第2話 龍訊
この青年が話す言語。これまで聞いたことがないものだ。
最初に大蜥蜴と向かい合ったときに感じていたが、ここは俺がいた世界ではないのかもしれない。あの火球……隕石にぶつかって俺は死んでしまったのか。
あんなに恐ろしいバケモノがいるということは、ここは地獄か……
「ヲ゛ネハ゛ムタヘヤ……ノウラハ゛、ラルナヘネモラアベルハ?」
青年が自分の腿の傷を確かめ、俺に向き直って何かをしゃべった。
驚きと、少しの安心感がその表情から読み取れた。
いや違う。ここは地獄ではない。青年の安堵する顔を見て、俺は確信した。
「ノウラバ、フマードシリト……ラロキヘネモラアベルク」
青年が地面に置かれた剣太刀と、倒れている二体の大蜥蜴の死体を見て何かつぶやく。
俺は身振り手振りで説明しようとしたが、上手く伝えられない。
このままでは埒が明かない。状況の説明ができない。
そのとき思い出した。川のそばで目覚める前。濃い霧が立ち込める荘厳な空間で、山のように大きな存在に出会った。そしてどれがよいかと尋ねられ、俺は「耳」と答えたのだ。
あれが夢ではなく、何かの意味があるのなら、訊きとれるようになるかもしれない。
「もう一度、何か話してみてくれ。訊かせてくれ」
俺は青年に頼んだ。
青年がゆっくり喋る。その口元、その音に意識を向ける。
まだ言葉の意味は分からない。しかし声として発せられる音。その音に含まれる意が、少しずつ理解できてきた。
「あなたバ…助けヘネモラのですね」
途切れ途切れだが、意味がくみ取れるようになってきた。言語を理解するというよりは、想いが直接脳に伝わってくるような感覚だ。
「ああ、助けてもらったのはお互い様だ。あんたが大蜥蜴にぶつけた氷の礫。あれのお陰でなんとか奴を倒すことができた。ありがとう」
俺は青年の目を見つめ、ゆっくりと語りかけた。
「氷のサエベ…もしかキヘ、術のことヲベルハ? 私には、ノア程度が…精一杯なアルベ。 大したソヲツできず、申しンナノありません」
「そんなことはない。あんたは大したものだ」
「…………」
青年は俯き、頭を垂れている。
「あの氷の礫のお陰で奴の動きが一時止まった。その隙に、先に倒していた大蜥蜴の死骸から湧き出た粒子のようなモノを吸収することが出来た。それによって俺の身体に力が漲り、勝つことができたんだ」
「粒子のミヨウもの……」
青年は何か思い当たることがあるのか、目を見張り、身を乗り出した。
そういえば、お互いの自己紹介がまだだったな。
「俺は影真景次だ。景次と呼んでくれ。あんたは?」
「私は、コトヒラと申します。助けていただきありがとうございます」
今初めて、伝わってくる言葉と想いが完全に一致した。通じ合えたことで、胸の中に温かいものが広がる。
青年は正座して、丁寧にお辞儀をしながら自己紹介をする。ずいぶんと礼儀正しい奴だ。
「コトヒラか、良い名前だな。音の響きが良い」
「ありがとうございます。恐縮です、景次様」
「いや、様はつけなくていい」
「はい。私はリザードマンの毒槍を受けて死にかけていたはずなのですが、今はどこも苦しくありません。これも、もしかして景次さんが治してくれたのですか?」
コトヒラと名乗った青年は、自分の両手や足の傷を見ながら問いかけてきた。
俺は表情をゆるめ、穏やかに話す。
「いや、俺が治したわけじゃない。活法術という技なんだが、分かりやすく言うと、コトヒラの身体が元々もっている治癒力を高めて毒を弱め、排出したって感じだ」
「すごい……、自己治癒力を高める方法があるのは聞いたことがありましたが、ここまで効果が高いものは初めて知りました。あのリザードマンの強力な毒を治せるなんて……」
