天女と天使の飛翔
天女は肩に掛けた肩巾、若しくは羽衣を纏うことで空を飛ぶ。
天使は後ろ背にある羽根を羽搏かせて飛翔する。
どちらも空を飛ぶことは同じだが、その方向性が正反対である。
天女の方は、他力・受動的。天使の方は、自力・能動的。
これは東洋と西洋の文明の在り方の違いであるというようなことを、ユング心理学の大家 河合隼雄氏は著作のいずれかに書かれていたはず。うろ覚えな記憶なので確認したいけれど、その勇気が出ない。なにしろ、著作物が多く、今手元にあるのはたった二冊だけ(「影の現象学と「明恵夢を生きる」)。この二冊には該当の内容は無い。この暑い中、図書館に出かけて著作物を借りてくるのは面倒なので、実際の内容確認は申し訳ないが割愛する。
ところで、天使の羽根による飛翔について。SF作家のジョン・ヴァーリィの作品のウィザードだったかで、身体構造上、あの体格であの羽根では飛翔は科学的に無理だと書かれていた。確かに。なら、どうすれば飛翔可能になるのか。作品では身体構造を遺伝子レベルで改造した人型有翼生物がその一例としてお目見えしていた。ガリガリの骨皮筋衛門の体躯に大きな翼。但し、知性は全く無いという皮肉な設定。天使の羽根による飛翔のイメージとは相容れない。
なら、天使はどのようにして飛翔しているのであろうか?飛ぶぞという翼の羽搏きに、プラスαの力を継ぎ足して飛翔する。プラスαの力は神力と称するのが妥当な表現か。
そう言えばファンタジー小説の設定で、大きな龍の飛翔には翼の働きだけでは無理なので、魔力もしくは魔法で補って飛翔するとあった。使用する力の種類は異なれど、原理は天使の飛翔と同じではないか。そう考えると、羽根のある妖精が飛び回るのも同じ原理になるな。ディズニーアニメのダンボが大きな耳を動かして飛ぶのも同じく。
なんだかファンタジーが、ファンタジーでなくなる思考遊戯になってしまった感がある。大人になるって、分別ばかりが上手くなって、物事を愉しむのが下手になっているような気がする。ほんとやだなぁー。