5 不安定な方が、速い
貴族令嬢は魔導飛行機に興味など持たない――少なくとも、そう“装って”いる。
だから今夜の国際飛行展覧会の夜会には、若い令嬢の姿はまばらだった。
リディア・カーヴェルの場合、婚約者ロイド・レオニードが参加しているため出席しても不自然ではなかったが、《スカーレット・ウィング》のお披露目が終わると、彼女の周囲には誰もいなくなった。
美しい妹エミリアは他の貴族令息に誘われてダンスへ。
ロイドも仲間や取引相手と談笑している。
リディアはグラスを手に、ぼんやりと壁の花になっていた。
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「退屈そうだね」
不意に降ってきた声に、リディアは肩を跳ねさせた。
顔を上げると、目の前に立っていたのはルカ・アストレイン。
「……え?」
「推進比を言い当てられたのは初めてだった。
俺の名前は知ってるだろ? ルカ・アストレイン。君の名前を聞いてもいいかな」
蒼い瞳にまっすぐ見つめられ、リディアは思わず視線を落とした。
「……リディア・カーヴェルと申します」
「リディア、ね。あー……そうか、貴族の女性をいきなりファーストネームで呼ぶのは失礼なんだっけ?」
「ふふ。呼びたいように呼んでくださって構いませんわ」
思わず吹き出すと、ルカも口角を上げて笑った。
「じゃあ、リディア。どこで飛行機のことを学んだの?」
「え……」
「秘密?」
「いえ、そういうわけでは……グレゴール・ヘイゼンさんに教わりました」
「ああ、グレゴールさんか。いい師を持ったな」
「ご存じなんですか?」
顔を上げると、ルカは楽しそうに笑っていた。
「知ってるよ。あの人、頑固だけど腕は確かだ」
視線が絡む。
ルカは軽く息を吐き、ポケットに手を突っ込んで壁に背を預けた。
「何でも聞いていいよ」
「じゃあ……魔導推進石の配置は前寄りですか?」
「お、目がいいな。普通そこは見ない。重心をずらした方が、旋回が速くなる」
「理論上は不安定になるはず……」
「不安定だからいい。空は、少し不安定な方が速い」
「でも、リスクは減らしたほうがいいじゃないか――」
言いかけて、リディアは慌てて言葉を直す。
「じゃ、じゃないですか」
ルカがにやりと笑った。
「それが君の素なんだな」
「あっ、いえ……ちが、ちがいます!」
リディアは顔を真っ赤にして手を振る。
ルカは声を上げて笑い、軽くグラスを傾けた。
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二人が談笑する様子を、少し離れた場所からロイドが見つめていた。
そこへ、エミリアが静かに近づく。
「ロイド様?」
ロイドは振り返り、淡く微笑む。
そして手のひらで、遠くの二人を示した。
「見てごらん、エミリア嬢」
示された先――笑い合うリディアとルカ。
「リディアがあんな顔をするのは、初めて見たよ。
何年も婚約者として過ごしてきたけれど、あんな表情は一度もなかった」
シャンデリアの灯りの下で見るロイドは、いかにも貴族然とした美丈夫。
だが、その瞳はどこか切なげに揺らいでいる。
「……この国は、彼女には窮屈なんだろう」
「ロイド様……」
ロイドはエミリアを見下ろし、ふっと穏やかに微笑んだ。
「私はもう少しあちらで話してくるよ。
エミリア嬢も、パーティーを楽しんで。それでは」
「……はい」
静かに去っていく背中。
社交界の微笑を浮かべながらも、その背中はどこか寂しげだった。
エミリアは再び姉の方へ視線を向ける。
夢と憧れを前に無邪気に笑うリディアは、彼の苦しみにまだ気づいていない。
エミリアもまた、そっと背を向けた。
胸の奥が、微かに痛んだ。




