第2話 剣太刀
武器はなんとか手に入った。だが、右腕がほとんど使い物にならない。この状態で奴の硬そうな皮膚を貫けるかどうか…
大蜥蜴は四つん這いの姿勢で右手に槍を持ち、突進してくる。こう見ると正にでかい蜥蜴だ。
重心をやや前に。のど元に突き出されてきた槍の穂先、剣太刀の腹で受け、俺から見て左後方に流す。
右足を半歩踏み出し、大蜥蜴の空いた胴、すれ違いざまに斬る。
距離を開け、すぐさま振り返り残心をとる。大蜥蜴は左脇腹から血を流しているが傷は浅い。これでは仕留められない。
そのとき、奴の纏う空気が変わった。先ほどまで狂気じみた顔だったが、今は知性を感じさせた。そして俺と同じように残心をとっている。
「コイツ…学んでいるのか」
長引くと不利だ。毒が回って視界も霞んできた。
「くそ…、どうすれば…」
耳のそばで風が小さくざわめく。
『……の…亡骸……素…を得……』
また声が聞こえた。途切れ途切れで意味がはっきりとしないが、さっき倒した大蜥蜴の死体に活路があるらしい。だが……
目の前で槍を構えた大蜥蜴の目を盗んで動けるとは思えない。なんとか奴の隙を作る手立てはないか……
そのとき、離れた場所に倒れていたフードの人物が動いた。両手を不思議な形で組み、何事か呟く。次の瞬間、その手から何かが勢いよく射出され、俺と向かい合っていた大蜥蜴の背中に直撃した。
砕けて飛び散った何かが、木々の隙間から差し込む陽に照らされ、きらきらと輝く。氷、それは細かい氷の集合体だった。フードの人物が飛ばしたのだ。
氷をぶつけられた大蜥蜴の動きが止まった。
今だ!
走る。半ば麻痺しだした右足を引きずるように、最初に倒した大蜥蜴の死体に向かって走る。
奴はまだ動かない。早く。
足をひきずり、倒れ込むように死体の元へとたどり着く。
近づくと、大蜥蜴の死体から灰色の粒子のようなものが湧き出てきて、その場に漂っているのが分かった。
それは灰色で、気体のような、粘ついた個体のようにも見える。
これは…どうすれば…
『龍素…吸……、己………せよ』
これを吸い取ればいいのか?
声を聞いた次の瞬間、俺は無我夢中で灰色の粒子に触れる。
次の瞬間、経験したことのない力の奔流が流れ込んできた。
なんだこの感覚は……、まるで体の中に清流と汚濁が同時に流れ込み、激しく渦を巻いているようだ。
「ぐっ、があああっ」
身体中が張り裂けそうな痛みに襲われる。頭が割れそうだ。
『邪………吐き……』
「吐き出せ…?なにを――」
飛びそうなる意識の中で、師匠の声を走馬灯のように思い出した。
『人から悪いモノをもらった? そんなこと、あるわけないだろ!』
昔、俺が活法術で患者に手当した後、自分の体調が悪くなってしまったことがあった。その事を師匠に相談すると叱られたのだ。人から悪いモノをもらってしまうことなど無い、と。実際はどうであれ、そんな事あるはずがないと思え、と。
「ぐぅぅ、んんん…」
イメージだ。身体に入った悪いモノを追い出すイメージを持て。
「ふぅぅぅ………むん!」
頭の中でイメージが完了した瞬間、俺の身体から真っ黒い粒子がざわざわと染み出し、空に昇っていく。
黒い粒子が上空で消える直前、一瞬だけ美しく輝いた。
それはどこかで見たことがある輝きだった。
腹の底から活力が溢れてくる。四肢に力が漲り、右半身の麻痺も消えた。右腕の傷口からドス黒い血が一塊噴き出し、地面に飛び散った。毒が出ていったのだろう。
これまでの人生で感じたことのない高揚感と共に、心の中に静寂が広がっていく。
俺は大蜥蜴に向き直った。奴も氷の呪縛から解き放たれ、俺を睨む。
「バケモノ…、いや蜥蜴野郎。そろそろ終いにしよう」
大蜥蜴は真っ直ぐにこちらを見つめ、両足を前後に開き、槍を構えた。
見事な構えだ。惜しい。
俺は今度こそ、剣太刀の柄を両手で握る。
剣太刀を正眼に構える。
