2025.6.4 遊びをせんとや生まれけむ
ここしばらく、昼下がりにため池辺りを歩いているとツバメが何十羽となく、ビュンビュン飛び交っているのを目にする。
晴れた日はともかく、降りしきる雨の中をものともせずに飛び交っているツバメもいる。数は少ないから、雨の中飛び交うのはやんちゃなツバメなんだろう。
見ているだけで、こちらまで楽しくなってくる。
立ち尽くす私のすぐ側をひらり飛び去る姿を見るにつけ、警戒心が無いからこの春生まれた若いツバメの集団だなぁと推測する。瞬発力が優れている人がガッシリした採集網を持って、それっと振るえば、上手くすればツバメが捕獲出来そうな、そんな考えが毎度の如く浮かんでくる。もちろん、考えるだけ。捉えてどうするというのだ。自由に飛ぶからこそ、楽しい。捉えてしまったツバメは、楽しいから遠く離れた哀れな存在になってしまうだろう。
楽し気に飛び交うツバメを見るたび、「遊びをせんとや生まれけむ」と心の中で呟いてしまう。彼らにとって、今こそが全て。昨日も明日も無い。今を極むれば昨日と化し、明日を招く。
室町時代後期の「梁塵秘抄」に綴られている歌の一節。
両極端な解釈が二つあるけれど、無心に遊ぶ子を慈しむ方の解釈が好き。
作者不明の歌であるが、今回出処をきちんと確認するまでは良寛さんの作だったはずと、何故か思い込んでいた。
遊びをせんとや 生まれけむ
戯れせんとや 生まれけむ
遊ぶ子供の 声聞けば
我が身さえこそ 揺るがるれ




