このたびハーレムの一員になりまして
どうしてこんなことになっているのだろう。
森の中を歩きながら、私は一人、物思いに耽っていた。
前を歩くのは、勇者。このパーティーの要となる人物で、三日前に行き倒れた私を拾ってくれた、命の恩人だ。
振り返ることなく進む背中はまっすぐで、迷いがない。その姿を見るたび、胸の奥が妙にざわつく。
勇者のすぐ隣には剣士がいる。軽やかな足取りで、時折、何かを耳打ちしては勇者を笑わせている。
そして最後尾は僧侶。私と視線が合うと、にこやかに会釈してくる。……その笑みの奥に何を隠しているのか、少し読みきれない。
彼ら三人は長い旅を共にしてきたらしく、互いの呼吸がぴたりと合っている。
しかし、私が気づいたのはもっと別のことだ。
――剣士も僧侶も、どうやら勇者に恋をしているらしい。
しかし二人とも、それをお互いに知りながらとても仲がいいという、訳の分からない状態である。
「この辺りで休憩するか」
勇者の言葉に、剣士が「じゃあ、私は食糧調達に行くよ」と軽く手を上げた。
「一人で大丈夫か?」と勇者が眉をひそめると、剣士は笑って剣の柄を叩く。
「平気平気。戻る頃には美味しい獲物を抱えてるさ」
そのやりとりを、僧侶は穏やかな目で見守っていた。
「では私は水を汲みに行ってきます」
「じゃあ、俺たちは薪を探して火を起こす」
「それでいいか?」と問う勇者に黙って頷き、近くの枝葉で燃えやすそうなものを探す。
なるべく乾いていて燃えそうなものを探し終え、火を起こそうとした勇者を制して魔法で火をつける。
「すごい、便利だな」
「これくらい普通……」
「俺たちは魔法が使えなかったから助かるよ」
まっすぐな勇者の感謝に胸が熱くなる。
……いや、違う。恋ではない。そう自分に言い聞かせる。
ただでさえ変なパーティーに入ってしまったのだ。これ以上、変なことにはなりたくない。
火がぱちぱちと音を立てる中、ふと周囲が静かになった。
剣士も僧侶もまだ戻っていない。勇者は薪を組み直しながら、ちらりと私に目をやった。
「……きれいだな」
「魔法は見た目が派手なだけ。……実用性もあるけど」
「そういうのも含めて、いいなと思ったんだ」
そんなことを、当たり前のように言う人がいるだろうか。胸の奥が、また熱を帯びる。
だめだ、これは。頭の中で、無理やり冷水を浴びせるように理性を呼び起こす。
「嫌じゃなければ、パーティーに加わってくれると俺は嬉しい」
勇者の誘いに心が動きかけ、「二人も喜ぶと思う」という言葉に現実に引き戻される。
――二人も喜ぶ。
剣士と僧侶、両方が勇者に想いを寄せているのに? 仲間が増えることを素直に喜ぶなんて、ありえるのだろうか。
考えがまとまらないうちに、背後から軽やかな足音が近づいてきた。
「ただいまー! ほら、言った通りでしょ、美味しい獲物!」
剣士が片手に抱えた獲物を誇らしげに掲げる。頬には汗と泥、でも笑顔は清々しい。
「いい獲物だな。……助かる」
勇者が素直に褒めると、剣士は嬉しそうに鼻を鳴らした。
ほぼ同時に僧侶も戻ってくる。両腕に水袋を抱え、穏やかな笑みを浮かべながら。
「これで食事の準備もできますね」
僧侶は水袋をそっと地面に置き、剣士と視線を交わす。
「じゃあ、さっそく仕込みを始めましょうか」
「おう、任せとけ。今日の獲物は絶品だぞ」
二人は慣れた手つきで調理に取りかかる。剣士は素早く獲物をさばき、僧侶は香草を取り出して香りを移す。焚き火の上に吊るされた鍋から、じゅうじゅうと肉の焼ける音が響き、空気が一気に食欲を誘う香りで満たされていった。
私はといえば、することもなく、ただ火のはぜる様子を眺めていた。勇者はそんな私に木の皿を渡し、にこりと笑う。
「食べられるだけでいい。疲れてるだろうしな」
「……別に、手伝えないわけじゃない」
「じゃあ、味見係を頼むよ」
差し出された一口を口に入れると、思わず息が漏れる。
「……美味しい」
「だろ? 二人の腕は保証する」
その言葉に、二人は同時に顔を上げ、互いに笑い合った。
