2 歯車とお姉ちゃん
「おい! クソガキ!」
「なんだよ、親方!」
後頭部でひとつにまとめた金の髪を揺らして振り返ったのは、リディア・カーヴェル。
煤まみれのグレーのつなぎに、黒く汚れた革手袋。手には魔導ドライバー。
けれど、見た目に反して彼女はれっきとした子爵令嬢である。
その大きな青い瞳が捉えるのは、背後に立つずんぐりむっくりの男――
王都下町の蒸気工房〈ヘイゼン整備工房〉主任技師、グレゴール・ヘイゼンだ。
「ネジ穴潰すな、このバカ!」
「見てよ、潰れてないって。ちょっと強く締めすぎただけ!」
「それがダメだっつってんだ! ネジは男心より繊細なんだぞ!」
「何そのセンスのない例え!」
機械を抱えたまま笑うリディアに、グレゴールは舌打ちしながらも口元を緩めた。
「おーい、リディア。妹さん来てるぞ!」
「え!? エミリアが?」
リディアが顔を上げると、グレゴールは「早く行け」と手を振り、別の作業場へ。
リディアは慌てて煤だらけのまま工房の入口へ駆けた。
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「エミリア!」
油と蒸気の匂いが漂う工房の入口に立っていたのは、姉と同じ金髪に、真っ白なシルクのドレスを纏った令嬢――妹エミリアだった。
ここアルビオン連合王国では、貴族女性の間で膝下丈のドレスに革のコルセット、そしてロングブーツを合わせるのが流行している。
エミリアもその例に漏れず、黒革のコルセットとレースのヘッドドレスで完璧に装っていた。
姉のリディアですら見惚れるほどに、可憐で気品ある姿だ。
その完璧な令嬢が、煤まみれの姉を見つけた瞬間、アーモンド型の瞳を吊り上げた。
「お姉様! 婚約者様との定例茶会まで、あと二時間でしてよ!
早く子爵家にお戻りくださいませ!」
「えー、まだ二時間もあるじゃん。支度なんて一時間もあれば十分でしょ?」
「十分ではありません! まさかその煤まみれのお顔でドレスをお召しになるつもりですの!?」
「え、顔も汚れてる?」
革手袋のまま頬を触り、さらに汚れを広げるリディア。
エミリアは小さく悲鳴を上げた。
「親方ぁ! 今日お茶会だった! 帰るね! また明日!」
工房内を振り返って叫ぶリディアに、グレゴールは深いため息をつく。
「早く帰れ、ガキ! あんないい男逃すんじゃねぇぞ!」
「はいはい、わかってるって!」
リディアが手を振ると、工房の男たちも笑いながら手を振り返した。
「ったく、じゃじゃ馬が」
グレゴールの呟きに、工房中の笑い声が響く。
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子爵家の馬車に乗り込むと、片側の座面に布が敷かれていた。
エミリアは当然のように布のないほうに座る。
「なに、この布?」
「お姉様が煤だらけの服で座るものですから、先日御者が悲鳴を上げたのです。
賢明な対策ですわ」
「えぇ~、それは悪いことしたなぁ」
馬車がガラガラと動き出す。
リディアは窓枠に顎を乗せ、外の景色を眺めた。
黒い尖塔がいくつも天を突き、灰色の空には白い蒸気が立ち上る。
その隙間を縫うように飛行船が漂っていた。
産業革命から半世紀。
蒸気機関と魔導結晶が融合した新時代――
それが〈魔導スチーム文明〉。
誰もが機械を使いこなし、魔導を身近に感じる時代。
けれど、アルビオン連合王国にはいまだ古い貴族制度が残り、女が機械に触れることは“はしたない”とされている。
リディアが工房に出入りできているのは、婚約者ロイドのツテで、ようやく認めてもらえたからにすぎない。
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「それにしても、今日も私の妹は美しかわいい」
「はぁ?」
「率直な感想を言ったほうがいいかなって思って」
「……お姉ちゃんこそ、煤にまみれてても美しいよ」
エミリアが目を逸らし、頬を染めながら呟く。
リディアは満足そうに笑った。
「ほら、やっぱり私の妹は尊い!」
二人の笑い声が、街の歯車の音に溶けていった。




