1 スカーレット・ウィングの天才
白い蒸気が、朝の空に溶けていく。
まだ陽が低い。
訓練飛行場の滑走路は夜露に濡れ、魔導タービンの低い唸りが地を震わせていた。
赤い機体が一機。
翼に朝日を受け、まるで燃えるように輝いている。
《スカーレット・ウィング》。
誰よりも速く、誰よりも低く、空を切り裂くために生まれた魔導戦闘機。
操縦席に座る男が、ヘルメットを軽く押さえた。
金褐色の髪が風に流れ、ゴーグル越しの目が細く笑う。
ルカ・アストレイン。
エストリア共和国が誇る“蒼の翼”、そしてこの赤い空の支配者。
蒸気が吹き上がる。
ルカは指先で計器をなぞり、軽く舌打ちした。
――この子は今日も気まぐれだ。
だが、それがいい。
空は、いつだって思い通りにならないほうが面白い。
両手で操縦桿を引く。
魔導タービンが唸りを上げ、翼が震える。
滑走路を蹴って、赤い機体は地を離れた。
風が、音を引き裂く。
観測塔の男たちが口笛を吹いた。
「ありゃあ化けもんだ」
「スカーレットが本気出したぞ」
ルカは誰の声も聞かず、ただ空を駆け抜ける。
青い空を、紅の閃光が走る。
雲を突き抜け、陽光の中で翼を傾ける。
その動きは、もはや人の操縦ではなく――
空そのものが、彼を選んで舞っているかのようだった。
訓練を終え、機体が地に戻る。
仲間の整備士たちが駆け寄り、手を突き上げる。
「最高の機体だ、ルカ!」
「お前の腕が化けもんだよ!」
ルカは笑って拳を合わせた。
額の汗を拭い、空を見上げる。
薄くかすんだ雲の向こう、まだ誰も飛んだことのない高さがある。
「――まだまだ、もっと上へ」
呟いた声に、誰も返さない。
それはあまりにも小さな独り言だった。
その紅の翼が、数日後、遠い島国アルビオンの空を駆けることになる。
けれど今はまだ、彼自身も知らない。
その空で、ひとりの令嬢の人生を変える風になることを――。