俺としても驚いている。明らかに活法術の効果が上がっているように思えるからだ。これも、龍素とかいうものを取り込んだお陰だろうか。
「ところで、どうして奴らに狙われていたんだ?」
「それは、その、何と言いますか……」
コトヒラは肩から下げた鞄に手を当て、黙り込んでしまった。
何か事情がありそうだ。今は深入りしないほうがいいだろう。
「いや、無理に答えなくていい。詮索して悪かった」
「こちらこそ、助けていただいたのに、申し訳ありません……。あの、なぜ私を助けてくれたのですか? 初めて会った見ず知らずの私を」
コトヒラの目に、少し警戒の色が浮かんでいた。
なぜ助けたのか……
四十半ば。人生を諦めかけていた俺の目の前で、自分の子供といってもおかしくないほどの若い青年が殺されかけていた。
理由なんて、いらないだろう。
「なぜ助けたのか? 俺にも分らんよ。たまたま通りかかって、そしたら若者がバケモノに襲われていた。気がついたら手に持っていた物を投げつけ、そこからは無我夢中だった。理由なんてないさ」
俺は少しおどけたように答えた。
「理由なくですか……。しかし、よく勝てましたね。あの凶悪なリザードマン二体を相手に」
「本当に危なかった。誰かが耳元で助言してくれたんだが、あれが無ければ俺も死んでいただろう」
そう言えば、あの不思議な声が今は聞こえない。最初はこの剣太刀が声を発しているのかと思ったが、どうやら違うようだ。
「誰かが助言を? どんな声でしたか」
「なんだか風がざわめくような音が耳元に集まって、それから微かに声がしたんだ。その声に従って呼びかけると、俺が持っていた鉄の塊が剣に変わった。それから大蜥蜴の死体から龍素、とか言う粒子みたいなものを吸収しろとか言われたんだ」
俺はできるだけ順序だてて思い出しながら説明した。
「龍素!?」
「そうだ、たしかそう聞こえた」
「不思議な声に従ったら持っていた鉄の塊が武器になり、リザードマンの死体から龍素を吸収しろと言われたんですね…」
コトヒラは顎に手を当てて考え込んでいる。
コトヒラが思案している間、俺は立ち上がり、鉄塊が剣太刀に変形した場所まで歩いていき、辺りを探す。
「あった、ご丁寧に鞘まで作ってくれている」
剣太刀の鞘。これも鉄塊が変形して作られたようだ。
鞘と剣太刀を見る。手のこんだ、見事な造りだ。
そもそもなぜ、足元に埋まっていた鉄塊がこの武器になったのか。
遠い記憶。確か師匠の所有する刀剣の中に、剣太刀が一振りあったような気がする。だが、それだけだ。俺とは接点が見つからない。
血振るい、納刀。
真剣で生き物を斬ったのは初めてだったが、なぜか淀みなく一連の動作が出来た。まるでやり方を思い出しながらやっているような感覚だ。
コトヒラが俺のそばに歩み寄り、神妙な顔で尋ねてきた。
「先ほど景次さんは魔物の死骸から出ている粒子を吸収したと仰っていましたが、それがどうにもおかしいのです。あの粒子をそのまま取り込んでしまうと普通なら死んでしまうはずです」
「ああ、そういえば灰色の粒子を取り込んだあと、身体中が張り裂けそうな痛みで苦しめられた。なにか悪いものが混じっていたんだと思ったから、それを身体から追い出したんだ」
「追い出した……」
「暗く悍ましいものが身体から出ていく。そう心に想い描くと黒い粒子が染み出して、空に昇って消えていった。そして明るく柔らかいものだけが俺の中に残り、活力があふれてきた」
「そしてリザードマンに勝てた、ということですか」
「ああ、そんなところだ」
「景次さん。いくつか分かったことがあります。不思議な声と、リザードマンの死骸から吸い取った粒子について」
「何が分かったんだ?」
コトヒラが、真っ直ぐに俺を見つめる。
「景次さん、あなたは『龍訊』の遣い手だと考えられます」