今はわかる。この剣太刀のことが。両刃と片刃、その交わる一点が最も威力を発揮するということが。
大蜥蜴がぐっと腰を落す。強く地面を蹴り、一気に間合いを詰めてくる。
俺は半眼になり、心に湖を思い浮かべた。
静かな湖面。一輪の波紋もない。
心が、澄んでいく。
体の強張りが消え、敵の動きがよく見える。
大蜥蜴が腰を大きくひねり、槍を引く。腕の筋肉が盛り上がり、強烈な殺意が槍の先端に集まる。
剣太刀を上段。大蜥蜴の突きが迫る。
剣太刀を――振り下ろす。
湖面に、波紋が幾重にも広がった。
斬――
甲高い破裂音。周囲の木々を震わすほどの衝撃。
剣太刀の両刃と片刃の交わる一点が槍の穂先を砕き、衝撃で大蜥蜴の両手を破壊した。
大蜥蜴が目を大きく見開き、動きが止まる。
俺はさらに深く踏み込み、剣を左下から右上、逆袈裟に斬り上げる。
肉を裂き、骨を断つ感触が、意外にもあまり伝わってこなかった。
後ろに飛び、残心を取る。
大蜥蜴は右脇腹から左肩まで斜めに切り裂かれ、胴体が二つに別れて倒れた。
目を見開いたまま動かない。少しして、大蜥蜴の死体から灰色の粒子があふれ出てきた。
俺は構えを解き、粒子に触れる。
想い描く。
今度は灰色の粒子全てではなく、不要なものは排し、自身にとって有用なものだけを取り込む様を心に想い描く。
白く、温かく、柔らかい。力強い奔流が身体に流れ込んでくる。
腹の底が熱くなり、そこから身体全体に力が漲る。
「何とか、凌いだか……」
そこではっと思い出した。俺はフードの人物の元へ駆け寄り、声をかけた。
「おい、大丈夫か?!」
返事がない。まさか。
剣太刀を地面に置き、うつ伏せで倒れているフードの人物を起こし、顔を見る。
まだ若い。二十代前半ぐらいの青年だ。
顔全体が紫色になり、呼吸が弱い。
見ると腿の辺りに傷があり、周辺がどす黒く変色している。こいつも毒にやられたか。
俺と同じように大蜥蜴の死体から何かを吸収すれば助かるかもしれない。しかし、もう奴らの死体はない。
こうなってはしかたない。活法術を使い、治癒力を高める方法を試す。毒にまで効果があるかわからんが、他に方法がない。
大蜥蜴との戦いの最中、この青年に助けられた。次は俺が助ける。
青年をもう一度うつ伏せに寝かせる。呼吸を整え、背中の腎臓の辺りに触れる。
手のひらから、身体の正面から気配を消し、触れていることを相手の身体に悟られないように触れる。そうすることで、身体の深く深くに「活」を届けることができる。
手のひらで摩って温め、指の腹でやさしく叩き、振動を与える。摩り、叩く。何度も繰り返す。こうやって内臓の活力を高め、治癒力を上げる。俺が師匠から教わった活法の一つ。
だが、毒に対して効くのかどうか……
あの白い粒子だけを身体に取り込んだとき、身体中に活力が湧き、力が漲った。
あれを自分だけでなく、他者にも与えることができるなら、もしかしたら。
心に想い描け。活力を。
そう念じると、腹の底から活力が湧き、それが手を通して相手に伝わりはじめた。
もっと、もっとだ。
先ほどまで冷たくなっていたフードの人物の背中全体が、だんだんと温かくなってきた。呼吸が聞こえ、背中が上下し始める。
腿の傷口からどす黒い血の塊がばっと吹き出した。傷周辺の変色も引いてきている。
毒が排出できたようだ。
身体を仰向けにしてやり、もう一度顔を見る。顔全体を覆っていた紫色が消え、健康そうな顔色になっている。もう大丈夫だろう。
フードの人物が目を開いた。顔を正面から見る。
整った顔立ちで線が細く、だが眉はしっかりとしていて意志の強さも感じさせる。
俺は青年の肩に手を置き、声をかけた。
「おい、大丈夫か。 動けるか?」
「ノウラケ……ラ゛レギョヨエ゛ベルハ? フマ゛ードシリケ、ヲ゛ヨウッラアベルハ?」
言葉が……全く分からない。




