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6 与えられた役割の果てに

 その日の定例茶会、ロイドはリディアに跪くことも、手を取ることもなかった。

 それは、婚約して以来はじめてのことだった。


 リディアは不思議に思いながらも、静かに席につく。

 庭の白薔薇が風に揺れ、その音ばかりが耳に残った。


 ロイドの銀灰の髪が風にそよぐ。

 街に満ちる蒸気の色とよく似ているのに――なぜだろう、彼のそれはまるで違う。

 どこまでも澄んで、遠い。


「リディア、ひとつ問うていいだろうか」


 静かな声に、リディアは顔を上げた。


「もし――もしもだよ。

 君が望むなら……。君は、エストリア共和国へ行ってみたいと思うか?」


「……え?」


 深い青の瞳が細められる。

 穏やかでありながら、どこか悲しみをたたえていた。


「君の目は、あの空を見て輝いていた。

 私はそれを、心から誇らしく思ったんだ」


 風がリディアの金の髪を撫で、薔薇の香りがふわりと揺れる。


「君があの国で学び、エンジニアとして歩みたいと願うのなら、私は……それを止めるつもりはない。

 むしろ、応援したいと思っている」


「ロイド様……?」


「ただ――その時は、婚約を解かねばならないだろう。

 伯爵家の夫人としてではなく、ひとりの技術者として生きることになるからね」


 ロイドは彼女から目を逸らさずに語った。

 その瞳の奥に浮かぶ複雑な色を見ていることが、リディアには少し苦しかった。


「……どう思う? 君の答えを聞かせてほしい」


 リディアは息を詰め、紅茶の水面を見つめた。

 揺らめく金茶色――それは、天才パイロットの髪の色に似ていた。


「私は下位貴族とはいえ、子爵家の長女ですもの。

 与えられた役割は、きちんと果たすつもりです」


 ――その時は、この夢を捨てる時。

 ――大丈夫。ずっとそうなることは分かってた。悲しくなんかない。


 リディアは微笑んで顔を上げた。


「……そうか。

 君は、与えられた役割を生きようとするのだな」


 ロイドの瞳が細められる。

 海のような深い青は、どこまでも静かだった。


 やがて彼は目を伏せ、低くつぶやく。


「それが、私にとってどれほど誇らしく、同時に残酷か……君は知らないだろう」


 その声は小さく、風にかき消され、リディアの耳には届かなかった。


 その後のお茶会は、表面上は穏やかに終わった。

 だが、ロイドがリディアの手を取ることは、最後までなかった。



---


 その様子を、エミリアはいつものように私室の窓から見ていた。

 そして、ロイドの表情の変化に気づいてしまった。


 二人が席を立ち、玄関ホールへ歩き出す。

 エミリアは思わず立ち上がり、裾を揺らしてホールへ向かった。


「こんにちは、ロイド様。お帰りですの?」


 螺旋階段を下りながら、軽やかに笑みを浮かべる。

 リディアが驚いたように振り返ったが、エミリアは姉と目を合わせず、自然な仕草で二人の間に滑り込んだ。


「エミリア嬢……」


 ロイドはエミリアに跪き、手を取って指先に口づけの仕草をする。

 その瞬間、彼女はそっと顔を寄せた。


「姉を、空へ行かせるおつもりですか?」


 囁くような声。

 ロイドは目を見開き、そして静かに瞼を伏せた。

 ――その通りだ、と。


「私も……協力いたしますわ」


 エミリアは握られた手に、わずかに力をこめる。

 ロイドは短く息を吐き、穏やかな瞳で彼女を見つめたあと、ほんの少しだけ、頷いた。


 立ち上がると、彼は一瞬だけリディアを見た。

 それはまるで、愛しい者との別れを惜しむような、静かなまなざしだった。


「それでは」


 短く告げて、ロイドは背を向け、去っていく。


 リディアの表情には戸惑いが浮かんでいたが、エミリアは何も言わずに踵を返した。


 拳を固く握りしめ、部屋へ戻る。

 姉の視線を背に感じながら――それでも、振り返ることはなかった。


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