6.巡り合わせ②
旅は二日が過ぎた。一行は平穏な草原地帯を抜け、周囲の森が鬱蒼と深くなる、アクリ公国領の境界へと差し掛かっていた。
その日の昼前、空は急激に色を変えた。朝まで晴れていた西の空から、黒く分厚い雲が怒涛のように流れ込んできた。
ロイズが馬車を並行させ、顔をしかめる。
「おいおい、この雲行きは尋常じゃないな。噂の雨に捕まりそうだ。」
ビアードは空を見上げ、深く頷いた。「野営は難しいかもしれぬ。」
彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに、凄まじい大粒の雨が叩きつけるように降り始めた。
ザアァァァッ!
雨音は瞬く間に周囲の全ての音を飲み込み、会話すら困難なほど激しくなった。馬車はたちまち濡れそぼり、視界は急激に悪化する。
ロイズは御者台の上でフードを深く被った。「くそ、これが噂の雨か!まるでバケツをひっくり返したようだ!」
バルカスは手綱を握るロイズの背中で叫んだ。「ロイズ!前が見えねえ!速度を落とせ!」
ビアードは、激しい雨の中でも手綱を緩めず、一定の速度を保ったまま進むよう指示した。
「緩めず、このまま進む。馬車の進路は私が取る。貴殿らは、周辺の警戒を頼む!」
ロイズは了解の合図を送るのが精一杯だった。
激しい雨と水飛沫で、二台の馬車の距離は保たれているものの、互いの姿は水煙の中にぼやけ始める。
雨は午後の間中、激しいままで降り続けた。湿った土壌はたちまち泥濘へと変わり、馬車は車輪を取られて軋みを上げる。
やがて一行がアクリ公国領内深くへと入った夕刻。激しかった雨は嘘のように穏やかになった。
しとしと……
地面を濡らすのは、微細な霧雨のような、絶え間なく続く静かな雨だった。周囲の森は深く湿り、空は終日変わらぬ鉛色に沈んでいる。
しばらくして、一行は、道が大きく二手に分かれる分岐点に到達した。
一方は、アクリ公国の主要な交易路。もう一方は、森深くを抜けフォースフォリア王国へ通じる道だった。
ビアードは馬車を止め、ロイズに視線を送った。
「ロイズ殿の目的地はアクリ公国故、このあたりで別行動となるな。短い間でしたが、よい旅でしたぞ。」
彼は交易路を指差した。道は泥でぬかるんでいるものの、まだ多くの車輪の跡が残っている。
ロイズは地図を広げた。
「そう言ってもらえると商人冥利に尽きるね。ここからアクリ公国の城門までは一日とかからない。
この程度の雨なら、移動もさほど困難ではないだろう。」
ロイズはカレンとバルカスを見た。二人は頷いた。
ロイズは顔を上げ、ビアードの目を見つめる。「ビアード殿はこれからどうフォースフォリアへ?」
「我々はアクリを通り抜けるだけだ。人目を避ける必要がある。」ビアードは簡潔に答えた。
「わかった。残念だが、ここでお別れだね。」ロイズは寂しさをにじませた。
バルカスも馬車から身を乗り出した。
「あんたたちには命を救ってもらった恩がある。もし何か困ったことがあれば言ってくれ!
世界は広いがまた会えるさ。その時はゆっくり酒でもな!」
そしてもう一言付け加えた。 「嬢ちゃんも達者でな!!恩は忘れねぇぜ!」
コーネリアスは馬車の中から顔を出し、手を振った。「お気をつけて!色々とありがとうございました!!」
そのとき、カレンが荷台の上から身を乗り出し、手に持ったものを差し出した。
「待って!コーネリアスちゃんに、これを渡したくて!」
カレンが渡したのは、細く編み込まれた銀のワイヤーに、小さな赤い鉱石埋め込まれた腕輪だった。
「助けてくれたことと、旅を楽しませてくれたお礼にこれを!いつかあなたを助けるときがくるかも!」
コーネリアスは驚きながらも、その赤い鉱石の腕輪を両手で受け取った。 「ありがとうございます、カレン様!大切にします!」
そして、ビアードは、別れの挨拶を短く済ませた。「無事を祈る。」
そう言って、ビアードは手綱を操り、森深くへと馬車を進ませた。
ロイズの馬車は、ビアードたちの姿が見えなくなるまでその場に留まった。
やがて、二台の馬車はそれぞれの道を進み、しとしとと雨の降るアクリ領の森に、別々の轍を残していった。
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ビアードたちの馬車の姿が完全に消えると、ロイズはふぅと息をついた。その顔には、すぐに商売人の鋭い目つきが戻っていた。
「色々訳アリな感じだろうが無事にフォースフォリアへ到着するといいな。」ロイズは呟きながら地図を広げた。
ロイズは横にいるカレンを振り返った。カレンは、腕輪を渡したことで満足したような、どこか寂しいような表情を浮かべている。
「カレン。今の腕輪……あれは、君の母上からの大切なものではなかったのかい?」ロイズが静かに尋ねた。
カレンは、腕輪の鎖が触れていた自らの手首をそっと撫でた。
「うん、そうよ。そうだけど、でも、いいの。十分に役目を果たしてくれたよ。」
カレンは目を伏せたが、すぐに顔を上げ、きっぱりと満面の笑みで言い切った。
「あの腕輪は、ビアードとコーネリアス、そしてあの王女様を私たちのところへ導いてくれた。すごい効果があったよ!」
ロイズはしばしカレンを見つめていたが、小さく頷いた。
「そうか……。そうだな。すごい力だった。いつか彼女たちの助けになるといいな。」
「うん!!それよりもアクリアクリ~!!」カレンは吹っ切れたように御者台から立ち上がり、前方を指さした。
「ふんっ。」バルカスは片方の口角を上げながら静かに二人の様子を見守っていた。
ロイズは地図を指さしながら意気込む
「じゃあ気を取り直して!遅れは最小限!!バルカス、カレン、急ぐぞ。
この長雨でアクリ周辺は作物が壊滅状態のはず。食料の需要は間違いなく高まっている。」
バルカスは馬車を動かしながら、興奮を隠せない様子で言った。「よっしゃ!大儲けだぜ!」
ロイズは冗談交じりにバルカスに声をかける。
「儲けも大事だが人・助・けも・だ!!でも長年続く、この不自然な雨は、ただの雨なんだろうか...」
その頃、アクリ公国の城下から遠く離れ、森の奥地にある異常に水嵩を増した湖のほとり。
常に湿気を帯びた深い森の中で、しとしとと降る透明な雨が、湖面に波紋を広げていた。
???「ふふふ~ん♪(鼻歌)」
一人の幼い少女が、湖から突き出た大きな切り株に腰かけ、その水に浸した足先を、楽しげにばたつかせていた。
その傍らには、水が結晶化したかのような杖が立てかけられている。
そして、少女の右手には、巨大な水蓮の葉が広げられ、頭上から降る雨を凌いでいた。
「退屈だなぁ。誰かこないかなー。」
雨の音に鼻歌が混じる。
今日もアクリの雨は止まない。




