3 アクアマリンの午後
侍女たちの奮闘と本人の地の良さもあって、リディア・カーヴェルは見違えるほどの令嬢に仕上がっていた。
光沢のあるグレーのドレスに黒革のコルセット。
ついさっきまで工房でネジを締めていたとは誰も思うまい。
子爵家の庭園。
蒸気の煙る街の喧騒から離れた白薔薇の咲くガゼボに、リディアの婚約者ロイド・レオニードは静かに座していた。
リディアが姿を見せると、ロイドは立ち上がり、彼女の前に跪いて手を取った。
その指先に口づけを落とすと、彼女の頬がうっすらと紅潮する。
その仕草にロイドは静かに微笑んだ。
「私の美しいアクアマリン。会えて嬉しい」
立ち上がった彼は、彼女を椅子へと導き、頭にそっと口づける。
「私もです、ロイド様」
ロイドは満足げに席へ戻った。
メイドが音も立てずに紅茶を注ぎ、香りが二人の間にふわりと漂う。
リディアはふと、自分の腕の内側に黒い煤汚れを見つけ、慌てて手袋で隠した。
「……今日も工房へ行っていたのかい?」
「あ……はい」
ロイドの深い青の瞳が優しく細められる。
陽光を受けた彼の銀灰の髪が、きらきらと光を散らした。
「そうか。ヘイゼンさんは、かつて王立技術院の天才設計者だった方だ。
軍事利用を巡って上層部と対立して辞めてしまったが――君が楽しそうで何よりだ」
「でもね、ちょっと口が悪いのよ」
リディアが唇を尖らせると、ロイドは声を上げて笑った。
「あはは! 確かにそうかもしれないね」
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子爵邸の私室から、エミリアはその穏やかな二人の様子を見つめていた。
ロイド・レオニード――伯爵家嫡男。
学問にも政治にも、そして機械にも理解を持つ理想的な青年。
見目もよく、社交界では令嬢たちの憧れの的だ。
だが、エミリアが彼を好ましく思う一番の理由は、何よりも姉の夢を否定しないこと。
むしろ支えようとしてくれるところにあった。
優しく、理知的で、努力家のリディア。
エミリアはそんな姉が大好きで、彼女の幸せを願わぬ日は一日たりともなかった。
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お茶会が終わると、エミリアは姉の部屋を訪ねた。
リディアは部屋着のドレスに着替え、机に向かって明るいライトの下、何かを描いている。
「お姉ちゃん、お茶会どうだった?」
「んー? ロイド様は素敵だった」
「そう」
エミリアが覗き込むと、紙の上には複雑な線がびっしり。
魔導飛行機の設計図だ。
「また描いてるの?」
「うん。ちょっと閃いちゃって」
「“魔導すいしんき”って書いてある……」
「魔導推進機ってね、要するに風を掴む魔法みたいなものなの。
でもね、掴んだ風を離す勇気がないと、前には進めないのよ」
リディアは拳を親指と小指で形どり、飛行機の真似をして空を飛ばすように動かす。
「……お姉ちゃんって、時々詩人だね」
「そう?」
「うん。でも……」
――結婚したら、もう飛行機なんて作れなくなっちゃう。
エミリアはその言葉を飲み込んだ。
姉の瞳が夢で輝いているのを見てしまったから。
リディアの夢は、自分の手で魔導飛行機を設計すること。
けれど、伯爵夫人となれば、そんなことは許されない。
今だって「結婚前の道楽」として、辛うじて見逃されているだけだ。
「お姉ちゃん、かっこいい飛行機ね」
「でしょ? エミリアもそう思う?」
無邪気に笑う姉に、エミリアは小さく苦い笑みを返した。




