鉄箱、或ひは君繪
〈嗚呼五月避暑地閑散夢もなし 涙次〉
【ⅰ】
牧野がじろさんにかう云ふ。「此井先生、俺を『落として』下さい」-「ん? 一體なにゆゑ?」-「今日、尊子とデエトなんです。『龍』が出てくると困るから」-「なる程。豫防策、ね・笑」
と云ふ譯で、「龍」、なす術もなく、事務所のポーチにとぐろを卷いてゐた。遷姫はぷかり、煙管をふかしてゐる。
「デエトつて、何処で? 差し出がましいやうだが」‐「西船橋のソープランド『夢・浴場』です。久し振りにプレイをしやうつて、尊子が」- 「個室を借りるの?」-「ソープの好意で。俺、あそこぢや『顔』だから」-「俺も着いて行かうかなー。悦美と君繪の『社會見學』も兼ねて」-「ぢやあ皆で行きませう!」
【ⅱ】
變な顔ぶれだが、さう云ふ事に話が決まつた。悦美など、勿論フーゾクは初めてなので、興味津々の面持ちである。「君繪も、男女の事、早く知つた方がいゝ」-じろさん、自説(?)を開陳。途中で尊子をピックして、じろさんのトヨタ・コロナ改で賑々しく、西船橋まで向かつた。カンテラ、テオはお留守番。杵塚は映画會社に呼ばれて外出中。
「*『夢・浴場』つて云や、ジョーイ・ザ・クルセイダーなんスが、奴、もう蘇生出來ないさうですね」とテオ。「シュー・シャイン」が割り込む。「さうなんですよ、蘇生3回で、成果を出せなかつた者は、タイムアウト、つてのが、今の魔界の決め事なんです」-「それぢや、安全な譯だな?」-「さう願ひたいですね」-カンテラは短い睡眠を取つたばかりで、頭がまだよく働いてゐない。
* 当該シリーズ第47話參照。
【ⅲ】
「夢・浴場」にて。牧野と尊子は、いそいそ「個室」に入つて行つた。「水ゐらずつてとこね」-悦美はもの珍しさうに、待合ひのロビーを見回した。ロビーの客筋が、突然の赤ん坊を連れた(見れば素人の)女の出現に、だうしたらいゝか分からず、決まり惡さうに、にやにやしてゐる。と、店の若い衆が、どたどた入つてきた。
「此井先生、大變です。フーゾク荒しが! 新手の【魔】です!!」-「何!?」
「俺は魔界の『鉄箱男』。ジョーイ兄さんの仇を取る為、此井を片付けにきた!!」-「鉄箱男」、ジョーイ・ザ・クルセイダーの「鉄箱の術」を引き継いだ、「ニュー・タイプ【魔】」である。
然も、これはじろさんの手拔かりだが、店のごたごたをいゝ事に、悦美が人質に取られた!
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈昨日などソープランドの泡と消せ貴方なしでは生きるも難し 平手みき〉
【ⅳ】
と、こゝ迄見ると、何の新味もないやうだが(笑)、こゝから先が、驚愕の連續なのである。
(おぢいちやん、聞こえる?)(おぢいちやん、と云ふからには、きみ、君繪か!?)(さうよ。おぢいちやんの*「變はり身の術」で、ママの替はりに、わたしを「鉄箱」に入れて! この儘ぢや、ママが危ないわ)じろさん、突然のテレパシー交信に吃驚したが、君繪の秘められたポテンシャルに賭ける事にして、「鉄箱男」にかう云ひ放つた。「さあ、『鉄箱男』とやら、お前、悦美をその鉄箱に入れたいんだろ? やつてみたらだうだ」。じろさんの挑發に、「鉄箱男」まんまと引つ掛かる。
「愛娘の苦しむ様を、とくと味はへ!!」-技はジョーイ・ザ・クルセイダーと變はらない。じろさんすかさず「變はり身の術」を用いて、悦美と君繪を入れ替へた。
「お父さん、これつて...」‐「しつ! きみは外に逃げろ。後は君繪次第だ」。ロビーの客たちが、わらわらと逃げるのに乘じて、悦美も店の外に出た。
* 当該シリーズ第112話參照。
【ⅴ】
「ふはゝ。これで神田悦美も終はり。傷心の余り、流石のカンテラもダウンするだらう」-「さあもつと鉄箱を縮めたらだうだ!?」-(嫌に挑發してくるな。だが、奴の願ひだうりにしてやる!)と「鉄箱男」、どんどん箱を縮めて行つた。(本当に大丈夫なんだらうか、君繪...)じろさん、まだ疑心暗鬼である。
だが、その頃- 事務所で別に何するでもなく、自分で珈琲を淹れたりしながら、カンテラは降つて湧いた休暇を、樂しんでゐた。が、その腕の間に... 驚いた事に、君繪が「落ちて」きたではないか!! 「き、君繪!!」-(パパ、テレポーテイションしてきちやつた。それよりママとおぢいちやんが大變よ!!)(きみはエスパーなのか?)(まあさう云ふところ。それより早く!)カンテラは、君繪を由香梨に任せ(丁度學校から帰つてきた)、駅まで走りに走り、西船橋行きの電車に乘り込んだ。
【ⅵ】
カンテラが「夢・浴場」に着いた頃、鉄箱は縮み切つたところ。「鉄箱男」は、サディスティックな髙笑ひ。「これで、The end.だ!!」鉄箱を開ける。だが、中はもぬけの殻。これには、その場にゐた一同、驚いた。
カンテラ(さしものカンテラも息が切れてゐた、が)「ぜえぜえ。お前、さうお前だ。名も知らんが、たたつ斬つてやる!!」。悦美が店に入つてきた。「カ、カンテラさん!!」-「しええええええいつ!!」。「鉄箱男」、今後何回蘇生するかは知らぬが、取り敢へず絶命。
【ⅶ】
「君繪は!?」と悦美。誰に問へばいゝのか、分からない儘。「君繪なら野方にゐる」-「なんですつて!?」。じろさん、勝ち誇つたかのやうに、笑つた。「ニュー・タイプは【魔】だけぢやないつて事さ」
その時、ぽかぽかと湯氣を上げた牧野と尊子が、個室から出てきた。「? あれ?」爆。
因みに「夢・浴場」は雪川組の繩張りにある。またも雪川正述から、丁重な禮狀と、金子幾らか、が届いた。牧野が返禮の返禮に赴くと、「フル、良かつたなお前、カンテラ先生のとこに行つて」と先輩に(さも羨ましさうに)云はれたさうだ。
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〈どぜう鍋生きて地獄を味はひぬ 涙次〉
さてさてこれからが樂しみな、君繪ちやんの「秘められた」力。そんな譯で、この話、大團圓を迎へます。お仕舞ひ。