15 赤い空へ
雲の上に浮かぶ飛行港は、朝の蒸気に包まれていた。
大小さまざまな飛行船と飛空艇が並び、蒸気と風の中を行き交っている。
真鍮の柵が朝日に鈍く光り、滑走路の縁では整備員たちが蒸気弁を開閉している。
機体を繋ぐ係留索が風に鳴り、巨大なプロペラがゆっくりと回り始めるたびに、港全体が低く唸った。
白い雲の海の向こう、太陽が昇る。今日、リディア・カーヴェルはエストリア共和国へ旅立つ。
飛行港のターミナルには、彼女の家族とヘイゼン修理工房の仲間たちが集まっていた。
リディアの父は目を真っ赤にしながら、娘の背を軽く叩いた。
「元気にやりなさい。……帰ってきたら、茶会でも開こう」
「うん。たまには帰るね」
リディアが笑うと、父は何度も頷いた。
グレゴールが油で汚れた手を拭きながら言う。
「スカーレット・ウィングの部品はうちでも作っとる。……たまには顔を出せよ」
「うん、部品の精度、ちゃんと確かめに来るからね」
「うるせぇ、客の癖に」
二人は声を立てて笑った。
その少し離れた場所に、ロイドの姿があった。
相変わらず背筋は伸び、風に銀灰の髪が揺れている。
「リディア嬢、達者で」
穏やかな声に、リディアはふっと微笑んだ。
「ロイド様、貴方ってやっぱり少し不器用ね」
「……え?」
「でも、そんな貴方に支えられた日々は、私にとっても宝物でした。
ありがとう。私が旅立てるのは、貴方のおかげです」
ロイドは一瞬言葉を失い、それから静かに頷いた。
リディアは振り返る。
エミリアが立っていた。
風に髪をなびかせ、真っ赤な目をしている。
「泣き虫な妹」
「だって……お姉ちゃん、仕方ないじゃない」
リディアは微笑んで、そっと彼女を抱きしめた。
煤の匂いのするつなぎが、真新しいドレスの布を黒く汚した。
「私が夢を追えたのは、あなたのおかげ。ありがとう」
「まだ叶えてないよ。お姉ちゃんの夢は、自分で作った飛行機を飛ばすことでしょ」
「そうだね。じゃあ、次に会うときは、空の上で」
二人は額を合わせ、短く息を交わした。
「行ってくるね」
「うん……いってらっしゃい」
リディアは振り返り、スカーレット・ウィングの方へ歩き出した。
深紅の機体が朝の光を受けてきらめく。
その前に立つルカが、小さく手を挙げて彼女を迎えた。
そうして彼女の姿は、ゆっくりと蒸気の中に消えていく。
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静寂の中に、プロペラ音が低く響いた。
港の欄干から見上げる空には、赤い閃光がひとすじ走る。
リディアの夢と、憧れと、覚悟の色。
エミリアは隣に立つロイドを見上げた。
「……行っちゃいましたね」
「ああ。行ってしまった」
エミリアは少し笑う。
「婚約、すぐになさいますか?」
「そうだね……けれど、もう少しだけ、失恋の余韻に浸らせてほしい」
「ふふ、いいですよ。待ってます。いつまでも」
ロイドはその小さな横顔を見つめ、柔らかく微笑んだ。
風が吹き抜け、空の端に赤い光が再び瞬いた。
それは、雲を裂くように走り抜けていく。
その赤は、夢と憧れ。
そして、自由の色だった。




