EP 21
貧乏アイドル・リーザの「強く生きる」一日
午前7時。
青田マンションの102号室で、リーザはパチリと目を覚ました。
目覚まし時計はない。腹時計が正確に朝を告げるからだ。
「よし、今日も良い天気!」
彼女は共同の洗面所で顔を洗った。冷たい水が肌を引き締める。化粧水は使わない(買えない)。若さという天然成分だけで勝負だ。
◇
朝のリビング。そこには残酷な「格差社会」が広がっていた。
「さぁて! 今日はタロウキングで『朝食バイキング』行ってくるね!」
月兎族のキャルルが、元気いっぱいに宣言した。
彼女は安全靴の紐を結びながら、懐の財布(地竜討伐の報酬でパンパン)を叩く。
「冒険者ギルドの依頼を適当に受けて、ゴブリンを蹴り飛ばしてお小遣い稼いでくるわ。優也さんもどうですか?」
「ん、たまにはファミレスで朝飯も悪くないか。新作メニューの視察も兼ねてな」
優也が頷く。二人の会話からは「余裕」が漂っている。
一方、エルフのルナは、キッチンで優雅に魔法を使っていた。
「わたくしは美容のために、産地直送(魔法生成)の野菜ミックスジュースですわ」
キラキラと輝くグラスには、最高級の果実と野菜のエキスが詰まっている。
そして――リーザの手元には、ビニール袋に入った「パンの耳」があった。
近所のパン屋で「ご自由にどうぞ」と置かれていたものだ。
「……いただきまーす」
リーザはパンの耳を齧った。
モソモソとした食感。水分が奪われる。
(シェアハウスなのに……この経済格差……!)
目の前でキャルルたちが「ドリンクバーが~」などと話しているのが遠い世界に聞こえる。
だが、リーザは瞳の炎を消さなかった。
「でもでも、私は負けないもん! いつか武道館でライブをするんだから!」
彼女はパンの耳を水で流し込み、みかん箱を抱えて飛び出した。
◇
場所は変わって、駅前広場。
タロウ王の近代化政策により、多くの人々が行き交う一等地だ。
リーザは愛用のみかん箱の上に立ち、精一杯の笑顔で叫んだ。
「聞いてください! 未発表の新曲……『インフルバスター』!!」
リーザが踊りだす。
観客は、散歩中の老人や、暇そうなハトが数羽。
「♪アタマガンガン~ アタマガガン~!」
(頭を押さえて苦しむポーズ)
「♪負けるな私! 必殺! 有給休暇!」
(布団に入って寝るジェスチャー)
「♪甘い甘いシロップが飲めるぞ~!」
リーザはステージ(箱)の上で、見えない敵と戦うアクションを見せる。
そしてサビだ。
「今だ! 必殺! タミフルパーンチ!!」
バシュッ! と鋭い正拳突き。
「♪予防注射は ドッキ! ドッキ!」
(腕まくりをして怯えるポーズ)
「♪新人ナースに 当たりませんよぉにぃ~(切実!)」
最後のフレーズで、彼女は天を仰いで祈った。
その表情は、演技を超えた本気の恐怖と願いが込められていた。
「♪みかんとコタツが 私の友達だあああ!!」
フィニッシュ。
一瞬の静寂の後、パラ、パラパラ……と拍手が起きた。
「いいぞー嬢ちゃん! 切実さが伝わった!」
「風邪ひくなよー!」
カラン、コロン。
空き缶の中に、数枚の銅貨が投げ込まれる。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
リーザは深々と頭を下げた。今日の稼ぎは、銅貨10枚(約1000円)。
アイドル活動というより、生きるための戦いだ。
◇
昼時。
歌い疲れたリーザの腹が、盛大に鳴った。
「お腹が空きましたわ……パンの耳だけじゃ、午後のステージが持ちません……」
彼女が向かったのは、激安スーパー『タロウマート』。
自動ドアをくぐると、そこは戦場だ。
リーザはまず、試食コーナーへ向かった。
ウィンナーが焼かれている。
(……見えました!)
リーザは残像が残るほどの速さで爪楊枝を手に取り、ウィンナーを口へ運び、そして咀嚼し、笑顔で店員に会釈して通り過ぎた。
スキル:【自然な試食】。
流れるような動作で、カロリーを摂取していく。
そして、特売コーナー。
リーザの足が止まった。
「こ、これは……!!」
そこには、『鯖の味噌煮缶』が山積みになっていた。
値札には『大安売り! 銅貨1枚』の文字。
破格だ。
だが、その隣には『卵1パック(10個入り) 銅貨2枚』が置かれている。
リーザの脳内で緊急会議が開かれた。
(鯖缶……銅貨1枚。濃厚な味噌味。魚の栄養。開ければすぐ食べられる「完成された食事」。)
(卵……銅貨2枚。1個あたりは安い。でも10個。調理が必要。白米がないと戦えない。今の私の所持金で、米まで買えるか……?)
リーザが鯖缶の前でプルプル震えて悩んでいると、背後から殺気が迫った。
「ちょっと。買わないならどいてよ」
特売戦争の古参兵、大阪のおばちゃん(のようなドワーフの主婦)だ。
カゴでグイグイと押される。
「ひゃっ!? か、買います! 買う!」
リーザはプレッシャーに負け、反射的に鯖缶を掴んでレジへ走った。
卵のコストパフォーマンスよりも、今すぐ食べられる鯖の誘惑と、おばちゃんの圧力が勝ったのだ。
◇
タロウマート近くの公園。
ブランコに座ったリーザは、プルタブを開けた。
パカッ。
ふわりと漂う、甘辛い味噌と魚の香り。
「いただきまーす……」
箸(割り箸はスーパーでもらった)で、鯖の身を大きくほぐし、口へ運ぶ。
「んんっ……!」
濃い。
労働の後の体に、味噌の塩分と鯖の脂が染み渡る。
白米が欲しくてたまらない味だが、今はパンの耳の残りで我慢だ。
パンの耳に味噌ダレをつけると、意外と合う。
「おいしい……」
リーザは空を見上げた。
青い空。白い雲。そして鯖缶。
「いつか……いつか売れたら、この鯖缶を『箱買い』してやるんだから……!」
公園のベンチで、一人鯖缶をすする美少女アイドル。
その背中には、哀愁と共に、雑草のような逞しさが宿っていた。
――なお、その様子を遠くから見ていた優也が、
「……今日の賄い、鯖の味噌煮定食にしてやるか」
とメニューを変更したのは、言うまでもない。