――やっぱり、この関係は不思議だ。
普通なら競い合うはずなのに、彼らは互いの存在を否定しない。それどころか、息がぴったり合っている。
皿に盛られた料理が配られ、四人で火を囲む。夜の森は冷え込むが、焚き火と温かい食事、そして人の声が、それを忘れさせてくれる。
夜、交代で見張りをする中で、ぼんやりと考える。
剣士と僧侶のことだ。二人の仲には遠慮や嫉妬の影が見えない。
普通なら、好きな相手を巡って衝突してもおかしくないはずだ。それなのに、彼女たちは互いの距離を心得たように、冗談を言い合い、時に助け合っている。
焚き火の光に照らされた二人の横顔は、あまりにも自然で、私の方が居心地の悪さを覚えるほどだった。
――この中に、私が加わっていいのだろうか。
そんな考えを巡らせていると、交代の時間が来た。僧侶が私のところにやって来て、微笑む。
「お疲れさまです。……寒くないですか?」
「平気」
「そうですか。じゃあ、温かいお茶を持ってきました」
差し出された木のカップから、ほのかに香草の香りが立ちのぼる。口をつけると、柔らかな甘みが舌を包み、冷えた身体の奥にまで沁みていった。
「……ありがとう」
「お礼なんて要りませんよ。仲間ですから」
仲間――その言葉が、胸の奥に小さく沈んだ。
僧侶は焚き火の方へ視線をやりながら、少しだけ声を落とした。
「私、勇者様が好きです」
唐突な言葉に、私は何と返せばいいのか分からずに黙り込む。
「でも、それだけじゃないんです。勇者様が好きなのと同じくらい、三人で過ごすのが好きなんです」
僧侶は火を見つめたまま、ゆっくりと言葉を継いだ。
やがて、私を見る。
「あなたのことも、同じくらい好きになれたらいいと思います」
その言葉に、胸の奥がかすかに震えた。
「好きになれたらいい」——その言葉が胸の奥に静かに沈んでいく。
水面の底に落ちた小石のように、音もなく、けれど確かな波紋を広げながら。
僧侶の目は、焚き火の炎を映して穏やかに揺れている。そこに嘘や打算は感じられない。けれど、それでも私の中には混乱が渦巻いた。
勇者に想いを寄せる二人が、互いを拒まないどころか支え合っている。その輪に、私まで招き入れようというのか。
「……どうして、そんなことを?」
思わず問い返すと、僧侶は小さく笑った。
「だって、その方が楽しいでしょう? 私たちは旅をしているんです。険しい道も、危険もある。だからこそ、誰かを嫌うより、みんなで笑っていたいんです」
あまりにも単純で、あまりにも真っ直ぐな答え。
けれど、それがこの奇妙なパーティーの心地よさの理由なのかもしれないと、ふと思った。
その後、見張りを僧侶と交代して寝床にもぐりこむ。
毛布にくるまり、まだ微かに残る香草茶の温もりを唇の内側に感じながら、私は瞼を閉じた。
耳に届くのは、遠くで焚き火のはぜる音と、僧侶が小さく鼻歌を歌う声――
僧侶の「好きになれたら」という言葉が、胸の奥に静かに沈んでいく。
水面に落ちた小石のように音もなく、それでいて消えぬ波紋を広げながら。
危うい。踏み込めばもう戻れなくなる――そう分かっているのに、波紋の中心から目を逸らせない。
半ば眠りに落ちかけた意識の中、勇者の声が耳の奥で反響する。
――「パーティーに加わってくれると、俺は嬉しい」
私は毛布をぎゅっと握りしめた。
翌朝、パーティーに入りたいと伝えると、勇者は「本当か?」と私の手を取り、剣士は「後衛がいると戦闘が楽になるね」と笑い、僧侶は「歓迎します」と目尻を緩めた。
やっぱり、変なパーティーだ。
きっと剣士も僧侶も、私が勇者に惹かれていると分かっているのに、心の底から喜んでいる。
それでも――いや、だからこそ、と思った。
危うさと温もり、その両方を抱えたまま、この輪の中へ足を踏み入れる。
──「その方が楽しいでしょう?」
僧侶の言葉に胸の内で返事をする。
──そうだね、私もそう思うよ。
こうして、勇者、剣士、僧侶、魔女の私を含めたパーティーは次の目的地に向けて歩き出した。