EP 12
満月の夜のロケットスタート
その夜、青田マンション周辺は、いつも以上に神秘的な空気に包まれていた。
雲ひとつない夜空に、見事な満月が浮かんでいる。
優也は最上階のバルコニーで、月見酒ならぬ月見珈琲を楽しんでいた。
だが、その静寂は唐突な地響きによって破られた。
ズズズズズ……ッ!!
マンションの敷地外、魔王の結界のギリギリ外側に、巨大な影が現れた。
岩石のような皮膚に覆われた巨体。鋭い爪。
地竜だ。
本来なら地下深くに生息するS級モンスターが、優也の作る夕食(今日は特製ビーフシチューだった)の匂いに釣られて這い出してきたらしい。
「……でかいな。結界があるから入っては来れないだろうが、庭の景観が悪くなる」
優也が愛用の包丁を取り出し、迎撃に向かおうとした時だった。
「優也さん! 任せてください!」
バルコニーの手すりに、軽やかに飛び乗る影があった。
月兎族のキャルルだ。
だが、今の彼女はいつもの「人懐っこいウサギ」ではない。
満月の光を浴びたその瞳は鮮紅に輝き、長い耳はピンと立ち、全身から放たれる闘気が赤いオーラとなって揺らめいている。
「キャルル? 様子が変だぞ」
「うふふ……満月の夜は、血が騒ぐんです。体が軽くて、力が溢れて……ハイになっちゃうんですぅ!!」
キャルルは不敵に笑うと、バルコニーから10階下の地面へとダイブした。
ダンッ!
着地と同時に地面がひび割れる。彼女はそのまま地竜の正面に立ちはだかった。
◇
「グルルルオオオオッ!!」
地竜が咆哮を上げ、岩をも砕く突進の構えを見せる。
対するキャルルは、深く身を沈めた。
陸上競技のクラウチングスタートの姿勢だ。
彼女の足元には、優也が支給した『鉄芯入り安全靴・改』。
その靴底には、先日ポポロ博士とリュウが共同で埋め込んだ【雷竜石】が青白く発光している。
「行きますよ……! 今の私なら、誰にも負けない!」
キャルルは足の筋肉に、満月の魔力と自身の全闘気を集中させた。
地面のアスファルトが、彼女の踏み込みに耐えきれず悲鳴を上げ、めり込んでいく。
「……セット(用意)!」
地竜が突っ込んでくる。
その距離、あと50メートル。
しかし、キャルルの集中力の中では、世界はスローモーションだった。
「――ゴー(ドンッ)!!」
爆発音と共に、キャルルの姿が消えた。
いや、速すぎるのだ。
100メートルを5秒台などというレベルではない。
「私は……音速を超えるっ!!」
キィィィィン!!
衝撃波が大気を切り裂く。
一瞬で地竜の懐へ潜り込んだキャルルは、その勢いのまま地面を蹴り、前方宙返り(フロントフリップ)で跳躍した。
遠心力、速度、そして雷竜石のエネルギー。全てが右足の安全靴に収束する。
「でええええい!! 超電光流星脚ッ!!!」
夜空に、青い稲妻が走った。
キャルルの踵落としが、地竜の硬い頭蓋に直撃する。
バリバリバリバリ!!
ドガガガアアアアン!!
凄まじい雷鳴と轟音。
鋼鉄よりも硬い地竜の顔面が、豆腐のように粉砕され、黒焦げになりながら吹き飛んだ。
巨体はそのまま数百メートル後方まで転がり、動かなくなった。
◇
もうもうと立ち込める土煙の中、キャルルは着地を決めた。
片足立ちでの残身。月を背負ったその姿は、一幅の絵画のようだった。
「う、美しい……」
バルコニーから見ていた優也が、思わず漏らす。
「やりましたね! キャルルさん!」
隣の部屋から顔を出したルナが拍手をする。
「素晴らしいわ! あの光、ステージ照明に使えそう!」
リーザもペンライトを振って歓声を上げた。
「はぁ……はぁ……やった……」
キャルルは肩で息をしながら、興奮の余韻に浸っていた。
満月の力があったとはいえ、過去最高の動きができた。優也さんは見ていてくれただろうか。
そう思った瞬間、目の前に優也が駆け寄ってきた。
「やったな! キャルル!」
普段は冷静な優也が、珍しく興奮した様子で、キャルルの体をガバッと抱きしめた。
「!!??」
キャルルの思考回路がショートした。
優也さんの匂い。逞しい腕。密着する体温。
満月のハイテンションも相まって、彼女の妄想は一気にゴールインまで暴走する。
(優也さん! 抱きしめてくれた! これは……これはつまり、私の愛が伝わった!? 地竜を倒したご褒美がプロポーズ!? ついに私が優也さんと婚約かあああ!?)
キャルルは顔を真っ赤にし、潤んだ瞳で優也を見上げた。
「優也さんっ……! 私、私……!」
「素晴らしい、素晴らしいぞキャルル!」
優也は抱きしめたまま、熱っぽく語りかけた。
「あの踏み込みの深さ! そして空中で軸をずらさずに遠心力を乗せるボディバランス! さらに安全靴の硬度を最大限に活かしたインパクトの角度! 完璧な『機能美』だった!」
「……え?」
キャルルの表情が固まる。
優也の瞳は輝いているが、それは愛しい女性を見る目ではなく、「素晴らしい調理器具やバイクのパーツを見た時の目」だった。
「だが、まだ伸びしろがある。あの『超電光流星脚』は、もっとだ。もっとトレーニングをして、ふくらはぎの瞬発力を強化すれば、更に究極になる!」
「え……あの、優也さん……婚約とかは……?」
「そうだ、タロウさんから『短距離走の科学的トレーニング本』を借りてこよう! そして俺が専用のメニューを組む! 食事管理も徹底して、筋肉の質をさらに高めるんだ!」
優也はバッとキャルルを離し、何やらブツブツとメニューを考案し始めた。
「朝はプロテイン入りのパンケーキ、昼は鶏ささみの……」
置き去りにされたキャルルは、ガクッと膝をついた。
そして、満月の夜空に向かって魂のツッコミを叫んだ。
「そっちいいいいいいっ!?」
キャルルの悲痛な叫びは、虚しく荒野に響き渡った。
結局、翌日から優也による「地獄のスパルタ・トレーニング(美味しいご飯付き)」が始まり、キャルルは恋の道ではなく、「音速の格闘家」としての道をひた走ることになるのであった。




