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文章を書くということ

下書きが増えていくのに、納得のいく内容までに至らない。

どうしてだろうと考えてみた。

たくさんの理由があるが、結局は自分に文才と感性が無いだけだということになる。その過程が、これ。

大学ノートに日記を書いていた時には全く考えていなかったが、こうして曲がりなりにも人様に文章を読んでもらうという意識を持つと、文章化って難しいなぁとしみじみ思う。

質の良い、もしくは長々とした文章を書くには、自分の文章に酔うとか、神託の如く話が何処からか降りてくるとか、一種独特な割り切りとか、そんなような何かが必要じゃないだろうか?


もう亡くなって久しいけれど、栗本薫氏はもの凄い速筆の方だった。代表作である「グイン・サーガ」シリーズなぞ、月一で新刊が出ている時期も多々あり、月刊「グイン・サーガ」と心の中で呼んでいたくらいだ。栗本薫氏は「グイン・サーガ」を書く傍ら、他にもたくさん作品を書いておられた上、それ以外の活動もいろいろされていて、スーパーウーマンとはこんな人のことを言うんだろうなと今更ながら思う。

いずれかの後書きに書かれていたが、「グイン・サーガ」は話を推敲すること無く一気に書いており、後からの添削はほとんどしないらしい。人の名前だとか物事の流れとか、諸々悩んだりしないんだろうか?本当に神託みたいだ。

一度でいいから、話が降りてくる体験してみたい。どんな風なんだろうね。


栗本薫氏と正反対だなぁと思う方が、小野不由美氏だ。

小野不由美氏はラノベ好きなら「十二国記」シリーズ、正当派読書家なら「屍鬼」の作者と言えばお分かりかと。実力はあるけれど、寡作な方なのである。「十二国記」シリーズなど根強いファンの方がいて、シリーズ続巻を待ち望んでいるにも関わらず、なかなか次が出ない。2013年の「丕緒の鳥」の後は2019年の「白銀の墟 玄の月」。次は出るんだろうか…。出るとしたらいつになるのか。小野不由美氏も還暦をとうに迎えている年齢であることに加えて、どんどん話の内容が重くなってきているから非常に不安である。

何より、「東の海神 西の滄海」の後書きで話の中で使用される言葉についての苦吟を書いている。安易な造語を作るのではなく、あくまで「十二国記」の世界観に合わせた日本語を使用するという作業への苦慮。

真っ当に考えると、幾ら時間があっても足りない気がする。大辞典や類語辞典を傍らに語彙の探索・収集って時間かかるし、あらかじめ目的の言葉の概要?を持っていたとしてもピタリと嵌る言葉を見つけることが出来るかどうか、運任せみたいなところもある。

きっと私なら、途中で横道に逸れてしまうか、投げ出すかになりそうだ。


あとは、そうだなぁ。随筆や詩集に目を通している際、たまに感じる退きに至る表現。物事をドラマチックに書き表わす為にそういう言葉使いをするのだと理解は有れど、共感には到らずむしろ気分的に退いてしまう。

例えば…。引用する題材を…と本棚に目をやれば、その手の本は軒並み蔵書整理して一掃されて無くなっていた。容赦無いな、自分。仕方ないので、図書館に出かけてそれらしい作品を借りてきて目を通す。ヘッセ詩集、ポケット詩集I、ポケット詩集II。好きになれない詩は多いけど、退きに至るまでにはならない。あれぇ…。バイロンとか、シェリー詩集だったのかな?とりあえず手元にある、あれこれと思い付く限りの本に目を通してみる。ようやく、これだという表現を見つけた。ベジタリアンやオーガニックな生活を提案するエッセイスト鶴田静氏の「田園に暮す」の中の一文だ。以下がその文章になる。

 『私の夢が叶った!私のカントリー・キッチン、いや、母なる大地の生み出したものをここで料理するのだから、“マザーアース・キッチン”と呼ぼう。ーーー中略ーーー私は昔習ったバレエの踊りのように軽やかに動き回る。効率と合理性を重んじるシステム・キッチンとは逆の、体の動き(つまり習性)と感情を優先するノン・システム・キッチンだ。』

その前後も合わせて、何度も読み返してみた。うん、やはりこの表現は大げさ過ぎて、退くというかついて行けない。鶴田静氏の思想や活動は、尊敬に値すると思うけれど…。

直接的な表現ではないが、ヘッセ詩集の詩の最後にある「○○にささぐ」という一文。小っ恥ずかしいと思えて仕方ない。もし、詩をささげられたとしたらと思うと、退くなー。

よほど自分という人間の第三者的な感じ方やフラットな感動に、詩人たり得ないと痛感してしまう。

グインサーガシリーズは栗本薫氏の作は全て読んだ。ただ、その後の他の方が書き継いだ作品はなんか違うと読んでいない。

栗本薫的グイン・サーガのお終いはどんなふうになるはずだったのか。それだけは気になるけれど、もうそれを目にすることは残念ながら無いのである。

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