EP 10
そしてマンションは伝説へ
翌朝。
青田マンションの最上階、オーナーズルーム。
目覚めの珈琲を淹れていた優也は、窓の外を見て眉をひそめた。
「……鳥が、避けて飛んでいくな」
普段ならバルコニーの手すりに止まる小鳥たちが、マンションから半径100メートル付近に近づいた瞬間、見えない壁に弾かれるように――いや、恐れをなしてUターンしていく。
魔王ラスティアが付与した『絶対不可侵領域』の効果だ。
物理的な防御だけでなく、「本能的な畏怖」を植え付ける結界らしい。
「セキュリティ万全なのはいいが、これじゃ郵便屋も来れないんじゃないか?」
優也は苦笑しつつ、珈琲キャンディを口に放り込んだ。
まあ、住人が住人だ。これくらいの防犯対策は必要経費だろう。
彼は着替えを済ませ、日課の食材仕入れに向かうためにエレベーターで1階へ降りた。
◇
エントランスホールは、朝からカオスな活気に満ちていた。
「五円~! 五円~! 廊下はピカピカ、私の未来もキラキラ~!」
エプロン姿のリーザ(貧乏アイドル)が、謎の自作ソングを歌いながらモップがけをしている。彼女の丁寧な掃除のおかげで、床は大理石のように輝いている。
「おはようリーザ。精が出るな」
「あ、オーナー! おはようございます! 見てください、今日ゴミ捨て場に行ったら、まだ賞味期限内の牛乳が捨ててあったんです! 今日はラッキーデーです!」
「……そうか。腹壊すなよ」
優也は彼女の逞しさに感心(呆れ)しつつ、自動ドアの方へ目を向けた。
そこには、朝一番の出勤をしてきたリベラがいた。
「ごきげんよう、優也様。今日も良い『無罪日和』ですわね」
「おはようリベラ。……その後ろの行列は?」
リベラの背後――マンションの敷地外には、黒いローブを被った怪しげな男たちや、どう見ても元山賊風の男たちが長蛇の列を作っていた。
リベラのクライアントたちだ。彼らは結界の圧力に震えながらも、救いを求めて並んでいる。
「ふふ、噂が広まっているようですわ。『あのマンションに入れば、どんな追手からも守られる』と。私の事務所としては最高の宣伝効果です」
「……トラブルだけは持ち込まないでくれよ」
さらに、ガレージの方からは重低音が響いてくる。
「おいタロウ! 今日の麺上げは何秒だと言った! コンマ1秒遅いぞ!」
「うるせえなトカゲ親父! こっちだって客足が途絶えなくて忙しいんだよ!」
テナントの『麺屋・極竜』は、開店前から大行列だ。
冒険者、近隣の農民、果てはお忍びの貴族までが、「一杯食べれば寿命が延びる」という噂を聞きつけて並んでいる。
その行列整理をしているのは、元勇者のリュウだ。
「はいはい、押さないでくれよー。割り込みしたら、俺のレンチで配管みたいに曲げるぞ」
「パパかっこいいー! ママのお弁当まだー?」
「あらあら、リリスちゃん。結界の強度チェックが終わってからね」
リュウ一家もすっかり馴染んでいる。
セーラ(聖女)に至っては、魔王の結界にさらに自身の聖属性結界を重ねがけしており、マンションは今や「神魔融合要塞」と化していた。
◇
優也はガレージから愛車【スレイプニル】を引き出した。
ヘルメットを被り、グローブをはめる。
その背中に、ウサギ耳の影が飛びついた。
「優也さーん! いってらっしゃーい!」
「うわっ、キャルルか」
2階のベランダから飛び降りてきたキャルルが、ニコニコと笑っている。
その隣には、優雅に紅茶を飲むルナの姿も。
「優也様、お土産はフルーツでお願いしますわね。できれば爆発しないやつで」
「お前が爆発させるんだろ、ルナ」
優也はバイザーを上げ、住人たちを見回した。
1階:世界最強のラーメン屋。
2階:聖域無き法律事務所と、規格外の女子たち。
3階:元勇者一家のメンテナンス部隊。
最上階:女神と魔王の溜まり場。
数日前まで何もない平原だった場所が、今や大陸で最も危険で、最も安全で、そして最も美味いものが食える場所になってしまった。
その中心にいるのが、ただの料理人である自分だという事実に、優也は肩をすくめた。
「……まあ、退屈はしないな」
彼はスロットルを回した。
魔導エンジンが唸りを上げ、タイヤが大地を掴む。
「晩飯までには戻る。今日のメニューは『ハンバーグ』だ」
「「「やったぁぁぁ!!」」」
住人たちの歓声を背に、優也はアクセルを開けた。
風を切って走る。
目指すは市場。そして、まだ見ぬ食材と、新たなトラブルの予感がする地平線の彼方へ。
――その頃。
遠く離れた西方、「地下帝国ドンガン」。
薄暗い研究室で、ピンク髪の幼女(100歳超え)が、怪しげなモニターを見つめていた。
「……反応ありんす。とてつもない『技術』の波動を感じるでありんす……!」
マッドサイエンティスト・ポポロ博士のメガネがギラリと光る。
さらに東方では、筋肉隆々の獣王が「美味い肉の匂い」を嗅ぎつけて鼻を鳴らしていた。
三つ星シェフのマンション経営は、まだ始まったばかり。
伝説は、ここからさらに加速していく――。
「行ってきます(ご安全に!)」
青田優也は愛車と共に、異世界の大地を疾走していった。




