EP 15
肉の匂いに釣られた「百獣の王」
その日の青田マンション周辺は、異様な緊張感に包まれていた。
原因は、東の方角から近づいてくる「何か」だ。
空気がビリビリと震えている。
魔王ラスティアの『絶対不可侵領域』が、かつてないほど激しく警告の波紋を広げているのだ。
1階の『麺屋・極竜』で昼食のラーメン(味玉トッピング)をすすっていたタロウ国王は、箸を止めてニヤリと笑った。
「おっ、来たな。あいつ、本当に鼻がいいからなぁ」
「……チッ。獣臭いのが近づいてきやがる。スープの香りが台無しだ」
厨房で湯切りをしていた竜王デュークが、不機嫌そうに舌打ちをする。
その殺気に、並んでいた客の冒険者たちが震え上がり、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
◇
マンションの最上階。
優也はキッチンで、大量の挽き肉と格闘していた。
今日はなんとなく「肉」の気分だったのだ。それも、小細工なしの塊肉。
「……なんか、外が騒がしいな」
優也が手を拭いてバルコニーに出ると、眼下の荒野を、金色の流星が疾走してくるのが見えた。
速い。キャルルの『超電光流星脚』に匹敵する速度だ。
流星はマンションの直前で急停止し、砂煙を巻き上げた。
ズドォォォン!!
砂煙の中から現れたのは、身長2メートルを超える巨漢だった。
上半身は裸で、鋼鉄のような筋肉が盛り上がっている。
そして頭部は、黄金のたてがみを揺らす獅子――ライオンそのものだ。
「ここか……! 風に乗って漂う、極上の『肉』の匂いの発生源は……!」
獅子の男は鼻をヒクつかせ、マンションを見上げた。
その瞳は金色に輝き、圧倒的な「王」の風格を漂わせている。
獣人族の頂点にして最強の武人、獣王レオである。
「グルルル……腹が減った。この結界、邪魔だな。壊して入るか」
レオが拳を握りしめ、魔力を練り上げた瞬間。
マンションの自動ドアが開き、不機嫌なダンディ紳士――デュークが出てきた。
「おい、そこのでかい猫。ウチの店の前で騒ぐな。客が逃げるだろうが」
デュークが睨みつけると、レオの動きが止まった。
二人の視線が交錯し、バチバチと火花が散る。
「……なんだ、トカゲか。ラーメン屋の真似事とは落ちぶれたものだな」
「……あ? 誰がトカゲだ、この脳筋猫野郎。我のスープを侮辱するなら、その自慢のたてがみを全部毟り取ってハゲライオンにしてやるぞ」
ゴゴゴゴゴゴ……!!
竜王の覇気と、獣王の闘気。
二つの最強エネルギーが衝突し、空間が歪む。
地面のアスファルトがひび割れ、マンションの窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げた。
タロウ王が窓から顔を出し、「やれー! 怪獣大決戦だー!」と野次を飛ばしている。
(……勘弁してくれ)
優也は頭を抱えた。
このままでは、せっかくのマンションが二人の喧嘩で更地になってしまう。
止めるには、武力ではない。「別の何か」が必要だ。
優也はキッチンに戻り、フライパンを熱した。
これしかない。
◇
「問答無用! 力づくで通らせてもらうぞ!」
「やってみろ! 骨の髄まで出汁にしてやる!」
レオが拳を振り上げ、デュークが口から黄金の光を漏らし始めた、その時。
「お待たせしましたーーッ!!」
10階のバルコニーから、優也の声が響き渡った。
それと同時に、強烈な「匂い」が爆弾のように投下された。
ジューーーーーッ!!
焼ける音。焦げる脂の香り。ナツメグとブラックペッパーの刺激。
レオの鼻がピクリと動いた。
デュークも口を閉じた。
優也はエレベーターではなく、なんとバルコニーからロープを使って、熱々の鉄板を持ったまま降りてきた。
(キャルルに鍛えられたおかげで、これくらいのスタントはできるようになった)
「……なんだ、それは」
レオが涎を垂らしながら問う。
優也が鉄板の蓋を開けた。
もわっと広がる湯気の中、現れたのは――
『ロックバイソン100%・特大爆弾ハンバーグ(500g)』
大人の顔ほどもある巨大な肉の塊。
つなぎ(パン粉)は最小限。ほぼ肉だけで構成されたそれは、表面はカリッと焦げ目がつき、中はレア気味に仕上げられている。
優也は仕上げに、特製のオニオンガーリックソースをかけた。
ジュワァァァァァァッ!!
ソースが鉄板で弾け、暴力的なまでの香りが周囲一帯を支配した。
もはや兵器だ。空腹という名の本能を破壊する、食の兵器。
「……食うか?」
優也が鉄板を差し出すと、レオの「王の威厳」は一瞬で崩壊した。
「く、食う!! いただく!!」
レオはナイフもフォークも使わず、素手でハンバーグを掴もうとして――「あちちっ!」と手を引っ込め、改めてフォークを突き刺した。
そして、豪快に齧り付く。
ガブリ。
「…………ッ!!!」
レオの金色の瞳が見開かれた。
噛み締めた瞬間、口の中で肉汁のダムが決壊したのだ。
粗挽きの肉が歯を押し返し、噛めば噛むほど、ロックバイソンの濃厚な旨味が溢れ出してくる。
ニンニクの効いたソースが食欲を加速させ、思考を停止させる。
「う、美味い……! なんだこれは!? 生肉より美味いぞ!?」
「火を通すことで脂が溶け出し、旨味が活性化するんだ。……さあ、白飯もあるぞ」
優也が、ポポロの『オカマmk-II』で炊いたばかりの銀シャリを差し出す。
ハンバーグを頬張り、白飯をかき込む。
肉、米、肉、米、肉、肉、米!
それは全人類、いや全獣人がひれ伏す黄金のループ。
わずか数十秒で500gの肉塊を平らげたレオは、満足げに天を仰ぎ、咆哮した。
「ウオオオオオオッ!! 力が……力が漲るわぁぁぁ!!」
その咆哮だけで雲が吹き飛んだ。
レオはバッと優也に向き直り、その肩をガシッと掴んだ。
「貴様! 名は!?」
「青田優也だ」
「ユウヤ! ここに住めば、毎日これが食えるのか!?」
「毎日ハンバーグだと栄養が偏るが……まあ、似たような肉料理なら出せるぞ」
「決めた!!」
レオは高らかに宣言した。
「我、獣王レオは、本日をもってこの『青田マンション』に入居する! 家賃は魔獣の肉で払う! 文句はないな!?」
「……まあ、空き部屋はあるが」
「よし! おいトカゲ(デューク)、これからはご近所付き合いだな! 仲良くしようぜ!」
「……フン。まあいい。貴様の筋肉なら、重い寸胴を運ぶ手伝いくらいはできそうだからな」
デュークも、ハンバーグの匂いには抗えなかったようで、少し毒気が抜かれている。
こうして、マンションに新たな住人が加わった。
最強の筋肉を持つ獣王レオ。
彼が入居したことで、マンションの「物理攻撃力」はカンストすることになるのだが――同時に、新たな問題も発生することになる。
バキッ。
レオが嬉しさのあまり優也の背中を叩いた拍子に、優也の肋骨から嫌な音がした気がしたが、優也はプロ根性で耐え抜いた。
……やはり、このマンションにはジムが必要かもしれない。優也は痛む脇腹を押さえながら、新たな増築計画を練り始めるのだった。




