EP 16
世界崩壊のトリガーは「親知らず」
それは、穏やかな午後のティータイムのことだった。
青田マンションの最上階。優也は、とっておきの新作スイーツをルナとキャルル、リーザに振る舞っていた。
「はぁ♡ 優也さんが作るスイーツは美味しいですわぁ」
ルナは幸せそうに頬を緩め、皿に乗った『ダブルチョコ・ナッツクッキー』を手に取った。
ローストしたアーモンドと、濃厚なチョコチップがふんだんに使われた、優也の自信作だ。
「そうか。ナッツのロースト加減にはこだわったからな」
優也が珈琲を啜った、その瞬間。
ガリッ!!
ルナの口の中から、嫌な音が響いた。
彼女の動きがピタリと止まる。
優雅な微笑みが凍りつき、その大きな瞳に、じわりと涙が浮かんだ。
「う……い……痛い……」
その涙が一粒、零れ落ちそうになった時――優也の脳内に、無機質な警告音が鳴り響いた。
『ピピピーッ!! 緊急警報! システムエラー発生!』
『対象:ルナ・シンフォニアの「泣き声(および痛覚信号)」を確認。』
『世界樹の激怒レベル、限界突破。世界崩壊プロセスを開始します』
「……なんだと!?」
優也がカップを置くより早く、世界が変貌した。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
マンションが激震した。
窓の外を見ると、荒野の地面が爆発し、そこから直径数メートルはある巨大な「木の根」が、怒れる蛇のように隆起している。
平原の可愛い花々は人食い植物へと変異し、空の雲はドス黒い雷雲へと変わった。
ただならぬ殺気(植物の怒り)が、このマンション一点に集中している。
キャルル「ヤバい! とぉーっ!」
瞬時に状況を理解したキャルルが、テーブルを飛び越えた。
彼女は空中で体をひねると、涙を流しかけているルナの首筋に、鋭い手刀を叩き込んだ。
「必殺・峰打ち!!」
「あぅ」
ルナは白目を剥き、クッキーを握りしめたまま、優也の胸の中に倒れ込んだ。
彼女の意識が途切れた瞬間、外で暴れていた木の根が「ピタリ」と停止した。
「……危ない、危ない……」
キャルルが冷や汗を拭う。
「ルナさんが本気で泣いたら、世界が滅ぶんです!」
「どういうことだ? 説明してくれ」
優也が気絶したルナをソファに寝かせながら問うと、青ざめたリーザが震えながら答えた。
「そ、そうなんです……リヴァイアサンお母様(私の育ての親)から聞いた話なんですが……」
リーザは語った。
かつてルナが幼い頃、初めて虫歯になった時の伝説を。
「ルナさんが『痛い』と泣いた瞬間、世界樹が『私の可愛い子に痛みを与える世界なんていらない!』と暴走して……世界中の草花が人類に反旗を翻したそうです」
「……バイオハザードかよ」
「当時のエルフの王宮歯科医は、治療中、診察室に入り込んできた蔦に首を絞められながら、決死の覚悟で歯を削ったとか……」
優也は戦慄した。
世界樹(ヤンデレ親バカ)の過保護さは聞いていたが、まさかここまでとは。
「つまり……ルナが目を覚まして、また『歯が痛い』と泣き出したら、その瞬間に世界は滅ぶのか」
窓の外では、停止したとはいえ、巨大な木の根がマンションを取り囲んでいる。
まるで「次、泣かせたら全員養分にするぞ」と威圧するように。
優也は即座に決断した。
これは料理人の手には負えない。専門家が必要だ。
「キャルル、3階のセーラさんと、地下のポポロを呼んでくれ! 緊急ミッションだ!」
「了解です! 作戦名は!?」
「『オペレーション・スリーピング・ビューティー』……ルナを起こさずに、完璧に治療する!」
◇
数分後。
マンションのリビングは、緊迫した野戦病院と化していた。
ソファには昏睡状態のルナ。
その枕元には、白衣を着た聖女セーラと、ドリルを手にした幼女ポポロが立っている。
「状況は把握しました」
セーラが神妙な面持ちでルナの口の中を覗き込む。
「……これは虫歯ではありませんね。クッキーの硬さに負けて、奥歯が少し欠けて神経に触れたようです」
「治せるか、セーラさん」
「『ヒール』で修復は可能ですが……神経が過敏になっています。魔法の光などの刺激だけで、彼女が起きてしまう可能性がありますわ」
起きたら激痛。激痛なら涙。涙なら世界崩壊。
詰んでいる。
「そこでわっちの出番でありんすね!」
ポポロがゴーグルを装着した。
「わっちが開発した『超静音・ナノミクロ麻酔スプレー』を使うでありんす。これで患部の感覚を一時的に遮断し、その隙にセーラが治す……どうでありんす?」
「採用だ。ただしポポロ、ドリルはしまうんだ。間違っても改造手術はするなよ」
「ちっ、口からミサイルが出るようにしてやろうと思ったのに……」
優也は全員に指示を出した。
「いいか、失敗は許されない。ルナが『ふぎゃっ』と言ったら俺たちの負けだ。……始めるぞ!」
ミッション・スタート。
ポポロが慎重に、ルナの口へ極細のノズルを差し込む。
「……プシューッ」
微かな噴射音。ルナの眉がピクリと動く。
ゴゴッ……
外の木の根が反応して揺れる。
「ひぃっ!」リーザが抱き合う。
「大丈夫、まだ寝てるわ」セーラが冷静に脈を見る。
「麻酔完了でありんす。セーラ、今だ!」
「はい! 聖なる癒やしよ、音もなく、光もなく……穏やかに紡げ。【サイレント・ヒール】!」
セーラの手から、極限まで出力を絞った淡い光が漏れる。
それはルナの欠けた歯を包み込み、時間を巻き戻すように修復していく。
その時。
ルナが寝言を漏らした。
「……うぅ……優也さまぁ……」
ビクッ!!
全員が硬直した。起きるか? 泣くか?
「……おかわりぃ……」
「食い意地かよ!!」
優也が心の中でツッコミを入れた瞬間、セーラの術が完了した。
「……終わりましたわ。歯は元通り、神経も鎮静化しました」
◇
数時間後。
ルナが目を覚ました時、そこには穏やかな夕日が差し込んでいた。
窓の外の巨大な根も、いつの間にか消滅している。
「ん……あら? わたくし、寝てしまいましたの?」
「ああ。食べながら寝てたぞ、お姫様」
優也は何食わぬ顔で、新しい皿を差し出した。
そこに乗っているのは、硬いクッキーではなく、フルフルと揺れる『極上カスタードプリン』だ。
「歯に負担がかからない……じゃなくて、寝起きに優しいデザートだ」
「まぁ! 嬉しいですわ!」
ルナはスプーンでプリンを掬い、口に運んだ。
滑らかな食感。卵の優しい甘み。
痛みなど微塵もない。
「ん~っ♡ 美味しいですわ~!」
ルナの満面の笑顔を見て、優也、キャルル、リーザ、セーラ、ポポロの全員が、その場にへたり込んだ。
世界は救われたのだ。
「……ルナ」
「はい?」
「これからは、食後の歯磨きを徹底すること。これはマンションの絶対ルールだ」
「? はい、もちろんですわ!」
ルナは不思議そうに首を傾げたが、優也たちの疲労困憊した顔を見て、「皆様もお疲れなんですのね?」と、無邪気にプリンを勧めるのだった。
この日以来、青田マンションには『ルナの歯磨きチェック表』が掲示され、キャルルによる厳しい監視が行われるようになったという。




