落下する夢
最近あまりこれだ!と思う夢を見なくなった。
大昔は、毎日と言っていいほど見ていて、後から思い返しても、とても印象深い夢も多かったのに。
どうして夢を見なくなったのか。日々の雑事にかまけて夢に向き合うことをしなくなったからかもしれない。夢を見ても、それを反芻することなく、忘れないようにメモ書きすることもないとなれば、夢は忘れられる一方だ。
明晰夢というものがある。目が覚めた状態の意識がありこれは夢なのだと認識しながら、夢を体験するという現象だ。夢の内容が楽しいものであるならば良い体験だろうが、不快な内容ならもうこれっきりにしたいとと思ってしまうのは仕方がない。
そんな不快な明晰夢の一つに、墜落下する夢がある。空を飛んでいて、コントロールが出来なくなり落下。切り立つ岸壁から足を滑らせて、落下。いろんなシチュエーションがあるけれど、落下してゆく際の風切るスピード感はなんとも言えないくらいリアルだ。現実には落下なんて体験したことが無いのに、どうしてあんなにもリアル感があるのだろう。唯一の救いは、落下の最中に目が覚めるので地面に叩きつけられる痛みを経験せずに終わることか。これは夢だから、目を覚ませば大丈夫と強く念じると夢から目覚めることが出来る。夢からの目覚めは唐突で、知らず身体がビクッとなるのはいつものことだ。その後、夢で良かった…と安堵するまでがお決まりのパターン。
不思議なのは、現実では体験したことは無いのに落下するリアル感がどこから来ているのか。これかなぁと考えつくのは、夢の中で前世の記憶の断片を再現しているということ。でも、絶対じゃない。前世なんて覚えていないもの。
深層心理学や夢占いでは「落ちる夢」は基本的に悪い知らせや警告の暗示であり、ネガティブな意味合いが多い。ただこれとて、落下する夢は社会人になってからは見なくなったから、なんとも言えない。それに学生時代はなんとものんびりしたものだったのだ。のんびりしすぎだったかもしれない。大学時代、心理学の授業でなんだったか、検査をした際、心の健康度が超優良に振り切っていて周りの皆に、○○さんだもんなぁ…みたいに言われた。おまけにその検査結果で院生さんに目をつけられて、論文の為の被験者にされてしまった。
もう何年も落下する夢を見ていないけれど、落下していく時の風切るリアル感は忘れることが出来ない。でも、言葉で正確に再現するのは無理だ。