨とも知れぬ公女などに!」
ルナがハンカチを噛み締める。
「ルナさん、公女は馬の骨ではないと思いますけど……でも一大事です!」
リーザも天井からぶら下がったまま顔面蒼白だ。
タロウは「やべっ」という顔をした。
このマンションの女子連中(特にキャルル)の優也への執着を、甘く見ていたようだ。
「えーと……俺は公務があるから帰るわ! 明日の12時な! スーツ着てこいよ!」
タロウは脱兎のごとく逃げ出した。
残されたのは、不機嫌な優也と、パニック状態の女子たちだ。
「優也さん! 行くんですか!? 行っちゃうんですか!?」
キャルルが優也のエプロンを掴んで揺さぶる。
「断りに行くと言っただろ。……ああ、フレンチトーストが焦げる」
優也は淡々と料理を皿に盛り付けた。
甘い卵とバターの香りが漂うが、今のキャルルにはその味を楽しむ余裕はない。
(優也さんが……結婚? そんなの……そんなのダメです!)
(私の毎日のご飯は!? マッサージの時間は!? そもそも、私が一番最初にこのマンションに来たのに!)
キャルルの脳内で、危機管理アラートが最大音量で鳴り響いた。
彼女はチラリとルナとリーザを見た。
二人の目にも、同じ炎が宿っている。
【緊急同盟結成】
言葉はなくとも通じ合った。
ルナが扇子を開き、不敵に微笑む。
「……皆様。優也様は『断る』と仰っていますが、相手は手練れの公女。色仕掛けで籠絡される可能性もありますわ」
「そ、そうですよね! 優也さん、押しに弱いところありますし!」
リーザが同調する。
「ここは私たちが、陰ながらサポート(妨害)するべきではありませんか?」
「賛成です! 優也さんの平穏な独身生活を守るため……いざ、王都へ!」
キャルルが拳を突き上げた。
優也はフレンチトーストを食べながら、背後で蠢く不穏な気配に気づかないふりをした。
「……明日は胃薬を持っていくか」
こうして、波乱のお見合い当日が幕を開けることになる。




