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13 青空を縛るもの

 強い風が窓を揺らしていた。

 街から流れてくる蒸気が子爵邸のガラスを撫で、カタカタと小刻みに鳴っている。

 いつもなら庭園で開かれる定例茶会も、今日は応接室の中だった。

 窓の外では、夕暮れの光が煙に溶けていく。


 リディアが部屋に入ると、ロイドはすでに席についていた。

 姿勢正しく座り、拳を膝の上で静かに握っている。

 リディアはふと、足を組んで笑うルカを思い出した。

 ――ロイドは一度も、私の前で足を組まなかったな。

 そう思って、なんて馬鹿なことを考えているのだろうと小さく首を振る。


「お待たせしてしまいました」

「いや、そんなことはないよ」


 穏やかな声。静かな深い青の瞳。

 長らく婚約者だったロイド・レオニードは、いつものように柔らかく微笑んだ。

 その笑みを、リディアは久しぶりに見た気がした。


「リディア」

「……はい」

「私たちは、婚約を解消しよう」

「……はい」


 ロイドの瞳が細められる。

 その色は海のように深く、どこか寂しげで、それでも優しかった。

 ちゃんと自分を大切に思ってくれている――なぜか、そう感じてしまった。


「私は、別の女性を選ぶ。

 だから、リディア。君も自分の道を、自分で選びなさい」

「……はい」


 恋ではなかった。

 けれど彼は、兄のようで、父のようで、支えてくれる信頼の象徴だった。


 ロイドはテーブルの上にそっと手を差し出す。

 リディアは一瞬迷い、けれど静かに自分の手を重ねた。


「一つだけ、言わせてほしい。

 君と婚約者でいた日々は、私にとって宝物だった」


 彼の手が一度だけ優しく握り、そして離れた。

 ロイドはゆっくりと立ち上がり、リディアを見下ろした。


「さようなら、リディア・カーヴェル嬢。

 これで――君の羽を縛るものはなくなった。

 この青空を、自由に飛びたまえ」


「……え?」


 ロイドは小さく笑うと、背を向けて部屋を出ていった。

 リディアが慌てて立ち上がったとき、扉はもう閉じていた。


 風がまた窓を叩く。

 リディアはその場に座り込み、両手を膝に置いたまま、動けなくなった。



---


 どれほど時間が経ったのか。

 ノックの音とともに、父が入ってきた。


「リディア」


 顔を上げると、応接室はすっかり薄暗くなり、ランプの光が父の横顔を淡く照らしていた。


「……お父様」


 父は書類を手にしていた。

「これで、正式に婚約は解消された。

 レオニード家との繋がりはエミリアが引き継ぐ。

 ……お前は、自由だよ」


 書類には両家の署名が並び、その上に朱の印が押されていた。

 “写し”の文字。

 すでに、すべてが終わったのだ。


「……はい」


 父は一度だけ頷き、静かに部屋を出ていった。


 リディアの頬を、ひとすじの涙が伝う。

「う……くっ……」

 声を押し殺して泣いた。

 泣いても泣いても、涙は止まらなかった。



---


 扉の外。

 エミリアは、その泣き声を聞いていた。

 背を壁に預け、両手で口を覆う。


「お姉ちゃん……ごめんね」


 声は小さく震え、涙がぽたぽたと床を濡らす。


「もっと、上手いやり方があったかもしれない。

 でも、私にはこれしか思いつかなかったの……」


 しゃがみ込み、額を膝に押しつける。

「ごめんね……お姉ちゃん……ごめんなさい……」


 静かな廊下。

 蒸気灯が小さく揺れ、エミリアの涙がその光を反射していた。

 少女の嗚咽は、煙るような夜の空気に溶けていった。


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